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吉本さんのおくりもの 7「お鷹ポッポ」から (2015.5) 既発表文より

2017年03月30日 | 吉本さんのおくりもの

 NHKの大河ドラマは観ないけど、木曜時代劇は時々観る。今は『かぶき者 慶次』を観ている。時は、江戸初期、上杉家に仕えていた前田慶次(藤竜也)が主人公で、舞台は米沢。この第5回(2015.5.7放送)で、前田慶次(藤竜也)に仕える下男の又吉(火野正平)が木彫りの「お鷹ぽっぽ」を彫り、それを雫(壇蜜)という女性にあげる場面があった。「お鷹ポッポ」を見るのは初めてだったが、その場面(言葉)からわたしはすぐさま吉本さんを思い浮かべた。



 もうひとつ、親しみを感じた理由があった。その店の庭先には、私が山形県米沢市の高等工業学校にいたとき、「お鷹ポッポ」と呼んでいた、おそらくアイヌの鷹をかたどったにちがいない、木を削っただけでつくった置き物が飾ってあった。
 うれしかった。これを知っているのは東北も山形県あたりの人だろう。もしかしたら、お兄ちゃんも米沢出身かもしれないと、勝手に空想をたくましくした。
 そういえば、高等工業学校時代、首が細く長い教授は、「お鷹ポッポ」というあだ名だった。思い出は果てしない。
 (『開店休業』吉本隆明/ハルノ宵子 「せんべい話」P82 2013年)



 何でもないせんべいの店だと思っていたところ、私は、あっと驚くほど感動した。東北の小さな町で学校に通っていたとき、小型のものを買って持ち帰ったり、町筋の店では飾られている大型のものを見かけたりした。あの馴染み深い「お鷹ポッポ」が店先に飾ってあったのだ。
 「お鷹ポッポ」は、一刀彫で一本の木材を切り開いて、鷹の形に仕上げてつくる見事な民芸品で、思い出すのは学生時代、顔が小さく細長く、首筋も細長い、とある名物教授を親しみを込めて「お鷹ポッポ」という、あだ名で呼んでいたこと。
 私は第二の故郷と言っていいほど愛着を感じていたその土地と、教授先生に誰もが感じていただろう愛情と同じような感情を、このせんべい店に感じた。
 それからは遠回りになってもときどき店に寄って、世間話を交わすようになった。
 (『同上』 「塩せんべいはどこへ」P227)




 本書は、食にまつわる話であるが、身近な食の話に触れながら吉本さんが全力を掛けて生涯考察してきたことの頂からの、未だに決着が付かない問題を考え続ける言葉の表情を窺うことができる。たとえば、「塩せんべいはどこへ」の末尾には、「人間と自然との相互関係には、不可解なところがある。」とある。ということは、わたしにはよくわからない部分にも遭遇したけれども、食に触れながら単なる随筆風ではなく、老いて尚対象の本質的な姿を追求して止まない思想者の新鮮な姿がある。娘ハルノ宵子の文章が吉本さんの文章に唱和するように各回付けられていて、吉本さんの言葉がいくぶん相対化され、本書はいい構成の本になっていると思う。
 「お鷹ポッポ」がどういうものか、以下の引用のページでもその画像を見ることができる。



「お鷹ぽっぽ」に代表される笹野一刀彫は、山形県米沢市笹野地区に伝わる木彫玩具です。お鷹ぽっぽの“ぽっぽ”とは、アイヌ語て“玩具”という意味。 米沢藩主上杉鷹山公か、農民の冬期の副業として工芸品の製作を奨励したことにはじまり、 魔除けや“禄高を増す”縁起ものとして、親しまれてきました。 (「東北STANDARD」 https://tohoku-standard.jp/standard/yamagata/otakapoppo/ )



 この説明によると、近世の起源とある。wikipedia「笹野一刀彫」によると、「お鷹ポッポ」以外の木彫りを含めて、「地元の伝承では、806年(大同元年)開基とされる笹野観音堂の創建当時から伝わる、火伏せのお守り・縁起物とし、1000年以上の伝統があると主張している」とある。こういう伝承自体は、すぐに事実とすることはできないが、かといって近世に過去との何の脈略もなく生まれたとも考えにくい。

 確かにアイヌ語との関わりなどを考えると、そのような木彫りのものは古い歴史を持つだろうと想像される。また、アイヌには木の棒から作られるイナウという祭具がある。そして、今では「民芸品」となっているこうしたものは全国的に様々に存在していると思われる。今では軽い品々になってしまっているけれども、元々は、「お守り・縁起物」のような宗教性をもったものだったのだろう。

 柳田国男が調べていた、東北地方で信仰されている家の神である「オシラサマ」は木で作られているという。木が霊力を持つと見なされていたのだと思われる。当然のこととして、それらの起源を考えれば、「オシラサマ」も「イナウ」も「お鷹ポッポ」も、また全国に残っているそれらと同様のものも、近世や古代や縄文時代を超えて、自然や自然のものに宗教的な霊力を強く感じていた人類の段階へと果てしなくさかのぼることができる。

 現在では、その霊力や宗教性はずいぶん薄まってしまっている。しかし、人類の起源からの流れは脈々とつながり、形を変えて保存され、流れてきていることになる。

 人がある懐かしさ(あるいは、痛ましい思い)で過去を振り返ることがある。単なる観光旅行ではなく、人がある地に一定期間生活していた場合を考えてみると、過去はもはや通り過ぎられてきたものであるが、ある地の様々な場面での風物や人々とのくり返してきた出会いがあり、そのことはその人に何ものかを刻みつけているはずである。そして、あるもの(ここでは、「お鷹ポッポ」)を媒介として、その過去の時間や空間がイメージとして蘇ってくる。そして、その湧き上がってくるイメージは、その人固有の色彩や匂いや情感に彩られている。



 何でもないせんべいの店だと思っていたところ、私は、あっと驚くほど感動した。東北の小さな町で学校に通っていたとき、小型のものを買って持ち帰ったり、町筋の店では飾られている大型のものを見かけたりした。あの馴染み深い「お鷹ポッポ」が店先に飾ってあったのだ。
 「お鷹ポッポ」は、一刀彫で一本の木材を切り開いて、鷹の形に仕上げてつくる見事な民芸品で、思い出すのは学生時代、顔が小さく細長く、首筋も細長い、とある名物教授を親しみを込めて「お鷹ポッポ」という、あだ名で呼んでいたこと。
 私は第二の故郷と言っていいほど愛着を感じていたその土地と、教授先生に誰もが感じていただろう愛情と同じような感情を、このせんべい店に感じた。
 それからは遠回りになってもときどき店に寄って、世間話を交わすようになった。
 (「塩せんべいはどこへ」P227 『開店休業』吉本隆明/ハルノ宵子 2013年)



 この文章のイメージや情感の流れを取り出してみると、「何でもないせんべいの店」→「あっと驚くほど感動」→「あの馴染み深い『お鷹ポッポ』」→「とある名物教授、あだ名」→「愛着を感じていたその土地」→「教授先生に誰もが感じていただろう愛情と同じような感情」→「このせんべい店」となっている。もちろん、このイメージや情感の流れは、吉本さんが現場で想起したり感じた流れそのままではないかもしれない。つまり、文章にする過程で付け加えられたものもあるのかもしれないが、そこは分離することはできない。

 まず、外国人に関してはわからないけれども、この列島の住人であるわたしたちには、こういう文章を読んでも異和感はないであろう、つまり、そのイメージの湧き方や情感の流れにスムーズに入り込んで行けると思われる。

 ここから、類推してみると、わたしたちは、それぞれ生い立ちが異なるものがそれぞれの固有性を携えつつ、同一の地域(または、小社会)で、同時代に生きるということは、ある地域(または、小社会)的な共通性を共有しているということである。このことは、昔にさかのぼるほど強かったものと思われる。現在では、このような地域的な固有性は、欧米文化やその考え方の浸透とそれらによる全社会的な均質化のなかに解消されつつある。

 しかし、そんな状況にあっても、この列島に住むわたしたちの精神や心に刻まれた数万年にも及ぶ遺伝子は、現在の状況を許容しつつも、その全体的な解消を許容することなく、避けられないグローバル化(人類の地球規模の再会)の中で、欧米主導のグローバリズムに対しては半ば無意識的にも反発しているものと思われる。そのわたしたちの意識的、無意識的な部分が、効率や競争や市場等々のキーワードに象徴される欧米主導のグローバリズムにやられっぱなしなのか、それともある独自のものを形作ろうとするのかは、これからのことに属している。

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