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メモ 2017.3.16・続

2017年03月16日 | メモ

メモ 2017.3.16・続

 

ええっと、まずわたしの場所は、普通の生活圏内にあります。ものの感受や考え方もおそらくそこからはじまり、そこに帰ります。もうひとつ、余計な考えであるとともに日常世界では解けない考えにも足を突っ込みますが、そのモチーフは起源からの人の生活の有り様に対するイメージです。わかりやすく言えば、江戸時代の安藤昌益が孔子や現在までの政治なんてろくなもんじやねえと卓袱台返したように、半ばはそういう意識があります。後の半分は、現在は、無数に血塗られてきた歴史であるとしても人類の無意識的な達成でもあるという判断です。

つまり、北朝鮮の核ミサイル問題やら国家間の外交や他国のことはわたしにとってはどうでもいいのです。この「どうでもいいのです」という言葉は、留保付きであって、自己を幻想の国家と同じレベルで同一化し声高に煽る者がいるからです。「国民の安全を守る」とか政権やその取り巻きたちはいいますが、そんなことは過去の戦争でもなかったし今後もあり得ないと思います。もちろん、わたしも考えることはあります。しかし、自分たちに無縁に動くパワーポリティクスの政治駆け引きには興味ありません。自己を幻想の国家と同一化できる知識人や人々がその機構を支え強化しているのだと思います。現在でもいろんなことを煽る知識人達やエコノミスト達や取り巻きがいますよね。絶対ないとは断言できませんが、もし万一、難民とかあり得るとすればそのとき具体的に一生活者として考えるだけだと思います。

比喩として語れば、町内会の話し合いで国の政治や政策を話したら場違いだと思います。況んや、北朝鮮や中国の話題に関してをや。もちろん、国とはとても間接的な関わりは町内にもありうるかもしれませんが、場違い感は誰でも肌でわかると思います。わたしの重力の中心はそんな日常の町内会的な場にあります。わたしはあなたの場所が気になります。つまり、あなたはどこから対象に視線を向けそれはどこに帰っていくのだろうかと。中空感の印象をうけます。吉本さんじゃないけど、知識の位相の自然必然性は本人がいくら自分を誠実と思っても中空性を強いられるおそろしいものだと思います。そこから国家に同一化する人もあれば醒めている人もありと様々あります。

森友問題については、日本会議等-現政権の位置づけの一環としてわたしはツイートで述べていますから本質はその様なものとして捉えていて、問題自体に対しては一生活者として「楽しんでいる」ばかりです。わたしたちには無縁なこんなアホなできごとは楽しむしかないと思います。こんな未だかつてないうっとうしい世の中、その位の気晴らしは必要だなと思います。

 先だってこのブログに、吉本さんの文章に触れた「知識の第一義の課題」という文章と註を書きましたが、まあ、ひとりひとりがじっくり考えることが大切だと思います。


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