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『若者は本当に右傾化しているのか』(古谷経衡 2014年)を読む

2015年03月12日 | 日々いろいろ

①『若者は本当に右傾化しているのか』を読んでみた。表題に関して様々なデータを駆使して、若者の「右傾化」ではないこと、若者はイデオロギーとは無縁な、自分の日々の生活を第一とする「普通」の人々であることをていねいに実証している。
 
②また、旧来の保守とは異質な「ネット保守」(ネトウヨとも呼ばれる)という階層が、主に30代から40代の経済的に割りと恵まれた層であることを明らかにしている。
 
③そういう恵まれた階層性もあって、「ネット保守」は今まで「貧困問題」には冷淡で、一切触れてこなかった。それが保守の停滞の原因である、と古谷経衡は見ている。普通の人々の生活世界の諸問題に触れ得ない「ネット保守」に、イデオロギーのみの形骸化していく危機感を感じているのだろう。
 
④そこから古谷経衡は、普通の若者たちにも開かれた「ソーシャル保守」という考え方を打ち出している。元来、近代の「保守」や「右翼」的な部分は、例えば2・26事件に見られるように、イデオロギー的な理念も持ちつつも、疲弊する農村社会や農民の窮状に対するまなざしと変革への意志を持っていた。
 
⑤つまり、それだけの社会的な基盤があった。そこからすると、現在の「ネット保守」は、形骸化した復古的なイデオロギーのみで、現実的な基盤や現実的な視線が空無である。わたしの考えでは、現在の「ネット保守」や「ネット保守」的な現政権は、わたしたちが「住民力」を発揮せざるを得ない、到来しつつあるあらたな社会の手前に咲く、最後の徒花(あだばな)ではないかと思われる。
 
⑥古谷経衡は、三十代前半の人である。「ネット保守」などの集会にも足を運んでいるようだから、それに対して親近感も持っているのだろう。いわゆる保守的な思想を持つ人だと思うが、別にそのことはたいした問題ではない。わたしはこの本一冊しか読んでいないが、この本の古谷経衡はいい。
 
⑦古谷経衡は、従来、保守と言われてきた部分が、戦争が空無となるほど遠くなり、おそらく最後のイデオロギーの徒花を咲かせている「ネット保守」になってしまってせり出している状況で、それを正当な位置に戻そうとする試みのように見える。
 
⑧そして、そのことはわたしが考え続けている、「住民」ということ、イデオロギーを退けこの日常の具体的な生活世界を離脱しないわたしたち「住民」ということとどこかで交差するように思われた。最後に、古谷経衡が「ソーシャル保守」という考えのイメージについて触れている部分を引用する。
 
 
 ソーシャル保守は、図らずも弱者の立場を、その人生の早い段階で身をもって体験し、それを自力で超克してきた質の高い、比較的若年の保守層が基軸となって、形成されるまったく新しいタイプの保守像であることはすでに述べた。そこで語られる内容とは、日本国家への愛国心を大前提的に有した中で、高度国家論(註.参考「憲法、国防、歴史認識といった高度国家論的な言説」P155)をその支柱とするではなく、貧困、雇用問題、弱者救済、子育て問題、あるいは非政治的分野である芸術や文芸にまで及ぶことが想定される。もしかしたら、それは保守派から現在「左翼」とみなされ、批判的な立場で論調されるような団体や個人との融合をも意味するのかもしれない。このようなソーシャル保守は、旧来、保守系団体が必ずと言って良いほど「保守派の様式美」として保持し続けてきた、国歌斉唱、国旗掲揚、あるいは「天皇陛下万歳」の唱和を、必ずしも必要としないかもしれない。なぜなら、ソーシャル保守が提唱するこういった各種さまざまの社会問題は、そもそも愛国心を土壌としてその上に生育される同胞融和の概念に基づいているからである。
 (『若者は本当に右傾化しているのか』P225-P226 古谷経衡 2014年)


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