大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

三岸好太郎美術館 ― ユーモラス・三岸 ―

2010-08-10 18:15:00 | 美術
31歳で生涯を終え夭折のモダニストと言われている三岸好太郎美術館を訪れました。今回で4回目の訪問ですが、個人の名前を冠した公立美術館として独特の展示がなされている愛すべき美術館だと思います。三岸好太郎の生涯にわたる様々な画風の変遷がわかりやすく展示されていて、三岸好太郎の作品と人柄がかなり理解できる美術館ですね。

個人的には、1933年に制作した「オーケストラ」という題名の作品と1934年に制作された「飛ぶ蝶」は名作だと思います。
描かれたオーケストラは、近衛秀麿を常任指揮者とする新交響楽団(現在のN響)だそうで、三岸好太郎は制作するにあたって数多くのデッサンを描きながら、オーケストラを事前にかなりの時間をかけて研究し、作品の制作を行ったみたいです。一見すると即興的に描いているように見えるのですが…。
「飛ぶ蝶」という作品は最晩年の作品ですが、右上の一頭の蝶は、ピンをはね除けて舞い上がる瞬間が描かれている不思議な絵画です。まるで、死期を意識していた好太郎が死を拒絶し、生きる希望を一頭の蝶に託しているように僕には思えるのですが。天性のロマンティストであったという三岸好太郎の最晩年の絵画のモチーフが、蝶と貝殻であったというのは、とても謎めいていて、三岸好太郎という作家の魅力を一層増しているように感じます。時代も戦争に向って行くなかで、「飛ぶ蝶」という作品は様々な解釈ができると思います。知人の久保守さんは「軟派の不良じみた奇行の多い青年だったが…どこか憎めないものがあった。それどころか人間的な不思議な愛情のつながりを否定することができなかった」と述べています。また、友人の福沢一郎は「笑うものを笑うだけの余裕があった」と生前の三岸好太郎を評していますが、とても興味深く思います。

建築家になりたかったという三岸好太郎のアトリエは、山脇巌という人が設計したそうですが、完成を見ることなく生涯を終えてしまった。いまから約80年前の三岸好太郎のアトリエ外観を写真で見ると、抜群のセンスの良さを感じ、生きていたら建築家としても成功していたに違いないと思いました。溢れるような才能を持っている人は、生き急ぐのかな。
☆☆


1933年制作「オーケストラ」


1934年制作「飛ぶ蝶」

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