クラオタないものねだりblog

腐敗を極める世間の潮流から離れ真に美しいものを追い求めるオタクの独り言

低位安定という名のマンネリ...フンメルミサ曲集Vol.1

2012-05-20 15:45:35 | 音楽(独墺・英語圏)


このところバロックばかり聴く事が多くて、わが最愛の作曲家の一人である、ハイドンのCDへの出費は随分減ってしまった。飽きたわけでも世界中の録音を聴きつくしちゃったわけでも何でもなく、「四季」とか弦楽四重奏曲とかオペラの数々とか、まだまだ聴きたくてたまらない曲や演奏はゴロゴロあるんだけどね。ただ自分の中での気分の問題というか、ハイドンよりも自由なタイプの音楽を味わいたいという欲求がいまは強いだけなんである。とくに交響曲なんかはまだ106曲中30ほども未聴曲があったりするのだが、ちょっと倦怠感さえ覚えるのが正直なところ。ブログタイトルは「クラオタないものねだりblog」なんてなってるけど自分は典型的なクラヲタじゃないんで、交響曲のような純粋なオケ曲にはそれほど魅力を感じないんだよね....ブルックナーだのマーラーとかのクソ長いシンフォニーを神妙な顔して聴いている人たちの気持ちはさっぱり分からんね。
イタリアオペラのような「分かりやすさ」を敵視してドイツ好みの文学嗜好を称揚するクラヲタ界の閉鎖的体質こそ、日本で西洋音楽のコアな部分がいつまでも定着しない理由だと思うのだが、それはおいといて。

個人的にはこのハイドンや、彼の後継者でもあるフンメルのようなひたすら分かりやすくて親しみやすい作風は大好きだ。フンメルとかパイジェッロとか、古典派のなかでもメロディーメーカーとしてはかなりのものがあって、もっと古楽系の録音が増えてもいいと思うのだが、イマイチ音楽としてはB級イメージが強いのか、なかなか生前の活躍の割に不遇な存在だよなあ...と思う。

ま、フンメルの録音自体は増えてきているんだけど、代表作であるピアノ協奏曲など、古楽器での演奏が出てきてほしい。たしかにボッケリーニの器楽曲のような才気は感じられないにせよフンメルの音楽はウェーバーやシューベルトなんかよりもずっと美しく、かつドラマティックで面白いと思っているので。

で、今回はハイドンのミサ曲集を完成させたリチャード・ヒコックスのフンメルシリーズを聴いてみる事に。フンメルの声楽曲を聴くのは実ははじめて。ミサ曲2曲とソプラノ、合唱による小品が一曲収録されている。どれもレアな曲なので録音されただけありがたいと思うべきなんだろうけど...演奏のクウォリティもそれなりに高いですし。
が、所詮「それなり」の域を出ないというのか何というのか。フンメルの教会音楽はピアノ曲よりも面白いなんていう評判も聞いていたので無駄に期待してしまったのだが、悪くはないけど何度もは聞く気になれないね。フンメルの教会音楽というのは大半が1804-11年のあいだ、師匠ハイドンの後継者としてエステルハージのために作られたものであるので当然であるのだが、作風はハイドン瓜二つ。ただハイドンのミサではおなじみのSATBのソロパートが存在せず地味に感じるぐらい。1808年作曲のニ長調ミサ(Op.111)は特に力作で、ハイドンとはまた違ったフンメルならではの個性も味わえるんだけど。ただイギリス古楽の常ではあるのだが演奏の突っ込みが浅い...メンバー表を見ると2002年当時のベテランから若手まで錚々たる顔ぶれで(アントニー・ペイとかホルステッドとかいる!!)感動的なのだが、だからといって演奏の質が向上するかというとそうでもないのが辛いところで。指揮のヒコックスも、2008年に急逝してしまったのは残念としか言いようがないが、これを聴いている限り普通の合唱指揮者という感じでキレがないですね。ガーディナーやノリントンならともかく、あんまり古楽器の良さが生きている指揮というわけではないかと。

ついでにOp.111以外の曲についても言っておくと、1810年のOp.77の方はさらにハイドン色が強く、調性も同じという事でもろ「天地創造ミサ」みたいな曲調である。ハイドン好きなら普通に楽しめると思うが、所詮焼き直しという事で高評価はできないかな...フンメルの方もあまり気乗りしないで作曲したんだろうし。作品番号なし(WoO21)の「Alma Virgo」はソプラノと合唱・オケによる素直な曲。Op.13のピアノ・ソナタや、師匠ハイドンの交響曲でもおなじみ「アレルヤ」の聖歌のメロディーが登場する。きれいで良い曲だと思うのだが、ソロを歌うスーザン・グリットンの声が好きではないので、あまり癒されない...世間の評判は知らないけど、キングスコンソート等イギリス古楽の演奏ではしょっちゅう登場するこの人だが、どこがいいんだか分からないんだよね...高音も無理矢理出してる感じでイマイチだし。

というわけで、五月のモヤモヤとした空気のように今一つ突き抜けた感がないディスクであった。ただこういうマニアックなシリーズは廃盤になるとなかなか入手できなくなる可能性が高いので、今のうちに全部買っておいたほうがいいとは思うのだが。ヒコックスは同時期にベートーヴェンのOp.86やシューベルトなんかも録音しているようだが、このシリーズもハイドンのように全集化してボックスになる予定だったのだろうか?これからもCHANDOSでマイナー声楽曲の録音が期待できただけに残念である。
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初期バロックの広大なる沃野!!アレッサンドリーニの「1600」

2012-05-10 23:07:34 | 音楽(イタリア・イベリア・ラテン系)


ようやく地震はなくなったと思ったら、何ですかこのところの異常気象の連続は...
好天だと思ったら一転して嵐、またその繰り返しと連休中からずっと繰り返されているわけですが、こう気持ち悪い天気ばかり続くとこちらの気分も心なしか滅入ってくるねえ...前にも言った通り低血圧で気圧の変動を特に苦手とする自分、嵐が来たりする直前は物凄い頭痛になったりするのだ...ま、明日以降は平常通りの気候に戻りそうでメデタシメデタシだが。竜巻や雹の被害にあった人はお疲れ様と言いたいが...まだまだ2012年はひと波乱もふた波乱もありそうな年になりそうだ。


こういうややメランコリックな気分の時は、渋い音楽が思いのほか心地よく耳に入ってきたりする。アレッサンドリーニ/コンチェルトイタリアーノの新譜「1600」も渋好みのリスナーにはたまらなそうな癒しの音楽である。アレッサンドリーニと言えばとくに器楽演奏に関しては当りはずれが多い印象で、ヴィヴァルディの弦楽協奏曲集など残念な出来としか思えなかったが、このアルバムのような17世紀、初期イタリアバロックの方が彼らの性分に合っているんだろうね。弦楽器と簡素なコンティヌオによる薄口の音楽ばかりで人によっては退屈するかもしれないけど、こういうナチュラルであったかい古楽演奏こそ今もっと聴きたいよね。演奏志向としてはサヴァールに近いと思うが、彼らの最近の録音ほど聞かせ上手な感じはしない。あくまで堅実志向であるな...ま、比較対象がコンセール・ナシオンのラモー組曲集じゃあまりにも趣向が違いすぎるが...ラモーの劇的でド派手なサウンドとメールラやレグレンツィやら渋い初期バロック、正反対とも思えるがどちらの演奏も素晴らしく、瑞々しいバロック演奏を聴かせてくれるという意味では最近の録音の中でも屈指であるが(あんまり新譜には手を出さないんだけど...ちなみに「1600」でコンマスをつとめるマウロ・ロペスはサヴァール盤にも2ndで参加しているね)。

この録音、かつての「イタリア音楽の150年」シリーズ同様この手のオムニバスにありがちな、後半になるほど時代を下っていくようなプログラムになっているけど、前半のフレスコバルディやメールラやらガブリエリやらの単一楽章の曲は、あまりにも渋すぎというか、曲調をつかみづらい感じがして、なかなか親しみにくい。実際に演奏する人など、各作曲家の「味」の違いなど、深いところまで理解できるものなんでしょうか。自分には未だにこのあたりの音楽、ホントに楽しんでるとは言い難い...しかしメールラの「capriccio cromatico」はこの手の初期バロックの曲集では頻出で、すっかりおなじみの曲になってしまった。アレッサンドリーニ自身チェンバロ版の録音をすでに残しているし、この時代屈指の名曲なのだろう。
後半の収録曲になると、17世紀とはいえ後半の形の整った曲ばかりになって、大分親しみやすい感じになってくる。ちなみにレグレンツィ、ジョヴァンニ・ボノンチーニ、トレッリ、ダッラーバコから1曲ずつ選ばれているが、なんとも通好みというか、いままで名前だけで曲は全く聴いたことがない人たちばかりだった....古楽通を気取ってみても全然知らない音楽家ばかりと、愕然とする事しきり(パーセルも、シャルパンティエもカヴァッリも知らない俺)。かろうじてボノンチーニはヘンデルのライヴァルだった作曲家だという事は知っていたが。

なかではレグレンツィの「ラ・チェトラ」からのソナタが出色の出来ばえで、このアルバム中でも最も素晴らしい曲だと思う。有名な曲かもしれないが、とにかくこれ一曲のために買って損はない名曲かと。序奏の柔らかで重層的な音の重なりあい...渋いことには間違いないが、ヴィヴァルディなんかよりもずっと飽きがこずに楽しめそうである。なんともあっけない曲の終止も、いかにも17世紀バロックといった感じで味があって良い。
その他の作曲家の曲も、様々な個性が楽しめて面白いね。
ただ一つ期待外れだったのは、ガスパーロ・ザネッティという人の「ヴァイオリンを学ぶ生徒」という作品かな...HMVに書いてあった日本語訳タイトルからするとビーバーやシュメルツァーのようなパロディ系でキテレツな描写音楽を期待してしまったのだが、まったくもって普通の曲でちょっと残念。
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なんたる鬱陶しさ....

2012-04-26 18:18:47 | 音楽(独墺・英語圏)
このところ梅雨時のようなやたら蒸し暑い天気が続いて参る。多分今月も一回だけの更新に。
満員電車の不快感といい水道水のまずさといい、ホントに東京って暑苦しくってせまっ苦しくって住みづらい都市だよなぁー、とつくづく思う。さらに言わせてもらえば人間的に最も不快なタイプである、馬鹿騒ぎするしか能がないような薄っぺらい輩(たいていテレビが垂れ流す「流行」の世界にしか興味がないようなつまらない人間なのだが、そういう奴に限って視野が狭くて傲慢と決まっている)
に出会う確率も本当に高い気がするし。かつて東京に出る前は大都会=国際的、リベラルみたいな幻想を抱いていたものだが、日本中どこも均一化、画一化されてつまらない社会になってしまった。今や東京なんかただの人間の掃きだめとしか思えない。なかには本当に魅力的な人間も存在するのだろうが...
それにしても最近の社会を覆う閉塞感というのはハンパないような。子供の頃の体感では2000年前後の小渕・森政権あたりの世間を覆う「空気」というのも相当ヤバかったような気がするのだが、大震災後の現在の方がはるかに酷いというのは言われなくても分かる。

今日4月26日は例の小沢裁判の判決があったが、小沢どうこうよりもこの所の政治の動きには本当に辟易するというか、怒りを通り越して脱力するしかないようなくだらない出来事ばかりで、もはや興味が失せかけている。恐らく同じ思いの人も多いんじゃないかと思うのだが。もはや日本社会の全てがバカバカしく見えてきてしまうようなこの惨状...どちらかというと自分は悲観論やニヒリズムは嫌いなんだが、このところの世相を見ていると、生きる気力失って自殺する人が多いのも当然だよなーと思えてくるね。まあクソAKBやらが占拠しているテレビはなるべく見ず、バカとなるべく関わらないようにしていれば自分としては幸せなので、これから100年にわたって生きるし子孫も残すつもりですが。
それにしても2013まで民主政権は続くとして、その後の世界というのがまったく想像できない。先進国のように二大政党が政権交代を繰り返してそれなりに安定するのか、それとも1930年代のような暗黒時代の再現となるのか...
橋下維新ブームをナチスの再来と見るのはもはや手垢が付いた感があるが、このところの社会状況を見ていると民主主義や言論の自由というものがこの国でちゃんと機能してるとはとても思えないし、福島原発同様日本という国家全体メルトダウンして爆発しちゃうんじゃないかとさえ思う。戦後、日本は自由と民主主義のおかげでかつてない繁栄を遂げたとされているが、それこそ偽りの繁栄であり、所詮戦後の日本などドイツのワイマール体制と何ら変わらなかったんじゃなかろうか。ただただ高度経済成長という幸運によって長続きしたというだけで。
福島原発であれほど犠牲を出してもなお、脱原発が進まないのでも明らかなように、日本も一度ナチスドイツのような徹底的な破滅を経験しないと変わらないんじゃないかと、何となく思う。中国共産党、北朝鮮の崩壊もそうだし、東アジア世界というのはここ数十年でとてつもない地殻変動レベルの動乱が起こるような気がしてならない。

ま、ウダウダ言っても未来は誰にも予想できないものだが、だからこそ生きる気力というものは湧いてくるものだ。小沢がどうちゃらとか、日本のバカバカしい政局に一喜一憂するよりも、何事もグローバルな、巨視的な視点で物事を考えたいものである。良く言われるようにこれは日本人が最も不得意とする態度であるのだが。



この前の「アルチーナ」につづき、ヘンデルの未知のオペラを開拓してみる。このグッドウィン指揮の「リチャード1世」、作品、演奏ともに高評価ばかり目にしていたので期待値は高かったのだが....個人的にはイマイチかな?

なんというかまだ全体ざっと聴いただけなのだが、作品に何かが足りないような気がする。ろくにリブレットも見ないで(ブックレット形式でなく見にくいもんで)、ちゃんと作品を把握しているとは言えないけど、全体的に歌の魅力=ベルカント度が薄くてあんまりドラマに引き込まれるというレベルに達しないんだ。実はほぼ同じキャストで後に録音された「アタリア」の方を先に買って愛聴していたんだが、そちらの方が演奏の伸びやかさ、作品自体の魅力という点でずっと上かな(ボーイソプラノの下手糞さには参ったが)。

このオペラが作曲されたのは1727という事だが、ちょうどこの年ジョージ1世が亡くなり息子が即位、ヘンデルもイングランドへの帰化が認められあの「戴冠式アンセム」を作曲するなど節目の年であった。題材がイギリス王室賛美という事もあり、今一つイタリアオペラ色が薄いのもそのせいかもしれん...
ヘンデルらしく豪快にティンパニやトランペットが鳴り響く曲もあるというのに今一つ乗り切れないんだ、残念ながら。
後期の英語作品でも「アタリア」「アレキサンダーの饗宴」「サウル」「イェフタ」等、歌に溢れた素晴らしい作品だと思うのに、この「リチャード1世」はそれほどでもないにせよ、「オルランド」「ソロモン」あたりはひたすら退屈じゃないか?ヘンデルの主要作品はほとんどロンドン初演なのにこれほど違う作風が混在しているというのも謎だが、やはり歌手や題材に応じて作風を柔軟に変えていたんだろうね。単に好不調の差だけではないのだろう。

自分はというと、やはり初期からつづくイタリア様式こそヘンデルの神髄だと思う。「メサイア」第3部冒頭のソプラノのアリアなどベルカントの極致ではないか。合唱曲に見られるゴージャスさ、雄大さもヘンデルの魅力ではあるのだが、この2つの要素の絶妙なブレンドこそヘンデルの魅力だと思うし、私のような不勉強な現代人にも彼のオペラは分かりやすいんだと思う。

A.スカルラッティやリュリなども最近随分録音が増えて、聴けばヘンデルのルーツも分かるしよりバロック音楽の深みも理解できるようになるんだろうが、個人的に未だそのような境地には達していない。
つーかヘンデルだけで作品数が膨大だしなかなかその手の玄人的なバロックオペラには手を出せないのもある...

この頃はGLOSSAのカンタータシリーズの「クローリ、ティルシ、フィレーノ」なんか久々に聴き返して初期作品の面白さも再認識するし、ホントにヘンデルは奥が深いですなあ。リュート・チェンバロの伴奏もいかにもラテン系でイタリアンな風味が利いた演奏なんだけど、柔らかく品がある演奏で素晴らしいのである。ガーディナーともミンコフスキともヤーコプスとも違うこういうタイプのバロック演奏こそ、主流になってほしいね。本作では大したことなかったがヌリア・リアルも参加しているこのシリーズも、高いけどそのうち集めなきゃな....

さて、そろそろゴールデンウィークだが...
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バロック回帰な日々....

2012-03-24 21:35:33 | 音楽(独墺・英語圏)

3月になってからは初の、久しぶりの更新。

このところブログで取り上げたい傑作ディスクは多々あったんだけど、なぜか新記事をupするほどの気力は湧かなかった。筆が鈍らないように、今日はかるーく更新ということにする。込み入った話は、また今度。

ヘンデルの「アルチーナ」、ミンコフスキ指揮を聴く。

80年代末のデビュー当初からずーっとヘンデルを取り上げてきて、90年代以降のバロックオペラ・ルネッサンスを牽引してきた感があるミンコフスキ。近頃はガーディナーみたいにモダンオケやロマン派への展開が多くなってきていたと思ったが.....

久々にバロックの王道ともいえるヘンデルのオペラでヒットを出してくれました(2010年11月、ウィーンでのライヴ)。

このところヘンデルは食傷気味というか、少なくともオペラに関しては完全に御無沙汰であったわけですが、やはり素晴らしいですね、ヘンデルの音楽は。こうして舞台の映像つきで味わうとなおさら。
かつてのミンコフスキのオペラ演奏は、ひたすら強引なテンポで突っ走るばかりで底の浅さを感じたものですが、最近は随分緩急わきまえた演奏ができるようになってグレードアップしましたね。Archivに入れた「ダルダニュス」「アルミード」あたりと比べりゃ進歩は歴然です。

演出も、保守的なウィーンの劇場ということもあるんでしょうけど、安易な現代化なんぞではなく古典的なもので誰でも楽しめるつくりになっていると思う。
私としてはドイツの劇場がよくやる「読み替え演出」とやらが大っ嫌いなので、こういう表面的な娯楽絵巻に徹した演出の方がはるかに好きです。そういやガーディナーの「トロイ人」DVDの演出もそんな感じでしたな。

肝心の歌の方では、カサロヴァ、カンジェミが随分トウが立っているというか衰えていて残念なんですが(特にルッジェーロ役のカサロヴァは許容範囲ギリギリという感じ)、全体のバランスが良くてドラマにグイグイと引き込まれます。とくに主役のハルテロスの存在感は絶大。あの巨大アフロヘアー頭は妖艶を通り越して不気味ですが。

それにしても話としては相当くだらない台本なのに、素晴らしい音楽の連続で予想外に楽しめる作品でした。ヘンデルの後期オペラはコロラトゥーラ等の技巧的な曲がなくなって、音楽的にはヌルくてつまらなーい、など思ってたが大間違いでしたな。
いつもながら真面目で王道をゆく音楽づくりで下手したら退屈するわけですが、こうして巧者の手でちゃんと演奏されると、ヘンデルの音楽は燦然と輝き、王者の風格を醸し出すというわけだ。

今まで代表作にもかかわらず大した録音がないと言われてきた「アルチーナ」だけどこのDVDの登場でクリスティやカーティス盤は用済みだろうな。下手に手を出さなくて良かった良かった。

あとヘンデルの劇場ものでもうちょっとレベルの高い新録音が欲しいものの代表格と言えば「イェフタ」でしょうか。これもミンコフスキがやってくれてもいいんだが。なぜか最近になってフィンランドのBISレーベルからビオンディ指揮のが出たが、モダンオケという事もあり買うには勇気がいる。
でも、たぶん地雷なんだろうなーと思いつつもそのうち注文しちゃうような悪寒....
ガーディナー盤も今聴くと相当つまんないので、どれほど酷い演奏でも金返せってほどダメージは大きいことはないと踏んでいるのだがどうだろうか。聴いた人感想よろしく。


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ジャンス・ルセによる「tragediennes3」

2012-02-01 04:17:51 | 音楽(フランス、スラヴ・オリエント系)
無事に、というか大学の全ての行事も終わり2月になった。そろそろブログ更新も再開しなくちゃと思うのだが、どうにもネタが思いつかない。2012年はまだ始まったばかりとはいえ、これから国内・国外ともに何が起こるか分からないというか、行く手に魑魅魍魎が跋扈しているような不気味な暗さを感じる。そもそも2011年3月11日以降予想を超えるような現実の前に,予定調和の世界に安住する大半の日本人は何も言えずに立ちつくしているようである。野田佳彦が首相をやってるなんて一年前誰が予想しただろうか?いわんや野田の次の首相をや、である。「戦後」をリードした人は次々と鬼籍に入り、私たちは今、巨大な時代の変わり目にあるのだ。

つい最近の1月13日にはグスタフ・レオンハルトも死んじゃったし。クイケン兄弟とかカーティスとかあのへんの古楽はどうも苦手で、今まで全然聞こうとしてこなかったんだけど、やはり戦後の一時代を築いた立役者であることは間違いない。というわけで本職のチェンバロではないとはいえ、残念ながらいままで全く持っていなかったレオンハルトもので手頃なCDを中古で拾ってみた。こういう時中古屋がそばにあるってのは便利だなあ。これについては近々取り上げるつもりだ。



ま、今回取り上げるのは前にも予告したルセ/ジャンスの「tragediennes3」なんだけど。このところ心躍らされるCDが少なくていまひとつ「予定調和の楽しさ」ってレベルのブツばっかりだったんだけど、こういういわゆる「名曲」ばかりじゃなくて未知の領域、それもオペラのレパートリーに分け入っていくような試みは大歓迎で、聞かないうちから胸がザワザワしてきますな。

「クラシック音楽」なんつーと、定番・お決まりの名曲を予定調和的に演奏してはい、おしまいみたいな世界だと世の知ったかぶったオジサンオバサンなんかは思っているかもしれないし、実際その程度の演奏しかできない自称プロ演奏家も日本にはゴマンといるわけだが、ことオペラに関してはやっぱり聴き手を本能的に揺さぶるようなパワーが必要であり、音楽家の真の実力が試されるものであると思う。今日本でまともなレベルのオペラ、いや歌舞伎でもミュージカルでもいいけどそのような聴き手の魂を揺さぶるような真の音楽を耳にすることができるだろうか?恐らくないだろうね。
一流と三流を聞きわける耳さえ持たず、やれスノッブ的な専門用語をまきちらかして「文化」だ「げー術」だの語る人たちにはウンザリである。そして無粋な多くの一般人はテレビのバラエティ番組程度しか理解できず、芸術はますます一般大衆から隔絶され干からびた知識階級どものオモチャになるのである。やれやれ........公営オーケストラの削減論とかこのところかまびすしいわけだが、どうせ明るい未来も開けないんだし民営化なりなんなりしちゃったらどうだね。もしくは橋下や石原をテーマにした新作オペラでも上演してみるとか。話題にもなるし日本の怠惰な音楽・芸能界に風穴をあけられると思うんだが(笑)



ついつい脱線してしまったが、やはりオペラはいい。ちゃんとオペラのツボというものを理解した人たちが揃うととんでもないレベルの感動をもたらしてくれるものである。このところオペラ全曲新たに聞くような気力もなくてこういうアリア集を手頃に楽しむほうがいいものだと思えるのだが、やはりオペラは全曲通しで味わってこそである。ついさっきもシャイー指揮のロッシーニ「イタリアのトルコ人」に聴き入ってしまった。このレベルのクオリティでロッシーニほか全てのベルカントオペラが楽しめればいいけど、なかなかそうはいかない。

で、今まで定番にこだわらない意欲的なプログラムで、フランスのオペラの歴史をたどってきたジャンス/ルセのこのシリーズも、もう最終の第3弾まできてしまった。ジャケットにある通り今回はロマン派のヒロイン、ということで19世紀作品が中心、後半の収録曲ではベルリオーズに加えて、マイヤベーアやマスネーまで取り上げてしまっている。こうなりゃ買うしかあるまい、としか言いようがないラインナップである。前回にも増してレアな作曲家・レアなオペラのオンパレードでもあるし。

ただ、二人とも古典派以前がホームグラウンドという事で、いまいちロマン派の演奏にはぴったりとはまっていないような気がするんだけどね。ジャンスの声も聞き苦しいレベルではないとはいえ大分年とってキレがなくなってきたような感じも否めない。
それでもやはりこの人の歌いっぷりというのはいつものように素晴らしく、「プロ」だなあ〜ってしみじみ思うんだけれど。瞬間的な声の色香で聴かせるような歌手もいいけどジャンスは演技力も含めて総合力で感動をもたらしてくれる人である。

曲の方だけど、一曲一曲詳細に書いていくような知識はないし時間もない。グルックの「トーリードのイフィジェニー」以外は前半の曲はどれも未知のオペラばかりである。聞きどころはやはりグルックとその弟子であるサリエリの「ダナオスの娘たち」だろうか。とはいってもサリエリは序曲のみで、アリアなどは聴けないけど。モーツァルトがらみでいろいろ言われるサリエリだけど、少なくともこの序曲一つとっても高い実力が窺えるし、古典派時代のドニゼッティと言えるぐらいに評価もされていて当然ではないだろうか。サリエリといえばかつてアーノンクール指揮の「劇場支配人」のカップリングで短いオペラの抜粋を聞いたが、なかなか良いものであった。そういえばルセはサリエリの「トロフォーニオの洞窟」とかいうブッファの録音があるんだったな。そのうち入手する機会があればいいが。

そのほかゴセック、メユールといった革命期の中途半端にメジャーな?作曲家のアリアも収録されている。メユールといえばかつてクリスティ指揮の「ストラトニス」というオペラを聞いたが、純フランス的な抒情的オペラ・コミークを得意とした人だろうか。ある意味ビゼーとかもこの系譜に属するのかもしれないが、個人的に全くピンとこない作曲家である。今回の「アリオダン」のアリアも大して心に響く事のない小物って感じがする(笑)ミンコフスキ指揮の交響曲は未だに聴いた事ないし、小物は言い過ぎなのかもしれないが。
ゴセックの「テゼ」これも全然知らないオペラだが、1782年と革命前のトラジェディ-リリクでリュリやヘンデルのと同じ筋書きの魔法使いものなのだろう。敵役のメデが歌うアリアはクライマックスのものなのだろうが、かなり盛り上がる。

バロックの延長のようなゴセックの後はいきなりマイヤベーアの「預言者」で、いきなり空気はロマン派に一変する。個人的にマイヤベーアやオーベールが活躍し、ドニゼッティやヴェルディといった外国人がこぞってグランドオペラを作曲したこの時代こそフランスオペラの全盛期だと思うのだが、いまいち当時の代表的人物であるマイヤベーアの人気はぱっとしない。「預言者」もこの短いアリアで聴く限りとても良い曲なのに。ルセ指揮のオーケストラももうちょっとコテコテに盛り上げてくれた方が作風にあっているかもしれないが。
前作の「2」につづきベルリオーズの「トロイアの人々」からの音楽の後はさらに時代が下りサン・サーンス「ヘンリー8世」、マスネ「エロディアード」といった、時代としては後期ロマン派に属する人たちによるアリアが登場する。

ワーグナー以降のコテコテのロマン派は嫌悪する自分(ヴェルディ、プッチーニも同様)としてはこの辺の作曲家のオペラはなかなか手を出しづらいところがあるのだが、どちらもコテコテのロマン派、でも素直に楽しめる曲で感動ものであった。
マスネーといえば「タイース」やピアノ協奏曲などこの時代にしてはベルカントを引きずったような「歌」や茶目っ気もあり物凄く魅力的な作曲家だと思っているのだが、ライバル(?)のサンサーンスも負けていない。有名なピアノ協奏曲なんか聞くと時代遅れの化石作曲家(失礼)にも思え全然魅力を感じないのだが、ここに収録された「ヘンリー8世」の音楽のなんと繊細で官能豊かな事よ。ちょっと見直してしまったぞ。

最後に何といってもこのCDの最大の聴きどころであり、これだけのために買っても損はないだろう、といえるのがヴェルディ「ドン・カルロ」からの一曲。ヴェルディといえばもちろんコテコテのイタリアオペラの作曲家なんだけど、この「ドン・カルロ」「シチリアの晩鐘」といった作品はパリ・オペラ座のために書かれたというのは有名な話ですよね。

ヴェルディといえば「トラヴィアータ(椿姫)」「仮面舞踏会」では音楽のあまりの陳腐さに失笑(または眠気)をもよおし、かろうじて「運命の力」は楽しめたってぐらいに苦手な作曲家なんだけど、どちらかというとこれのようなグランド・オペラ形式の作品の方が楽しめるのかもしれない。この「ドンカルロ」のアリアは何度聞いても素晴らしく、はじめて?ヴェルディの音楽で感動してしまった。やはり演奏家の力というか、古楽出身の音楽家ということもあろうが言葉に即した音楽の自然な盛り上がりを会得してるからこそだよね。逆にいえば普通のヴェルディ演奏がいかにワーグナー・プッチーニ的な後世の歌唱スタイルによって汚されてしまったというのも言えるのかもしれない。実際はこのジャンス・ルセのようなベルカントの延長線上にあるようなスタイルこそヴェルディの本来の姿なんだろう。ロマン派らしく何とも雄大で感動的なメロディーはほんとうに素晴らしい。やっぱりオペラはいいなー。

ただ、バロック中心の第1弾から聴いてきて残念に思うのは、ルセ指揮のオーケストラにあまり華がないこと。作品の解釈的に問題があるわけじゃないんだけど、どうもオペラらしく肉汁があふれんばかりのゴージャスな興奮を味わうという点ではやや物足りなく、virginにしてはマシな録音にもかかわらず、バレエ音楽等器楽パートではかなりの不満を感じてしまうのもまた事実。

ミンコフスキやガーディナー等、ロマン派のレパートリーでも古楽オケで難なく聴かせてしまう人もいるが、いまいちこのルセたちの演奏はイマイチこなれていない感じを受けてしまう。特に舌っ足らずな木管楽器を聴いていると、ちょっとモダンオーケストラでもいいんじゃないか、と思えるのも事実であって。このルセの色気のなさというのは師匠のクリスティゆずりで昔から変わらないんだなー、と思ってしまう。オワゾリール時代の初期の録音に始まって貴重なオペラを取り上げる事が多いルセだけれど、いまひとつ個人的にそれらに手が伸びる事がないのもそういうのが一因にあって。

ま、なんだかんだいっても2011年発売の新譜のなかではかなりのヒットである事は間違いないですが。やっぱりオペラは素晴らしい!!
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ビオンディのボッケリーニ曲集

2012-01-13 18:05:52 | 音楽(イタリア・イベリア・ラテン系)
・今日1月13日は内閣改造が行われた。問責2大臣の処分と、前年末の消費税政局による支持率低下への対策だろうが、これで民主の党勢は上向くのかどうか。まだ内閣発足4カ月ちょっとしか経ってないんだけど。
とりあえず岡田副総理ってのが目玉でしょうが、これから何とか行革・税制改革等総選挙への実績を残したいところだろうか。
ま、民主党は既に期待されていないとはいえ、次回の総選挙はそう簡単に自公圧勝、民主惨敗とはいかないような気がする。各選挙区を見ればわかるけど、何だかんだいって現与党優勢の選挙区が4割ほどあると思うので。というわけで何が何でも郵政選挙並みの民主惨敗などというネット上に溢れる言説は信用できない。ま、分からんけど。
自分は自公の躍進も、胡散臭さプンプンの「第3極」の台頭にも期待してないんだが、とにかく今年中か来年初頭までには行われる総選挙は今までにない乱戦で面白いものになると思うんだ。かつて1993年や1996年にあったように、投票率が下がってハング・パーリアメントの再来もあるかもしれん。総選挙がいつになるであれ、個人的に谷垣首相ってのは絶対ありえないと思っているんだがね。

・このところどうにも冴えない日々が続くので気分転換として久々に新宿のタワーレコードに行ってみる。かつては東京に行くたびに通った事もある馴染みの店だったのだが、ディスクユニオンで中古盤を漁るのに慣れてからはすっかり行かなくなっていた。
渋谷店は立地的に行きづらい所にあるのでほとんど行った事がないのだが、この新宿店もそれより品揃えは劣ると言われるもののなかなかのものだと思う。ま、目当ては最近立て続けにタワレコ独自に復刻された初期MAKの録音だったんだけど。とりあえず81年もののバッハ/トリオソナタ集と、ついでに1680円と安売りされていたサヴァールのヴィヴァルディ協奏曲集をゲット。機会があればまた来よう、と思わせる収穫もあり良かった。いつもHMVのネットショップかディスクユニオンばっかだとどうしてもマンネリ化のきらいがあったからね、このところ。
それにしても新宿店8Fのクラシックコーナーだが、古楽・現代音楽の棚は随分分かりづらい場所にあるんだね。今回初めて気づいたよ。テレマンやヴィヴァルディは普通のクラシックの棚にあるのに、これはどうにも不可解だ。


やっと本題。12月にHMVから届いたこのビオンディ/エウロパ・ガランテのボッケリーニの新録音だが、このところ体調不良が続き、ようやく今になってじっくり腰を落ち着けて聴く事ができるようになった。それにしてもこの録音、発売時から目を付けていたものの、今一つ個人的にビオンディとの相性が悪いと思って敬遠していたのだが、面白いです。
噛めば噛むほどスルメのように面白いと言うのか、選曲も演奏も最高で、あらためてボッケリーニの天才性、室内楽の愉しさを思い知らされる。
弦楽ばかりの地味で単調な編成ばかりと侮るなかれ、色彩感やめくるめくスリリングなリズムの応酬もありある意味ハイドン以上に多彩な曲調で、飽きさせない。
なんというかやはりラテン的というのか、各楽器の絡みが何ともエロティックで、まぶしい。ノリに任せて突っ走る部分はなんというかバンド的で、独墺の端正な「クラシック音楽」とは違う魅力があって好きである。(同じラテン系といってもヴィヴァルディやロッシーニは「水」の音楽でボッケリーニの「油」系統の音楽とは全く違うと思っている。どちらかというとD.スカルラッティやベルリオーズ、マスネなんかに近く、南欧の乾いた風を思わせる音楽だ。それにしても「マドリッドの夜警の行進」って何となくベルリオーズっぽく感じられませんかね?「18世紀の印象派」という評価も至極納得である)

収録曲も弦楽三重奏から六重奏、初期から後期作品までバラエティに富んだ内容で素晴らしい。前に買った作品25からの録音ではややワンパターンなビオンディ節が鼻につきあまり楽しめなかったが、今回の録音はいつもの癖はあるとはいえ、洗練度が増して安心して楽しめる出来になっていると思う。何気にビオンディって初期のOp.47からはじまりボッケリーニ演奏はヴィヴァルディと並んでライフワークとも言える存在なんだよね。

曲はどれも素敵で、しぶーい序奏的アダージョがついた五重奏曲Op.45-1,ボッケリーニお馴染みの循環形式(というのか?)と横に流れるリズムが楽しい四重奏曲Op.41-1,どちらも円熟期の傑作と言えると思うんだけど、より素直な歌が楽しめる初期の2曲も劣らず魅力的です。三重奏曲Op.14-4の冒頭は何となくハイドンの「ひばり」を思わせるけど1772年とこっちの方がずっと作曲時期が早いんだね。ハイドンよりも突き抜けた屈託のなさと明るさがあって好きな曲です。
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2012年開始にあたって

2012-01-11 00:29:13 | その他
今年になってからは初めてであり、最後の更新からほぼ20日ぶりの更新となる。毎日それなりにお客さんも来ているようだし、少なくとも私のブログを楽しみにしてくれてる方がいるとしたら申し訳ない。

はっきり言って2011年後半は個人的に何も実りがなく、ダラダラと時間ばかりが過ぎてしまったという印象が強い。やらなきゃいけない事はいくらでもあったはずなのだが、何もかもおざなりで後回しになってしまった感がある。この点もっとも反省しなければならない点である。

だが2011年と言えばあの東日本大震災があった年である。今でこそ衝撃も薄れたとはいえ、3月11以降の地震・津波・放射能漏れの三連コンボによる心理的なインパクトというのは計り知れないものがあったと思っている。とくに地元が茨城という事もあるし、なおさらあの震災というのは他人事ではなかった。
というより原発からの放射能漏れにより否応なく「ヒバクシャ」にされてしまったんだし。
2010年に比べても体調が悪かったし、原発事故による直接的・間接的精神へのダメージというのは大きかったのは間違いない。とくに10月以降ははっきり言って「鬱」状態の再来であり、記憶力や様々な点で随分衰えを感じたものだ。
自分のようにたまに茨城に帰省するぐらいで東京に住んでてこうなのだから、福島県内の住民が現在体験してるであろう苦痛というのは想像に余りある。

しかし年も改まった事だし、ここら辺で負の連鎖というのは断ち切りたいもの。

相変わらず先の見えない世の中なのは変わらずとも、少なくとも2012年はいろいろ政治的にも動きもあって面白い年になると思うし。
齢20歳にして人生絶望などしてはいけない、何事もポジティブに攻めの姿勢でかかっていかなければ人生幸福などありえないとおもっている。

このブログもいつまで続くかは分からないが、今年はいい年だったと笑顔で言えるような1年にしたい。


最近の買い物

2011年はCD・DVDふくめて100枚も購入という、未だかつてない大量出費の年となってしまった。それほど音楽にのめりこんでいたわけじゃないのだが、正直惰性で何となく無駄な出費が増えてしまった感じだ。ま、近くで中古品が入手しやすいためもあるが。2011年はベルリオーズ「トロイ人」DVD等心から素晴らしいと思えるディスクはあったが、オペラ・声楽関係では随分ハズレをつかまされてしまったという印象はぬぐえず。
とくに、
・チマローザの「オリアーツィ家とクリアーツィ家」ホフシュテッター指揮(OEHMS)
・ロッシーニの「ギョーム・テル」パッパーノ指揮(EMI)
・ロッシーニの「チェネレントラ」リッツィ指揮(TELDEC)
は個人的に大ハズレだった。今年発売の「ギョーム・テル」など某レコード雑誌の賞をもらうなど一般的には名演とされてるのかもしれないけど、正直言ってこれほど酷いロッシーニ演奏と言うのはなかなかなく、ムーティのイタリア語版DVDは当分の間手放す事はできなさそうだ。
オリジナルのフランス語版なんだし、言葉に即した丁寧な演奏を期待したのだが、まったく正反対のガサツな指揮にびっくり。歌手も弱体で、ロッシーニやベルカントの演奏家というのは(一般の印象とは違い)今世紀に入ってから払底しているという印象は強まるばかり。つーか、エドウィージュ役にマリー・ニコル・ルミューなんか使うんなら第4幕のマティルドとのデュエットとか、貴重な見せ場をカットするなよ。解説には盛大なプリント・エラーもあるしで、EMIのクラシック分野に関するやる気のなさというのをたっぷりと見せつけてくれた。ま、メジャーレーベルの時代は終わりなんだろうな...


この分野に関してはミンコフスキ等古楽勢のさらなる進出を待つばかりだ。11年発売の新譜としてはソプラノのレージネヴァのアリア集は良かったし、ベテラン、ヴェロニク・ジャンスによる「tragedienne」シリーズは、最終の第3弾も貫禄の出来ばえで、今年のベストともいえる素晴らしさだった。まあルセ指揮のオーケストラにもうちょっと華があればとか、思う所はあれど、「3」も近日中にこのblogにてレビューする予定だ。

その他には「ロメオとジュリエット」「楽園とペリ」等、ガーディナーの良さというのに気付いた年でもあった。かつては味気ないだけの指揮者とばかり思っていたが、この2つと「トロイ人」DVDは何度も繰り返し聴くお気に入りとなってしまった。特に「トロイ人」アントナッチ、クンデ等ベルカント歌手とパドモア、ドゥストラック等古楽出身歌手との共演が楽しくて。ドイツ音楽よりむしろ、ベルリオーズの音楽というのはロッシーニからの影響がかなり大きいのも分かり、個人的には大きな発見であった。例のパッパーノ指揮のやつの解説にあったが若い頃ベルリオーズは「ギョーム・テル」初演時の出版譜の作成スタッフとして参加していたとか。本来オペラ作曲家志望であったわけだが、どうも少なくとも日本のクラオタ界ではこの辺のつながりなど全く意識されず彼は単なる交響曲作家としか思われていないのが残念である。ま、オペラ自体に根強い偏見を持っており別ジャンルだと思っているクラシックオタクが多いのは日本特有の悲しい現実であるが。
「オペラ=ブルジョア的だからダメ」みたいな、戦後の左翼チックなアホな妄言をのたまうクラヲタがいまだに多い以上、日本でこのジャンルへの新規参入が少なくファンの高齢化が著しいのもしょうがないよなあ、と思ってみたり。

何度も言わせてもらうが、オペラや声楽曲こそクラシック音楽の華であり、西洋音楽全体を通じての頂点だと思うよ。よく知ったかぶった馬鹿クラヲタが言うような器楽対声楽、絶対音楽対標題音楽なんてアホなくくりは存在しません。「音楽=言葉」これが全てじゃないか。



マンガに関しては「藤子・F・全集」がついに第3期突入という事で再び火がついて、このところ毎月2冊新刊を購入するという事が常態化している。初収録や未読作品をよめるのは純粋にうれしく、これからもこの調子で藤子マンガに対する出費は続いていくだろうと思う。FFランドも3分の1ちょっとと(現在104/301)、随分深入りしてしまったのでこれからもズブズブと完全収集への果てしない道のりが続いていくのだろう....
藤子以外では西岸良平の「鎌倉ものがたり」が好きで、このところちょっとハマった。一番有名な「三丁目の夕日」は特に好きじゃないけどこの作者、藤子っぽい毒のあるユーモアやSF性もあり、割と好きなのです。
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ファゾリス/バロッキスティの「四季」

2011-12-19 22:42:48 | 音楽(イタリア・イベリア・ラテン系)
今年は訃報が多い、と思っていたらなんとなんと、金正日総書記死去とのニュースが。(大学は午後からという事もあり)昼下がりになって起きてみたらコレで、寝ぼけていたため個人的衝撃度という点では今一つだったが、これから国際情勢的にも色々な事が起こってくるのかな。ビンラディンやカダフィに続いて今年聞いた訃報という点ではたしかにここ最近では類を見ないほどの衝撃度なのは間違いない。歴史の濁流はますますそのスピードを増している。

東京のどことは言わないが自衛隊のジープも走っていたし、日本国内でも不測の事態を備えて厳重警備体制がしかれているのだろう。

ま、この所支持率が下がりっぱなしだった野田内閣も増税などの重要問題から一時的に目をそらせる事が出来てラッキー、と思ってるのかもしれないけど。
2011年はもう残り少ないが、来年はどんな年になるのかは全く想像がつかない。

日本でも恐らく実施されるだろうがアメリカ、ロシア、フランスでも来年は選挙だし、韓国や中国周辺の情勢も今回の事もありますますキナ臭さを増してくると思われる。

来年の事を言うと鬼が笑うという言葉があるが、どんな結果になるとはいえ来年は面白い年になることは間違いない。個人的な面でも今年より楽しく実りある年にしなくちゃね。





今さらながらヴィヴァルディの「四季」を聞いてみる。ファゾリス指揮イ・バロッキスティによる演奏で(claves,2001録音)。ソロはおなじみドゥリオ・ガルフェッティ。ガルフェッティと言えばマンドリン奏者としても有名でこのブログでもいつか彼が演奏するマンドリンとフォルテピアノのための曲集を取り上げた事がある。

さて、「四季」であるが、この曲バッハのブランデンブルク協奏曲、ヘンデルの王宮の花火の音楽等と並んでバロック音楽の定番中の定番である。もちろん録音も多いがありきたりな名曲だからと言って決しておろそかにしてはいけないと思う。実際名声に見合うだけの素晴らしい曲だと思うし。

とは言っても私が所有している「四季」の録音はこれとDHMのフライブルク・バロックだけなんだけどね。イ-ムジチとかの古典的なモダン楽器演奏も幼いころ耳にした覚えはありますが。




この演奏だけど、予想通りというか期待を裏切らないというのか、ラテン系アンサンブルにありがちなアグレッシブなものである。ビオンディやかつてのイル-ジャルディーノでお馴染みのいわゆる「タテノリ古楽」って奴ですな。ドイツの団体のFBOの演奏も発売当初は過激などと言われたらしいが今聞くとどうって事ないオーソドックスな演奏にしか思えないし、この団体のような押し出しの強く、奏者の自発性にまかせて突っ走るような演奏はやはり彼らラテン系の人たちにしか到底できないだろうな。
ある意味日本人と最も対極に位置する集団と言える。


で、この演奏の特徴と言えば各所で弦楽合奏だけでなくオーボエやリコーダー等の管楽器によるオブリガートが付いている事(もちろんヴィヴァルディ自身によるver.ではなくて)。そのため音色の印象としてはものすごく「濃い」ものとなっている。
コレッリやヘンデルのコンチェルト・グロッソでも管楽器の追加は普通に行われていたというし、まあこういう自由なアプローチも全く「あり」だと思うし、どんどんやるべきだと思う。何せ元になったソネットの表現という点でもますます、作品の持つヴィジュアルな色彩感が生きるしね。

「春」の冒頭から弦楽器に加えてリコーダーも加わりなんとも清々しいし他の部分での管楽器の追加も無駄に作品のバランスを崩すという事はなく、大体適切な使用という範囲にとどまっている。「春」の終楽章でハーディ・ガーディのような楽器(イタリア語ではジロンダというらしい)の音が聞こえてくるのは最高に快感で、もちろんバグパイプの音色を模しているのだろうがこの部分だけは完璧に素晴らしく、何度も繰り返し聴きたくなるほど魅力的なものである。

つづく「夏」の疾走感も最高で、終楽章では期待通り怒涛のような攻撃的演奏を聞かせてくれるんだけど、だんだん曲が進むにつれてイマイチ新鮮度が薄れていくように感じられる。とくに「冬」、あっという間に突っ走って終わってしまうといった演奏であり正直印象に残らない。「春」の時点では最高に近いパフォーマンスだと思ったのに。どうも季節が進むごとに演奏の面白みも薄れていってしまっているようである(笑)
ヴァイオリンソロの方もやや荒っぽさや強引さが否めず、オノフリやモンタナーリ、ビオンディといった一流奏者には少し及ばないように思う。

狙ってやっているのだろうが少しリラというかヴィオールっぽい薄い音色で、装飾の面でもカントリー風の情緒を出そうとしていてこの点かつてのゲーベルを思い起こさせるが、正直はまっていないというか、下品に聞こえるような場面も多々ありやや残念である。

全体的な印象としてはかろうじて悪趣味になる寸前で踏みとどまっているという感じであり、FBOの寒色系の演奏とは対照的ないい演奏ではある。
ただガチャガチャやるだけでなく演奏に血の通った温かみも感じられるのはやはり合唱指揮者でありオペラにも精通するファゾリスのおかげなんだと思う。
自分としてはヴィヴァルディの演奏はアレッサンドリーニのようなスマートで細身の演奏のほうが好みではあるんだけど、それは措いといて。

ちなみに「四季」の他にもカップリング曲が豪華にも4曲収められておりこちらもなかなか良い演奏である。マンドリン協奏曲RV425,「アラ-ルスティカ」,弦楽協奏曲RV128,そしてヴァイオリン協奏曲「ポストホルン」という顔ぶれだが、どれも有名曲なのだろう。RV363だけは初めて聴く曲だがマルコン/VBOのCDに入っていた「コンカ」というシンフォニアとそっくりな曲調であった。ヴィヴァルディにはよくある事だがまさに「類似品に注意」である。RV128という協奏曲もアレッサンドリーニのCDに入っていたRV273とどこが違うんだろう。

というわけで新鮮な感動を味わうという点では十分とまではいかなかったが、これら4曲も悪くはない演奏であった。


ヴィヴァルディと言えば少々飽きていた時期もあったがやはり面白い作曲家でありこれからもさまざまな未知のアルバムに手を出していってみたいと思う。

今のとこサヴァールの奴が気になるが、キングやチャンドラーといったイギリス系のまったりとしたヴィヴァルディというのも悪くないんじゃと思っている。あとカルミニョーラの演奏も、あまり好きじゃないと言ったとはいえ、SONYやDIVOX時代のものは全く持っていないのでこちらも中古で見つけたら是非是非手に入れたいと思っている。
ことオペラに関しては以前カーティス指揮の何かで煮え湯を飲まされた経験があり、未だに手を出す気になれないんだけど。


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ルクレール「tombeau」

2011-12-11 14:27:20 | 音楽(フランス、スラヴ・オリエント系)
さて、今年も残りわずかとなってきた。少し日にちが空いてしまったが、ブログの更新は定期的に続けていきたい。




一年で最も日が短くなってくるこの頃、どうしても調子も上がらず生活も単調になりがち。そういう時はハイドンの室内楽みたいな落ち着いた音楽のほうが気分に合っている。

ハイドンでもいろいろ取り上げたいCDはあるのだが、このところよく聞いているのはαレーベルのルクレールのCD。

αレーベルと言えば独墺中心の伝統的な「クラシック」音楽とは違う肩肘張らないオシャレな音楽の形を提示してくれるレーベルであり、古楽ファンを中心に日本でも根強い人気を誇っているのはご存知の通り。
一般的にはマイナーとされるレパートリーの開拓にも熱心で、その点かつてのOPUS111を彷彿とさせる。

演奏・録音ともに自然体を売りにしているのか、どのCDも十分にクォリティは高いとは思うものの今までハッとするような名演には出会って来なかったと思っていたが、久々に聞いてみたこのフォリー・フランソワーズのルクレールは良かった。

リーダーでヴァイオリンのソロを取っているパトリック・コーエン=アケニヌはどちらかと言えば渋くて地味な音色で当初は物足りなさを感じたものの、今聞いてみるとこのある種の渋さというのが素晴らしいと思える。

やはり良いCDには熟成期間というものがあるようで、聞き手の耳の進歩とともに音楽の捉え方というものも変わってくるのだと思う。

ルクレールの音楽の品位の高さ、格調の高さというのも初心者には取っつきづらい面もあると思うのだが、一本気なヴィヴァルディや庶民的なテレマンとも違った美があり、個人的には両者に匹敵するほどこのルクレールという音楽家の作品は魅力的だと思っている。

ロココ時代というかフランス音楽の特徴でもあるが、何となく洗練されてはいるが女性的で浮世離れしてるという面もあり、その点好みを分けると思うが、前にも言った通りイタリア様式とフランス様式が融合したルクレールのような作風は自分としては大好物なのである。

協奏曲、序曲、そしてヴァイオリンソロのためのソナタが3曲と、多彩な選曲がされているが、どれも推敲に推敲が重ねられているのか、全く細かいところまで細工の行き届いているというのか、全く非の打ちどころのない作品ばかりである。ヴァイオリンのもつ歌謡性というのが十分以上に生かされており、その点やはりコレッリの後継者というのか、イタリア音楽からの最も良い影響が現れている。

初めの4曲までは美しい弦楽器の響きに身を委ねるのみ。序曲、ソナタとも「雅」という言葉がふさわしい、全く以てロココ調というべき逸品。

ちなみにトリオソナタの編成で演奏される序曲Op.13-3はかつてLP時代のゲーベル/MAKの録音にも入っていた曲。(CD未収録作もあり入手困難なはずだが何故か安く手に入れることができた)

そして最後の協奏曲ではコーエン=アケニヌの超絶技巧とともに曲の素晴らしさに酔いしれる.....
ルクレールのヴァイオリン協奏曲って全部で何曲あるのか知らないが、この曲は文句なしに良い。
全楽章まったく非の打ちどころないほど素晴らしいと言って良いのだが、
特に終楽章、いかにもバロック的な厳めしいフーガ風のテーマで、バッハ一族などドイツ人音楽家が書きそうな曲調だと思うのだが、彼ら凡百の音楽家とルクレールを分けるものと言えばやはり溢れんばかりの歌心であり、この点でいえばテレマン含めドイツのローカルな作曲家など全く太刀打ちできないと思う。
この曲は何度聞いても素晴らしく、バッハやモーツァルトなんかのシンプルなヴァイオリン協奏曲と違って(それはそれで良さがあるんだが)真にヴァイオリンという楽器の魅力を味わうとしたらルクレールの作品に勝るものはないんじゃないかとさえ思う。

一応収録曲一覧も載せておく。

・序曲ニ長調Op.13-3
・ヴァイオリンソナタニ短調Op.5-7
・ヴァイオリンソナタハ短調Op.5-6(トンボー)
・ヴァイオリンソナタ変ロ長調Op.5-4
・ヴァイオリン協奏曲ト短調Op.10-6


ま、ルクレールに限らずヴィヴァルディとかタルティーニとかこの時代は素晴らしいヴァイオリン音楽の宝庫だけどね。まだまだこの辺自分にとって未知の領域が多く、今後の楽しみは尽きない。


素晴らしい音楽に浸っている間に時間はどんどん過ぎて行く.....こうして金にもならない自己満足なブログの更新をだらだらやっているうちに日はどんどん暮れてきた。

休日とはいえこの季節はもっと賢く時間の使い方というものを考えないと、何もしない間に月日ばかりが過ぎて行ってしまうことになる。

さ、勉強勉強.....

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F全集「ベラボー」「みきおとミキオ」購入!!

2011-11-30 01:16:12 | マンガ
今さらだけど大阪ダブル選、橋下一派の完勝だったね。まあ市長選の当選は想定内とは言え、知事選で橋下後継の維新の会候補が3年前よりも高得票率で圧勝してしまったのは正直驚きだった。まあ「大阪都構想」なんてのは集票目当ての看板であり、彼らの真のプランと言えば教育条例に見られるような左派勢力つぶしであり平松市長とそのシンパを放逐する事がこの選挙の主目的だというのはちょっと政治をかじれば分かる事だろうとは思うけど、無党派層というのは分かってて彼らに投票したのかね.....
はっきり言って政策も手法もなにもかも小泉・安倍時代の自民そのまんまだし、さんざん構造改革で痛めつけられたはずの大阪府民は哀れだとしか......
ま、反対派は次の機会を目指して頑張ってくださいとしか言いようがない、この件に関しては。
来るべき衆院選はどういう構図になるのかまったく読めたもんじゃないが、ああいう無責任で声だけデカい体育会的気質の人間がトップになる事は国にとってプラスになる事などないというのは戦前も戦後も散々日本は経験してきたのであり、今回の市長選のようにたとえ無意味であっても、民主・自民・共産含めて良識派が結集するという意義はこれからますます大きくなってくるんじゃないかと思う。もしかしたらこの国はとっくに発展の可能性など消え去って最早「詰み」の段階に達しているのかもしれないが.....



さて、先週は毎月恒例の藤子F全集の発売日という事で、新刊の「ベラボー」と第2期未購入の「みきおとミキオ」を買ってきた。

前にも言った通り初収録のない巻はよっぽどの事がない限り買わない事になっているので同時発売の「T・Pぼん◆廚蝋愼せず。
「ドラえもん」はほぼ毎回初収録があるのになぜ買わないのかと思われるかもしれないが、正直値段が高いのと食傷気味になっている事もあるので(熱狂的藤子ファンだった頃の私は「ぴっかぴかコミックス」「ドラえもんプラス」も未収録につられて毎回買っていたのだよ)。
今回の16巻は連載末期の初収録10本という事で普段よりそそられるものはあったが、どうせメジャータイトルだし安い中古待ちという事で、パス。やはり全集でしか出版できないようなマイナータイトルこそ新品で買う価値があるってもんだ。




今回の「ベラボー」も、今回の出版でしか日の目を見る事がないと思われる、超マイナー作品。帯には「単独タイトルでの初刊行!!」とあるようにかつてはFFランドの巻末や「ポコニャン」の初期の単行本の巻末にいくつか収録されていたのみで、雑誌掲載時の読者ならともかく全話読んだ人ってどれほどいるのかしら(←きわめてF先生的表現www)。

かく言う自分も「ベラボー」が掲載されている後期のFFランドは入手困難ばかりという事で、この作品は2話ほどしか読んだ事がなかったしそれほど面白いという印象はなかった、正直言って。
脇キャラなどアシスタントのしのだひでお氏に多くを依っている作品であり絵柄的に違和感が大きいというのも勿論あるし、F先生自体の絵柄もそれほど垢ぬけている時代のものというわけではないので。

だがこうして掲載順に全話通して読むとギャグマンガとして単純に面白いし、後年の「ドラえもん」のようなSF的スケールの大きさもありで、全編ワクワクしながら読めた。同時期の「21エモン」「モジャ公」と同じく絵は雑然としているけれど、「新オバQ」以後の小さくまとまった作風とは違う、荒削りなギャグの応酬が何とも言えないんだよねー。主人公のベラボーも、江戸っ子風のべらんめえ調で短気な所がF先生にしては新鮮。もちろん「ベラボー」という名前もそこから来ているんだろうが。
でもこういうズケズケ言う毒舌キャラこそF漫画の神髄なんだけどね。オバQしかり、パーやんしかり、ドラえもんも原作ではそういう面が強かった。

購入前は全然期待していなかったものの、良い意味で裏切られた作品でした。巻末の解説は順当にしのだひでお氏で、連載当時の裏話なども読めるし本当に貴重な一冊。





「みきおとミキオ」

これは正直言って惰性というかほとんど義務感のうちに買ったもの。第2期は藤子マンガから離れていたわけじゃないが随分取りこぼしがあってこうして毎月一冊ずつ買っているわけだが、なかなか店頭で第1期から全巻在庫が揃っているような店にお目にかかることはほとんどない。

基本的に本というのは発売時に買いそびれると初版でも返本・研磨済みのばかりしか手に入らなくなってしまう事が多いので、私のような中途半端なマニアにとってはこういう時Amazonなどの通販ではなく店頭在庫の売れ残りを探す事になる。

本当は今年1月発売の「モッコロくん」を探していたのだが、これが研磨済みのが一件あったのみで他の店では影も形も見当たらず。しょうがなくこの「みきおとミキオ」を買ってきた。

「みきおとミキオ」といえば相当マイナーな作品で連載も1年足らずで終わってしまったが、かつてのてんとう虫コミックス「ドラえもん」の巻末等で不思議とタイトルだけ知っていたという人も多いんじゃないかと思う。自分もそのクチで、藤子ファンになってからかなり早い時期に単行本を手に入れたという記憶がある。

タイトルや表紙だけだと随分購入意欲をそそるのだが、はっきり言ってこの作品何度読んでもちっとも面白くないです。
一話だけの初収録につられてコロコロ文庫版まで買ってしまって何回も読んでいるので今さらこのマンガについてどうこう言うつもりはない。強いて言えばようやく「ポンチがしゃべった」の回を読めて嬉しかったぐらいか。

個人的には同時収録の「バウバウ大臣」のほうがよっぽど面白く、こちらの方をメインのタイトルにしてほしかったぐらい。
こちらも初収録が2話ほどで、「みきお」と同じく中途半端なのだが、これまで唯一の単行本だったFFランド版を持っていなかったので、全部初読の作品であった。

内容は「チンプイ」のプロトタイプ的なものだけど、小学校低学年向けという事もあり、こちらの方がずっとあっけらかんとしてシンプルな作風。とは言っても全然手を抜いてるとは思わないんですが。

主人公のバウバウやミウミウ女官はじめ、藤子マンガおなじみの居候先の人たちも魅力的で理想的な児童マンガだと思います。

居候先の星野大二の父親がマンガ家というのも新鮮で、ちゃんとこの設定が最終回に絡んでくるのも素敵。

翌1977年から「エスパー魔美」で少年誌に復帰することになったため恐らくこのような尻切れトンボな連載期間で終わってしまったものと推測しますが、F先生自身も決して駄作だとは思ってなかったんじゃないかと思います。

「ベラボー」同様、極めてマイナーとはいえ多くの人にお勧めできる作品。







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訃報、訃報、訃報..............

2011-11-24 19:32:23 | 音楽(独墺・英語圏)

今年は訃報が多い。古楽のアーティストでもモンセラート・フィゲーラス(ジョルディ・サヴァールの奥さん)が亡くなったそうで(69歳)。
まあ彼女の全盛期の歌は知らないし、正直言って好きな声の歌手でもなかったのだが、ごく最近までサヴァールの録音に参加していたようだったのでこのニュースは単純に驚き。

それにしても普通の「クラシック」と比べて古楽の音楽家は意外と早死にが多いという印象がある。ブリュッヘンはじめ、本当に音楽にのめりこんでドラッグ等に手を出したりする不健康な人が多いのかもしれないが...って偏見かね?
でもアーノンクールのような、70年代の古楽草創期を築いた人たちと言うのはそろそろ活動を終えるか寿命を迎えるかの時期に差し掛かっているんだと思う。古楽だけじゃなくいろんな意味で今は時代の変わり目なのだ。


シューマンの「楽園とペリ」。
たまには趣向を変えてドイツロマン派でも聴いてみる。

はっきり言ってシューマンとかブラームスとかあの辺の作曲家の音楽って全然好きじゃなくて、今までシューマンのディスクなど一枚も持っていなかったのであるが、ひょんな事で買ってしまったのがこれである。

シューマンと言えば、所詮よくできたアマチュアというのか、いままで全然良いイメージがなかったんだけど。(「トロイメライ」等、一部を除いて聴いててほとんど拷問としか思えないピアノ曲の数々.....)

率直に言ってこのガーディナーとモンテヴェルディ合唱団による演奏は、良いです。

ドイツロマン派特有のアクが無くて素直に楽しめるシューマン。

シノーポリとかアーノンクールとか他にも録音はあるとはいえ、合唱団も声楽ソリストもたぶん発売されてるディスクの中では最もレベルが高く一流の人たちが揃ってるんじゃないだろうか。

主人公ペリがバーバラ・ボニーはいいとして、クリストフ・プレガルディエン、ベルナルダ・フィンク、ジェラルド・フィンリー、コルネリウス・ハウプトマン....
シューマンの生前は最も成功した作品とはいえ、正直もったいないような豪華キャスト。そしてもちろん歌の方も良いのであります。

ボニーもプレガルディエンも数々の録音で聴いてきたとはいえ、正直言ってこの録音ほど真価を発揮して素晴らしい歌を聴かせてくれる演奏は今まで知らなかったよ。何となく色気が無くて退屈な歌手とばかり思っていたので。
ボニーは知らないけど、プレガルディエンの2001年の「魔弾の射手」はボロボロ...という事でこの1997年の録音は
両者とも脂の乗った全盛期、キャリアの絶頂にあった頃の貴重な記録だと思います。

ストーリーはいかにもシューマンの嗜好を反映したメルヘン調で、間違ってもロッシーニやベルリオーズのようなリズムの躍動や劇性を期待してはいけないのだが、全編かわいらしいリートのような音楽が続き、ガーディナーの指揮の手際の良さもあって退屈せずに楽しむ事が出来た。

フィナーレの合唱付きのアリアなどベートーヴェンやウェーバーの延長線上で、はっきり言って作曲された年代からすると少々古風としか言いようがないのだが、まあ盛り上がるので許すとしようか。

浮世離れした夢見心地、というのか初めてシューマンの音楽を面白いと思えた作品であった。今はあまり聴きたくないが、何も考えずにまっさらな気持ちで聴くとかなり心に染みるものがある。今月前半は肉体的にも精神的にも不調続きであったが、そういうメランコリックな気分の時に聴くと実に気持ちよいのだ。ORRも、いつも以上にクリアで繊細な音色である。


ウェーバーの「オベロン」もそうだがこのガーディナーという指揮者はバロックよりもこういうロマン派音楽の演奏で真価を発揮するようである。
ベルリオーズの「トロイア人」も良かったが、決して味気ないなどといって過小評価してはいけないと思う次第。

が、ガーディナーとモンテヴェルディ合唱団のもってしてもカップリングの「ミニョンのためのレクイエム」「夜の歌」は退屈だ。はっきり言ってお経にしか聞こえない。

やはり自分にとってドイツロマン派はたまに聴くぐらいの感覚で良いのかもしれない...



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ミンコフスキの「イタリアのハロルド」

2011-11-19 22:52:47 | 音楽(フランス、スラヴ・オリエント系)


「イタリアのハロルド」といえば個人的にベルリオーズの中でも最高傑作だと思っている。これまでにガーディナー(PHILIPS),チョンミュンフン(DG)指揮のディスクを所有しており、このミンコフスキ盤は3枚目にあたる。前作のロッシーニに続いて出来立てほやほやの新譜を購入。

ガーディナー盤のあまりの素晴らしさに自分はベルリオーズに開眼してしまったと言っていいのだが、何でこの曲がそんなに好きかというとベルリオーズの曲の中でも最もまとまりが良い、という事もあるが、ラテン的躍動感、官能的で魅惑的なメロディーなど彼の音楽の魅力の全てがこの曲につまってると言ってもいいからなのだ。

よりオペラティックで劇付随音楽的な「ロメオとジュリエット」もその点素晴らしさはこの曲に匹敵すると思うのだが、如何せん長すぎて取っ付きづらいという面もあり、あまり初心者に勧められるような曲ではないと思うので。

で、「イタリアのハロルド」だが、第2楽章の「巡礼者の行進」、最終楽章の「山賊の饗宴」、これだけで歴史に残る傑作中の傑作といっていい。何という切なくてロマンティックなメロディー、スリリングで劇的な展開....

ベルリオーズというとすぐマーラーとかR.シュトラウスとかあの辺のドイツ人の長ったらしいだけの音楽と一緒くたにされがちだと思うのだが、難しいこと考えずに音楽の愉悦のみを追求したのがベルリオーズだと思っている。

ラテン的な明快さ、そしてケレン味たっぷりの演劇性という点ではバロック的でもある。ガーディナーやノリントン、ミンコフスキなど古楽をメインフィールドとする音楽家が好んで演奏するのも理解できる。


正直この曲はガーディナーORRの演奏がヴィオラ独奏のジェラール・コセともども完璧としか言いようがない演奏だったので(カップリングの「トリスティア」も最高!!)わざわざ買う必要もないと思ったのだが、このミンコフスキ指揮の演奏も負けず劣らず良いです。

古楽器ならではの音色の切れ味、ニュアンスの豊かさなどは正直ガーディナー盤の方が上だとは思うが、やはりオペラ指揮者ミンコフスキだけあって音楽の盛り上げ方の上手さというのは並ぶものがない。2002年にDGで録音した「幻想交響曲」は、良い部分も多々あるとはいえ、古楽ともモダンともつかず曖昧で切れ味の悪い音色で少々失望したのだが(ウィーン・フィルがピリオド-アプローチで演奏した感じと言ったらいいか?)、今回は正真正銘の古楽オケのみの演奏ということでミンコフスキのアプローチが遥かに良く味わえるものとなっている。かねてからミンコフスキが言っている通りノン-ビブラート原理主義ではなく、場面場面では盛大に使って効果をあげている。
やはり第2楽章など豊満で官能的な音楽に対してはビブラートを使う方がはるかに表情豊かになり、自然だものな。(「ロメオとジュリエット」のラブシーンも同様。この辺のすすり泣くようなレガート垂れ流しの音楽って、純粋な古楽ファンの中には拒否反応を示す方も多いかもしれないけど、私は大好きである)

そして最終楽章の盛り上がりはやはりミンコフスキ。骨太で豪快、痛烈極まりない演奏だ。パワーがみなぎり自然に体が踊りだしたくなる様な快感をもたらしてくれる。あんまり疲れている時は逆効果だが、この脳内麻薬の出まくる感動、これぞ音楽を聴く喜びだよ。日本のオーケストラもブラームスとかマーラーとかばっかやってないでこういう楽しい曲をやってくれよ。とにかく音楽なんて食欲や性欲と同じで気持ちよければOK、あーだこーだ理屈をつける必要はないのだ。とにかく誰でもいいから、この素晴らしい音楽を聞く人が増えてくれる事を望む。ガーディナー盤もとっくに廃盤だし、世間的には「幻想」よりはるかに知名度が低いマイナー作品とされているのかもしれないが。


ガーディナー盤のカップリングが合唱曲の「トリスティア」、チョン盤は「海賊」等の単発の序曲をいくつか収録していたが、今回のミンコフスキがカップリングに選んだのは「夏の夜」。これも負けず劣らずベルリオーズの最高傑作とも言っていい作品で、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターという元DGの超大物コンビによる録音である。

前にも書いたとおり私はこのオッターというメゾが全然好きではないので正直失望した。はっきり言って何を歌っても優等生的でオペラティックな色気というものが全くないのだ。ガーディナーなど、一昔前のバロック・古楽ものの録音にはウンザリするほど参加している彼女、実力も高いんだろうしファンも多いのだろうが、自分としては全く好みではない。「ファウストの劫罰」も複数回録音してるしこの「夏の夜」もすでにどこかで録音しているのだろうが、もはや超ベテランであるこの時の録音でさえ、衰えを感じさせることはあれど、ベテランらしい円熟味とか凄味のようなものは全く感じられず、ただただ退屈するのである。少々好き嫌いに基づいた偏見が入っている事も認めるが、やはりそうとしか言いようがない。低い音域用に移調されている楽譜を使っているのもマイナスで、この曲が持つフェロモンたっぷりで蠱惑的な雰囲気が全然生きていない。はっきり言ってvirginのヴェロニク・ジャンの時と全然違う曲に聞こえる。


まあ色々このディスクに関して文句をつけるべき点はあれど、やはりこの辺りのフランス音楽をやらせたらミンコフスキにかなう者はいないと思います。もうちょっと繊細さを重視してもいいかな?と思うことはあれど、素直に音楽を聴いたー!!という喜びを味あわせてくれる点では最高の演奏家であるのは間違いない。オッフェンバックやビゼーも好評だったが、これからはドイツロマン派や近現代ものに浮気することなく、この辺の19世紀までのオペラティックなレパートリーで勝負していただきたい。まずはロッシーニ(「ギョーム・テル」「コリントの包囲」)とマイヤベーアのオペラを希望(「悪魔のロベール」でも「ユグノー」でも何でもよし)。
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コワン・IGAのヴィヴァルディチェロ協奏曲集

2011-11-17 03:19:43 | 音楽(イタリア・イベリア・ラテン系)

ようやく東京も湿度が下がり清々しくなってきた。色々あったが2011年ももうすぐ終わり。
このところ気になるニュースとしては色々あるが、いくつか挙げてみる。

・大阪府&市長ダブル選

ネガキャン合戦も盛り上がりの表れ。橋下の好き嫌いの話は措いといて、どれくらいの票差、投票率で決着するかは本当に興味のある所だ。
ここん所選挙といえば超低投票率か、世論が一気に流れて名古屋の河村たかしみたいに圧勝というパターンばかりだったから、久々にこの選挙は面白い。どちらの陣営が勝つにせよ、真剣に火花を散らして戦ってほしいと思う。

・天皇陛下、体調不良が続く

いよいよ「平成」も終わりか.....不謹慎とはいえ先代とは違って、この元号はあと5年も経たないうちに改まってしまうんじゃないか...との予感が(結構自分の直感は当たるものだ)。この人が亡くなってしまった時、名実ともに日本の戦後は終わるのかもしれません。


・ヨーロッパ財政危機

ギリシャではパパンドレウ⇒パパデモス、イタリアではベルルスコーニ⇒モンティと、次々に財政破綻を理由として非・政党首班の内閣が登場。海の向こうの遠い話とはいえ、今は大恐慌も起こりかねない「非常時」であるという事だけは強く伝わってくる。
凡愚で平和ボケした日本人もいい加減目を覚まして、自国の状況に対して真剣に目を向けるべき時じゃないかと。



11月になって40%オフキャンペーンの時に注文しておいたHMVからの荷物が届いた。ミンコフスキのベルリオーズ「イタリアのハロルド」のCD発売に合わせて買ったものだけど、それは後でじっくり聴くとして、同時に買ったコワンのヴィヴァルディを今日は取り上げてみる。(他に買ったCDとしては、コジェナー/マクリーシュのグルック、alphaレーベルのハイドン・バリトントリオ。中古で買ったのもいろいろありこの所音楽に対する感度が鈍っているのだが、時期を見てそのうち取り上げるつもりだ。)

解説によるとヴィヴァルディの現存するチェロ協奏曲は28曲という事らしい。ファンならご存知の通り既にこのCDでソロを取るコワンと言えばオワゾリールでホグウッドとコンビを組んで3枚のCDをリリースしており、協奏曲9曲、ソナタは9曲(現存する全て)の録音は既に存在しているのであります。AAMは有名人が抜けた低調な時期ということもあり協奏曲の録音は今一つ乗り切れない所があるのだが、コワンのソロは絶好調で、個人的にヴィヴァルディ演奏のなかでは最もお気に入りの部類に入るものでした。


で、NAIVEの新録音はどうかというと。ジャルディーノ・アルモニコとの豪華コンビということで、私としては発売時から超「大本命」の録音であり、今までずっと買おう買おうと思っていて今回やっと手に入れたのだが。

第一印象としては、期待外れ。またもや自分の中ではVIVALDI-EDITION=鬼門という感覚が確かなものになってしまいました。いやロレンツォ・レガッツォのアリア集とか一度聞いただけで凄いと思うディスクもあるので、まだ自分の聴いてないものの中には名演奏が眠っているんでしょうけど....

ジャルディーノ・アルモニコといえば当然、軽快で爽快感あふれる演奏を期待するわけだが、この演奏は今一ノリが悪いというか音色にキレを感じずなぜか彼らの他の録音ほど楽しめるというわけではない。むろん録音のせいという側面も存在するのだろうが(ゼフィロの協奏曲集とかもこんな感じでした。NAIVEレーベルは全体的にヌメッとした感じの録音であまり良いものではない。前身のAUDIVISやOPUS111はそうでもないのに)

まあVIVALDI-EDITIONって、いちおう全集ではないけどそれに準じた、マイナー曲を発掘・録音するという目的のシリーズでもあるわけで、名演奏が少ない理由としてそれほど「曲」に期待できる面が少ないというのもあるかも。この録音ではRV414ト長調のみがコワンは再録音であとの6曲は初めて聴くわけだが(今までヴィヴァルディのチェロ協奏曲はコワン/AAMの2枚しか持ってないので)、イマイチ曲の方で決め手に欠くという印象もしないわけではない。決してつまらない曲ばかりではないと思うのだが。

収録曲も1720年代以降の円熟期の作品ばかりという事で、作風もそれほど紋切り型のヴィヴァルディ、と言いたくなるような作品ばかりではない。RV406や409など、チェロの哀切な音色を生かした注目すべき曲もある。RV414もいかにもヴィヴァルディ・スタイルですが面白い作品だと思うし。

ただ、演奏の方にイマイチ突っ込みの浅さがあって最高に楽しめるというわけではないのである。どうもコワンも借りてきた猫といったら言い過ぎかもしれないけどやけに情趣に欠ける演奏だし、バックのイル・ジャルも必ずしも100%彼らなりの美質を出し切ってるとは思えないのだ。
これがゼフィロやアカデミア・ビザンチナとかだったら別に良いかもしれないが、TELDEC時代の名演の数々に比べると随分と平凡なアンサンブルになり下がってしまった、という印象を受ける。

とりあえず全体的な評価はVol.2を聞いてからという事にするが、コワン・イルジャル双方にとってこの共演は少々「旬」を逃してしまったという感じはするかと。未だ入手していないTELDECでの共演盤ふくめ、別のディスクで良い演奏に巡り合える事を期待。

コワンのヴィヴァルディで一番なのはやはりコレだと思う。(l'oiseau-lyre,433052-2)
面倒くさいので海外のアマゾンの貧弱すぎる画像を張り付けるが。
協奏曲はともかく、ソナタの演奏は絶品で20年たった現在でも自信を持ってお勧めできる録音だと思います。永らく廃盤なのは辛い所ですが。
オルガンやギターといった多彩な通奏低音への参加も華やかではあるが決してうるさくなくソロと調和しており、理想的なヴィヴァルディ演奏と言っていい。
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テレマンのフルート協奏曲集@ヴェンツ

2011-11-08 00:28:50 | 音楽(独墺・英語圏)

今日になって回復したのだが、実はこの1週間というもの物凄く体調が悪かった。

特に食生活が悪いわけでもないのに変に胸やけがしたり、気力が全く湧かず真昼間になっても起きられなかったりとか。

どうも今年の5月ごろも同様に妙に体調が悪い時期があって、先のブログ記事でも書いてる通りこれは明らかに放射能汚染によるもので、左首筋の痛みが長く続いたものだった。

もうあの3.11震災からは半年以上が経ち、当時の生々しい記憶など忘れかけていたのだが、やっぱり東京だけでもあの事故による放射能汚染はかなり深刻なものだったのかもしれない、というのが確信に変わりつつある。

水道水は勿論、外食やスーパーで買う食材、なんでもそうだが今まで何気なく口に入れていた飲食物が放射性物質まみれだった回数も実は多かったのかもしれない、というか多かったに違いない。今となってはどうしようもないが、世の中には知らない方が幸せ、という事もかなりあって、どれだけ有害物質を体に取り込んだかなんて知らない方がマシだろう。こればかりはほとんど避ける事が出来ない以上(毎日水道水を飲まないようにする、なんて不可能だしね)見ざる、言わざる、聞かざるで余計な事は考えない方がいいのではないかと。自分も含め大方の日本人は諦めの境地でそう考えていると思う。

だが普段なるべくポジティブに考えようとしている自分ですら、福島はじめ放射能汚染をもろに食らった地域ではもはや不愉快どころか最悪の事態を受け入れざるを得ない状況に来ているのではないかと思うのだ。つまり白血病やガンによる死というものを。

東電や政府の対応をどうこう言う以前に、こればかりは全ての日本人が覚悟しなければならない問題である。当然自分や身の回りの人が死ぬという事態も想定しなければいけない。今も報道されないだけで原発事故による死者はかなり出ているのかもしれないが、ここ数年でもっと壮絶な事態が待ち受けているのは確実だろう。マスコミは今もそうだがほとんど綺麗事にまぶしてこの問題を矮小化するに決まってるだろうが、正直ここ東京においても最悪の事態というのはかなりの確率で起こるんではないだろうか。

自分の体調不良もあるが、ここ数日不吉なニュースをいくつも耳にして、(某有名アナウンサーの白血病とか、天皇陛下の体調不良とか)相当自分の予感というのは正しいんじゃないか..と思うのだ。

願わくは多くの人が悪質なデマに惑わされずにあの大事故のもたらしたものの重大性を知り、マスコミに惑わされずに自分の頭で考えるようになってくれる事であり、犠牲者も最小限におさまってほしい、とはもちろん思っている。
だが仮に犠牲者は少なかったとしても、大多数の平和ボケした日本人は他人の不幸など知ったことか、と現実を直視できないでこれからもい続けるのだろうか、もしそうだとしたら最早日本に希望など残されていないとしか言いようがない。亡国あるのみだ。




どうしてもこの所ネガティブな事ばかり頭に浮かんでついついブログの文章も暗くなってしまうが、音楽に関しては常に明るく気分が良くなるものを聞いていたい。というわけで軽やか爽やかなテレマンのフルート(フラウト-トラヴェルソ)協奏曲のCDを。

先日はオラトリオをたっぷり貶させてもらったがやはりテレマンといえば笛の作曲家。フルートでもリコーダーでも、笛がからむ曲は世評通り名曲ばかりだと思う。

このCD、ムジカ・アド・レーヌムの初期の録音で、聞いた事もないようなレーベルでとっくに廃盤のようだが特にプレミア価格と言うわけでもなくあっさり中古で手に入れる事ができた。言うまでもなくこのアンサンブルのリーダー、イェド・ヴェンツといえばあのターフェルムジークの全曲盤はじめ全盛期のMAKのメンバーとしての活躍は古楽ファンにとっては言うまでもないよね。MAK出身者と言えばフロリアン・ドイター、ワーナー・エアハルト等ゴリゴリ弾きまくるばかりで好きではない奏者も多いのだが、このヴェンツというのは割とデリカシーと節度を保った演奏をする人で、個人的には好きなタイプ。BRILLIANTで録音された「パリ四重奏曲」全集や「無伴奏12のファンタジー」も聞いたが、基本的に毒のない、健康的な音楽づくりが身上だが、テクニックの鮮やかさ、そしてMAK直伝のリズム感の良さもあり聞いていて退屈させられる事は少ない。

このテレマンのフルート協奏曲の演奏も、1992年というかなり若手時代の録音だが全く非の打ちどころのない、流麗で気持ちよい演奏を聴かせてくれる。まさに最高のディヴェルティメント、耳の御馳走である。
フルートとヴァイオリンのための協奏曲(TWV52:e3)以外4曲中3曲が初めて聞く曲だが、どの曲も素晴らしい曲と演奏で非常に楽しめるものだった。普段はリコーダーで演奏される事が多い組曲TWV55:a2(「組曲イ短調」として有名な奴ですな)含め、バロック音楽ファン、テレマンファン必携のアルバムではないかと思います。一部はブリリアントクラシックスの廉価版で聴けるようですが。
ヴァイオリンのマンフレート・クレーマーも加わり、MAKの全盛期を髣髴させる、というかMAKそのままの切れ味とテレマンならではの気品を味わえる最高の演奏になっています。とにかく協奏曲51:D A1メヌエットのトリオで聞かれるように早いパッセージを軽々と吹きこなしてしまうのは実に快感で、このヴェンツという笛吹きはやはり只者ではないと感じる。

ヴィヴァルディと同じくテレマンの協奏曲はそれほどTWV番号とかも意識して体系的に聞いているわけではないのだが、膨大な曲を残した作曲家
なのだし、なるべく多くの新しい曲、それも傑作に出会いたいものだ。テレマンのフルート曲で一番印象深いものと言えばMAKの管楽協奏曲集の冒頭に収められていたニ長調の協奏曲で、このCDに入ってないか期待していたのだが、入っていなかった。どうやらこれはTWV51:D2という番号の作品のようで、cpoのシュナイダー一味の協奏曲集の第4巻に入っているようだ。MAK最高の演奏ともいわれる管楽協奏曲集(以前図書館で借りて聴いただけ)ふくめ、早く入手してじっくり味わいたいものである。
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どうでもいいが、どうでもよくない話

2011-11-06 18:38:53 | その他


自宅PCのキーボードがやっと復旧。というわけで以前より更新頻度をアップすることにします。
それにしてもキーボードって1000円以下で普通に買えるなんて全く知らなかったよ。なぜもっと早く買い替えなかったのかと後悔する事しきり。
ま、これからは気持ちを切り替えて以前にも増して読んだ人が有益だったと思うようなブログにするよう努力して行くつもりだ。

相変わらず変に堅くて読みづらい文章かもしれないが、このブログを始めてから中断期間も含めて約4年ほどになる。この数年間、いろいろ個人的にいろいろあったとは言え、以前に比べたら確実に物事に対する見方が深くなってきたように思う。何事も場数を踏んで経験を積むのが一番で、友人の数とは対照的に(笑)CDの数だけはやたら増え続けたが、決してこの4年間自分にとって無駄な出費など何もなかったと言える。
むしろ知識であれなんであれ他人から見れば馬鹿馬鹿しさの極みに思えるような事でも、物事を「知る」ということは何にも増して重要な事であり、自分への最大の投資であると思っている。例えその投資が結果的に単なる無駄遣いや徒労に終わるような体験だったとしても、のちのち人生にとって有益なものだったという事は十分ありえる。いやむしろ失敗の連続こそが人間の成長の糧になるんだと思う。昔の人は良く言ったものだ。

音楽に関する事だけではなくこの世の諸々の事象についても言えるが、物事はそう単純に割り切れるものではなく偶然性やある種の自然の法則に基づいて日々動き続けているだけの存在かもしれない、と最近は思えるようになった。

人間だってそうだが完全な存在などありえない。何事も「光あれば陰あり」で、単純な善悪の価値判断では割り切れないのであり、結局人間や物事の本当の価値なんてものは正に結果論でしかなく、歴史の流れの中でどのような役割を果たしたという事に尽きるんだと思う。

ほとんどの人間は自分の持てる限りの影響力を行使しても、結果的に世界を思い通りに変えることなんかできないに違いない。
しかし人間は時代に翻弄されるだけの存在なんて事はありえない。この世界の中で、自分や自分の周りの集団が客観的にみてどのような状況にあるかを知り、その中でどのように行動すれば自分にとって有益かを考えることはできると思う。
まさにそのような行動の連続こそが社会や歴史を変える原動力となり、われわれ人間にとって一番重要な事だと私は思うのだ。

単に好き嫌いだけで徒党を組んだり、原理主義で自分の殻に閉じこもるだけではなんにも人間は変わらないし永遠に真の成功など得られない。
どうも最近の日本人は物事を単純に考え過ぎるというか、ただ頭が悪いだけなのか知らないがやたら視野が狭い輩が多いと思う。

今後日本が本格的に落ちぶれるのかそうでないかは分からないが、半径数メートルの目先の餌にしか目に入らない輩なぞ、動物と同じただのジャンク人間に過ぎない。客観的な視点を持ち、たとえ自分にとっては不快であっても他人の考えや生き方を許容する。先進国では当たり前のこういう原則さえ理解できない人間が増えている。しかも上流、下流あらゆる階層に満遍なくである。
このグローバル化した社会で、どうしてこの20年間日本はただただ何も生み出せず停滞するばかりなのか、皆もっと真剣に考えた方がいい。
ゆとり世代(自分もだが)を代表とする膨大なジャンク人間を生み出し、異常な経済状態を放置してきたこの社会を。


何事も感情に流されない判断が重要だとつくづく思う。自分の主義主張を持つことはもちろん大切だが、場の空気を読む事も大事。そんな事誰しも分かっているのに幸せになれないのは、思考が貧困だからである。
社会主義でだれもが平等で幸福になれるわけがないことが分かり切っているように、幸せは自分でつかみ取るものである。例え世間から白い目で見られようと経済的に質素であろうと、幸福は幸福。他人がどう思おうと個人の自由なのだ。それが犯罪的行為でない限り誰しも妨害してはいけない。

そういった他人の自由を認められずに、ムラ社会的ワンパターンな行動様式に束縛される事を優先するから社会や文化はますます衰退し愚民たちは自分で自分の首を絞めているのだ。まさに「空気読んで、国家滅ぶ」というのが今の日本を表す言葉だろう。

広い視野に基づいた知性と行動力を備えた人間のみが明るい未来を切り開く。良識ある人間は決して悲観的になってはいけない。こうしたブログ等のメディアや、日頃の言行によって少しでも現状に対する問題意識を広める努力こそ大事なのである。



いつになく抽象的で堅い話になってしまったが、こういう社会派(プッwみたいな風潮が主流になったのっていつ頃からなんでしょうね。
歴史や文化など、普遍的で当たり前の事を考える事こそ重要なのに。
主義主張に拘わらず、歴史や伝統といった人間の叡智を軽視する人間は評価以前の存在だと思う。いわゆる反知性主義。

そして最も厄介なのがイデオロギーや宗教的教義を盲信する人々。型にはまった教科書的知識でしか物事を捉えられない人間もこれに当てはまる。本当は思考停止しているのに当人は全くそう思っていず他人に善意で押し付けしてくる。いわゆる原理主義。

人間「知る」事は大事だが、思考が伴わないと容易にこの原理主義に陥りやすい、と言える。

かくいう自分もブログでは「ドイツ・ロマン派原理主義」や「古楽原理主義」を否定しているが、単なるアンチ●●というだけでは、単なる好き嫌いに基づいた原理主義と同じであり、それら自分が批判している態度と変わらない、という事になってしまう。

結局何事も視野を広く物事を見ようとすることが大切なのであり、それこそが真に「考える」という事なんだと思う。

どうもクラシック音楽のファンというのは頭でっかちで細部ばかりにこだわり理屈を並べ立てる傾向が強く、原理主義的体質を持っている人が多い気がする。その小賢しい理屈も真理であり音楽自体の美と結びついていれば構わないのだが.......

ま、人の好みは色々あるので、つべこべ言わずに「音楽」を愛しているというだけでいいではないか、という考えもできるかもしれないが、人間誰しも自分の好き嫌いや価値観を正しいものだと思っているのであり、完全な協調は不可能だと思いますね、正直。
クラシック大嫌いな人がいればJ-POP大嫌いな人がいるのも当然だから。水と油は絶対に交わりません。


結局、政治でも文化でもなんでも物事が進歩・発展するには必ず法則があって、異なる立場のものであっても同じ土台に基づいて自由に競争するという事が必要なんだと思う。土台とは何か?普遍的な歴史や伝統といった存在や、少数派であっても排除しないというような社会の良識のようなものだと思いますね。
現在の日本社会は、ひたすら短期的利益、すなわち金ばかり追い求めて社会全体の利益など考えないような風潮に毒されていて、それこそ新自由主義の最悪の形であり発展を大いに阻害している要因だと思うのだが、かといってグローバル化=ネオリベと単純に決めつけるような論者と言うのも、ただただ結果的に日本的ムラ社会システムの温存を図りたいだけじゃないんか、というのがあってあまり信用できないのだが。

ま、でも今問題になっているTPP問題と言うのは真のグローバル化というよりは、アメリカが規制を取っ払って自由貿易を押し付けたいというだけの問題のようですから、参加を表明するにしてもこうして議論が紛糾するのは何も悪いことではないと思いますが。

多国籍企業の参入は許しても農業や医療、雇用といった肝心な規制は守る。これこそ長期的な国益に沿った常識的な線であり、民主党が大きく踏み外すとは思っていないんだが...まあ予断を許さないというか、ここで判断ミスを犯したら民主党は勿論日本にとっても悲劇になりかねない
からね。

野田内閣については今まで全然語らなかったが、この政権は自民党の復権を阻止する、という1点のみで存在価値があると思っています。その意味で多少ポピュリズムに流れようが菅内閣よりはマシだし、海江田内閣よりはずっとマシかと(笑)

党内融和や自公との対話路線というのも、一応戦略的には間違ってないかと。福田の「抱きつき作戦」は失敗とされてますが、今になってみると福田で総選挙まで引っ張った方が良かったかもしれませんね。ま、西松事件含め今さら言ってもどうしようもない話ですが。

久しぶりに民主・自民が互角の状態が訪れる中で、政局・選挙好きとしては今月27日の大阪のダブル選挙は楽しみだ。

まあ市長選は落選の可能性は少ないにしても共産が候補を引っ込めたこともあり、独裁を肯定するヤクザの親分(としか言いようがない)がどれだけ苦戦するかは見物だろう。

日本社会の問題とも関連するが、強権によって少数者を排除する橋下の政治スタイルというのはやはり自由や民主主義にとっては敵だとしか言いようがない。むろん大阪市民の大多数が納得して維新の会とやらに投票するのは勝手だが日本社会全体にとってはマイナスでしかないから。


もう一つ政治ネタだが西岡武夫参院議長の死去にはビックリ。小沢はまた一人貴重な仲間を失いましたな。
長老は死に絶え、時代は確実に先へ進んでいく、と。後継議長はどういった人間が就任するんでしょうか、注目。
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