そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

三笠宮崇仁氏を悼む

2016-11-02 | 平和
三笠宮崇仁氏が先月末に亡くなられた。100歳という大往生であった。三人の息子に先立たれる不運の親王でもあった。
私は学校で教えてもらえなかったシルクロード・中東の歴史に興味を持っていて、30年ほど日本オリエント学会の会員として末席を穢していた。本ブログで中東のことをことさら書くのは、いくつかの現地を知り、いささか中東の歴史にも詳しいからである。
三笠宮氏は1954年の日本オリエント学会発足当時からの会長であった。飾り物のや名誉会長というのではなく、全く学者として会長の座を務められてこられた。
会に自著の印税を基金として、「三笠宮オリエント学術賞」が設けられ、若手研究者の発掘と支援を行われていた。

三笠宮氏は皇族でありながら、戦時中には名前を伏せてまで中国戦線に参加し、『聖戦』の実態を知り強く憂えて、戦時中から警告を発している。軍の規律が乱れ、中国戦地での殺戮を危惧し、南京事件の実態も把握していた。帰国後、戦争を終わらすべくクーデターを画策していたともいわれている。国はこの頃の三笠宮の行動も報告も、すべて危険思想と封印した。
先日、稲田朋美防衛大臣が、「神武天皇の偉業を継承しなければならない」とバカな発言をしたが、三笠宮氏は早くから学者として神武天皇の存在を否定していた。紀元節の復活を否定してもいた。末っ子の気ままさもあったのであろうが、皇室では極めて特異な存在でもあったが、一つのモデルとしての意味はあったと思われる。
自らもスポーツマンであったが、息子たちはさばけたスポーツマンであった。子ども三人は男性であったが、お孫さんは全員女性であった。継承者はいない。百合子様をたてた愛妻家であったことも知られている。三笠宮氏は息子を全て看取ってから、天寿を全うされた。ご冥福を祈りたい。
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