これからも路の途中

市民ランナーの日々の出来事

父 ③

2016年11月12日 06時16分33秒 | 日記
父の容態は安定している。
とはいっても、ICUでは延命処置が主である。
意識が戻ったとしても以前のように会話をすることはできないだろうと言われた。
自分の記録として、父に関しての思い出を記しておく。

しつけに厳しい人でした。
物心がつくかつかないかの年齢から食べ物の好き嫌いに関しては特に厳しかったです。
食べ物を残すと、よく頭をはたかれました。
はたかれてテーブルの角に頭をぶつけ出血。病院で額を縫われたのも今になると良い思い出です。
おかげで今では食べ物の好き嫌いはほとんどありません。
小学校5年生の時に日曜日の少年野球の練習に寝坊をして朝ご飯を食べないで行こうとしたら
「食べて行け」とはたかれたのも思い出に残っています。

小学生のころ、親戚の家まで自転車で行くことが良くありました。(10キロぐらいかな?)
前を走る父が道を走るときのルールをよく教えてくれたものでした。

思春期を迎え、人並に反抗期らしき時期を迎えたころ
自分の生き方、親の生き方に「疑問」ではないけど、この先自分はどう生きて行けばいいのだろう?
と、悩んでいた時がありました。
私の父は、ものすごくまじめな人でしたから
酒・たばこはもちろん、パチンコ・麻雀・賭け事その他
大人の男性が趣味・嗜好として楽しむことは何もせず、
仕事しかしていないように私からは見えていました。
そんな中学生のある時
「お父さんは、仕事ばっかりの毎日で何が楽しいの?」
と、直接訪ねたことがありました。
父は、
「2人の子供の成長が楽しみで、毎日仕事を頑張っているんだよ。」
と、穏やかに答えてくれました。
やはり変な人だな。と、その時には思いましたが、人の親になればその気持ちはよぉくわかります。
また、父の気持ちに応えないわけにはいかないなぁと思ったことも事実です。

父に関連したエピソードはまだまだあるけどとても書ききれません。
自分が父親になった時、息子とのかかわり方に迷った時もあるけど
(父親になった年齢 私は27歳 父は25歳)
父は自分より2歳若いときに同じことを考えていたんじゃないかな?
父に恥ずかしくない生き方をしようと日記に書いたこともありました。

それらのこと 感謝していることを 伝えられないうちに 話すこと・伝えることができなくなってしまった。
だから、今を大切にし
難しいことだけど大切な人には今、気持ちを伝えなくてはいけないのだと感じました。
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