二人の母

戦後を苦労して子供達を必死で育ててくれた母親達を回想する。

縁は異なもの味なもの! まずは相性!そして生きてきた時代背景がぴったりで理解しあえる事!

2017-05-06 21:41:07 | 日記
主人の母と私の母は、生まれも育ちも全く違っていましたが、「子供と孫とひ孫」という縁あって同居、紆余曲折はありましたが、昨年、仲良く旅立って行きました。

私達夫婦には2人の娘がいました。共稼ぎでしたので、長女が小学校入学を迎えたのを機に、当時「鍵っ子」が問題になっていたので、郊外に家を買い、私の母に来てもらうことにしました。子供好きの母は無条件で喜んで上阪して来てくれました。次女は保育園に通っていたので、その送り迎えもしてくれました。

ある日、次女が近くの公園に1人で遊びに行きましたが、傷をして泣いて帰ってきました。
転んで怪我をしたのかと思って聞いてみますと、年上の子に落ちていた木の柴で追い回されたあげく、叩いてきたそうです。
それを聞いた母(おばあちゃん)は、孫を連れて公園に行きましたが、いじめっ子の姿はありませんでした。近くにいた子供に「どこの家の子か」を聞き出し、孫を連れて、その子の家に行きました。その子のお兄ちゃんが出てきたので、事情を話すと、弟を呼び出し「あやまれ!あやまれ!」といじめっ子があやまるまで言い続けたそうです。「もう、二度としません。」と約束してくれたので、おさまったそうです。

もし、私が家にいて同じ場面に行き会わした時、「いじめっ子にあやまらすことができ、今後、いじめられることがないように対処できただろうか?」と思います。恐らく、共稼ぎで時間的にも余裕がなく、「小さかった泣き虫の次女の云うこと」をしっかりと聞いてやれなかっただろう。たぶん「うやむやに済ませていただろう」と思います。ましてやお兄ちゃんに談判に行き、弟にあやまらすことができただろうか。そうすべきだと思っても、立ち向かっていけただろうか?
「意気地無しの、事なかれ主義の、脅しや争いに弱い私にできただろうか?」

恥ずかしながら、今でこそ反省していますが、その時は母の報告を聞くだけで、特に母を評価していませんでした。
ですが、まだ小さかった次女は、それ以来、おばあちゃんが旅だって行くまで、誰よりもおばあちゃんが大好きになりました。
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