二人の母

戦後を苦労して子供達を必死で育ててくれた母親達を回想する。

デジブック 『わらべ地蔵(十二支)』

2017-07-06 16:29:05 | 日記

デジブック 『わらべ地蔵(十二支)』
http://www.digibook.net/d/9d95e1bf800c1ebd743f6fe4eadfa608/?viewerMode=fullWindow


つゆの晴れ間に、「七宝寺のわらべ地蔵さま」に会いに行ってきました。
この世に生まれた時は皆同じだと思っていたのに、何故か十二支など、いろんなものが複雑に影響して人生大きく変化してくるのでしょうか?でも、最後は、皆、仏様になるんですね。

話は飛びますが、主人の母は、私の母の里の百姓とは違って、庄屋さんに生まれ、お父さんは、村で初めてバス会社を作った方で、碑も立っていたと聞いております。ところが5歳の時に、産みの母が亡くなり、後添えにきた義母が旅館の仲居さんをしていた方で、1人娘がいたらしいですが、兄弟に預けて再婚されたそうです。かなり怖くて意地悪な方であったようです。
お父さんは、家のことは義母に任せきりで、奉公先も四国からも遠い埼玉にやられ、相当気苦労されたようです。嫁ぎ先も、義母の姉の所に決めてしまい、すべて、義母に良い様にされていたようです。

義母の姉も、四国八十八箇所の札所のある村で、小さな旅館をしていましたが、子供が無くて、連れ合いの親戚の男の子を養子に迎えました。
その子が年頃になったころ、旅館業を嫌がったものだから、廃業し、海岸に近い山里に引っ越して行きました。結婚話が出ていた頃は、小学校の先生になっていました。おとなしい人で、育ての母(祖母)に、滅多に逆らった事はないのですが、余程、旅館業が嫌いだったようです。

結婚して、1年半後に長女が生まれてから、ほぼ、2年毎に長男(主人)次女、次男と生まれました。戦争が始まってから、台湾の学校に赴任して行きました。

長女は、祖父母のたっての願いで、日本においていきました。
戦争が終ってからも、あちこちに赴任しましたが、長女はいつも置いていかれたので、寂しかったようです。