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「生き残ってしまった」 後ろめたさで壊れた心 「涙を越えて―脱線事故12年」

2017年04月29日 21時27分25秒 | 地域
「生き残ってしまった」 後ろめたさで壊れた心 「涙を越えて―脱線事故12年」
2017年4月24日 (月)配信共同通信社

 「生き残ってしまった」。あの日を境に、生きている自分が後ろめたくなった。2005年4月25日、乗客106人が亡くなった尼崎JR脱線事故の車両に、渡辺淑子(わたなべ・よしこ)さん(31)は乗っていた。
 やる気に満ちた春だった。当時、同志社大2年。公認会計士の資格取得を目指し、予備校にも通い始めたばかり。4両目の座席で黙々とテキストを読んでいた。
 電車が猛烈なスピードでカーブに差し掛かる。耳をつんざくごう音と激しい揺れ。傾いて止まった車両から線路にはい出ると、眼前に広がる惨状に言葉を失った。
 頭の整理が追いつかない。「大学に行かなくちゃ...」。気が動転し、そのまま現場を離れてしまったことが、後に渡辺さんを苦しめることになる。
 事故から3カ月ほどが過ぎた頃、あの日の光景が突然よみがえり、眠ることができなくなった。食事は喉を通らず、気持ちは激しく落ち込んだ。
 「自分なんかより、もっとずっと生きるべき人たちがいたのに」。命を絶つ方法ばかり考えた。母親に勧められ受診した心療内科で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)とうつ病と診断された。
 「処方された薬で、生きながらえているような感覚」。薬の影響からか思考力や記憶力の減退を感じ、劣等感にさいなまれた。自信が持てず、就職活動はできなかった。
 大阪で父親の仕事を手伝っていた11年3月、東日本大震災が発生した。テレビのニュースが犠牲者の数を伝える。「残された人の悲しみ、津波を目の当たりにした人の苦しみの数は、その5倍にも10倍にもなるはず」。画面の向こうの被災者に事故後の自分を重ねた。
 「微力でも、自分にできることがしたい」。震災発生から半年後、宮城県石巻市に移り住んだ。
 12年9月、一人の男性と知り合った。市内の仮設住宅で、高齢者の見守り活動に取り組む木工職人の遠藤伸一(えんどう・しんいち)さん(48)だ。あの日、津波で3人の子どもを失った。「生き残ってしまった」。遠藤さんもまた、そんな思いを抱えていた。
  ×  ×  ×
 思いもよらぬ出来事が人生を一変させた。出会い、つながり、支え合う中で、生きる意味を問い直した2人を見つめる。
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