日々

穏やかな日々を

訪問看護ステーション:“在宅”でお付き合い 作業療法士が開設

2011年05月11日 23時29分54秒 | 仕事
“在宅”でお付き合い 作業療法士が訪問看護ステーション開設 香川・高松
2011年5月11日 提供:毎日新聞社

 ◇県内初

 お年寄りらのリハビリテーションに特化した訪問看護ステーション「プライマリケア訪問看護ステーション」が高松市木太町に先月オープンした。大阪で勤務していたさぬき市出身の作業療法士、石浜実花さん(26)が中心となり経営。訪問看護ステーションは医療機関併設のケースが多く、作業療法士が開設するのは県内初という。【馬渕晶子】

 ◇リハビリで「生活不活発病」予防

 医療保険か介護保険を利用し、1時間未満のリハビリを自宅で受けられる。リハビリを退院後も続けることで、筋力低下などを招く「生活不活発病」の予防も期待できるという。運営会社は石浜さんが専務を務め、作業療法士と理学療法士、看護師の計6人が在籍。「在宅サービスで利用者の人生に深くかかわりたい」との思いで集まった平均年齢28歳の若い職場だ。

 石浜さんは高校時代に「人の意欲を引き出してあげられる仕事」として作業療法士を目指すことを決意。大阪の専門学校を経て、作業療法士が経営する訪問看護ステーションで3年間勤務。利用者が自立生活できるよう身体機能の維持や向上を目指す支援にやりがいを感じた。引きこもっていた認知症の80代女性が外出するようになるなど、在宅ならではの良さも実感した。

 だが、香川は訪問看護や訪問リハビリが普及していない。厚生労働省の05年調査では、人口10万人当たりの訪問看護ステーションは3カ所程度で全国平均(4・2カ所)を下回っている。潜在的な需要があると感じ、古里での開業を決めた。昨年10月に会社を設立、4月にステーションを開いた。

 石浜さんは「できることや良い点を評価すると、利用者は表情も気持ちも明るくなる。一生のお付き合いができるよう、自分も受けたいサービスを提供していきたい」と話している。事業区域は島しょ部を除く高松市内。問い合わせは平日の午前9時~午後6時にステーション(087・813・3515)。


がんばってね~

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大震災から2カ月、約7割が診療再開、石巻市

2011年05月11日 23時09分27秒 | 仕事

大震災から2カ月、約7割が診療再開、石巻市
2011年05月11日

「当初は、会員施設の約3分の1は診療をやめるのでは、と考えていたが、実際にはかなりの先生方が診療を再開し、着実に復旧が進んでいる」
 3月11日の東日本大震災から2カ月。5月10日に取材に訪れた際、こう語ったのは、宮城県の石巻市医師会長の舛眞一氏。石巻市は津波で甚大な被害を受けた地域の一つ。同市医師会の調査によると、市内の76の医師会の会員施設(うち病院は4施設、公的病院は除く)のうち、全壊25施設、一部損壊または半壊が35施設、問題なし(回答がなかった施設も含む)16施設。約190人の会員のうち、2人が大震災で死亡されています。

 そのうち5月10日現在で、診療を行っているのは52施設。一方、「閉院または長期休院」を決めたのは8施設で、残る施設の多くが診療再開に向け準備中とのこと。まだ石巻市内には、瓦礫が残り、ライフラインも復旧していない地域もありますが、医療面については、着実に復旧が進んでいます。

 地域の災害医療の拠点である石巻赤十字病院に本部を置く、「石巻圏合同救護チーム」には、多い時で全国から約70チームが医療支援に来ていましたが、今は約30チーム。6月には10チーム台に減少する見通し。同病院は震災以降、入院は救急患者に限っていましたが、5月9日から検査や手術の入院患者の予約の受付も開始。既に外来については、基本的には4月18日から通常の体制に戻しています。

 もっとも、徐々に「平時」に戻りつつあるものの、課題もまだ残っています。「石巻圏合同救護チーム」が把握している避難所数は、ピーク時の約半分になったものの、165カ所(5月5日現在)。短期的には、仮設住宅への移行などが進むまでの間、救護所や避難所の巡回診療をいかに続けるかが課題。

 「『どうやったら救命できるか』という超急性期、『どうやったら健康を維持できるか』という急性期が過ぎ、今は慢性期に入っている。どうやったら、地元の医療につなげるか、地元での医療を再生させるかが課題になっている」。「石巻圏合同救護チーム」の災害医療コーディネーター(石巻赤十字病院第一外科部長)の石井正氏はこう説明します。同時に石井氏は、「被災者の自立」の必要性も指摘。「震災前の医療レベル以上のことはしない。なるべく開業医受診を勧めたり、紹介するほか、巡回頻度を減らすなどの工夫をしている」(石井氏)。

 また石巻赤十字病院院長の飯沼一宇氏は、「早く通常の診療体制に戻し、地域の中核病院としての機能を発揮したい。とはいえ、被災者への医療支援からも手を引くことができない」と、ジレンマを語ります。

 中長期的には、被災した石巻市立病院を含め、地域の医療提供体制の再構築が課題です。206床の同病院は被災し、診療不能になり、現在は仮設診療所で外来診療のみを行っている状況です。

 石巻市について言えば、数は多くは要らないものの、継続的に支援できる医療チーム、行政や医療提供者など関係者による今後の医療についての協議の場などが、今、求められていることと言えるでしょう。


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がんばって アキ子さん

2011年05月11日 21時26分31秒 | タバコ

和田アキ子禁煙奨励COPD広報大使に
デイリースポーツ 5月11日(水)19時24分配信

 歌手・和田アキ子が11日、都内で喫煙が主要因と言われる疾患、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の早期発見、早期治療を啓発する「COPD広報大使」の就任会見を行った。
自身も08年に肺気腫と診断され、「このままいけば歌えなくなるかも」と宣告されて同年8月に禁煙。
その効果で現在では長時間歌唱しても息切れせず、COPDの危険も回避している。
和田は「(島田)紳助もタバコを止めて、番組を1日2本収録しても声がかれなくなった。(
明石家)さんまには誰も注意しない。だから私が言う」と芸能界での啓発に張り切っていた。


和田アキ子、禁煙から3年経過 「歌うことが重要だから」
オリコン 5月11日(水)17時26分配信

 歌手の和田アキ子(61)が、肺の生活習慣病であるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の早期診断、早期治療の推進を目的とする広報大使に就任し11日、都内で行われた記者発表会に出席した。2008年に肺気腫と診断され、1日に2箱半吸っていたというタバコをやめた和田は「このまま吸い続けると歌手として歌えなくなる危険があると言われてスパッとやめた。歌うことが重要ですから。こうやって公に言わせてもらっているから隠れて吸うこともできないしね」と歌手としてのプロ根性をうかがわせた。

アッコの禁煙生活、最大の“被害者”は「ダンナかも・・・」

 歌手生命の危機を自覚するまで、幾度となく禁煙に失敗していたという和田は「自覚症状もなく、いいかと思ってた。ウォーキングした後にゼーハーしてたのも、年のせいかと思ってた」と自身の体験談を交えて語り「まだ病名をご存知じゃない方も多いので、啓発に力を注ぎたい。早期発見を目指して欲しい」と呼びかけた。

 会場には、スペシャルゲストとして和田の所属事務所の後輩にあたるお笑いコンビ・スピードワゴンも登場した。井戸田潤(38)、小沢一敬(37)共に喫煙者であることから、和田は「私がやめたのに、お前らが吸ってるのはおかしいやん!」と“口撃”。そんな中、井戸田と小沢は肺年齢を調べる検査に挑んだが、それぞれ実年齢を上回る結果(井戸田が53歳、小沢が41歳)に終わり、「衝撃的でショックです」と顔を引きつらせていた。


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震災の後、2か月・・

2011年05月11日 11時23分45秒 | 地域
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
ウィキペディアより

関東大震災(かんとうだいしんさい)は、大正12年(1923年)9月1日11時58分32秒(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。

神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。

190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。

避難 [編集]
靖国神社に設置された仮設住宅東京市内の約6割の家屋が罹災したため、多くの住民は、近隣の避難所へ移動した。
東京市による震災直後の避難地調査[21]によれば、9月5日に避難民12,000人以上を数える集団避難地は160箇所を記録。
最も多い場所は社寺の59箇所、次いで学校の42箇所であった。
公的な避難場所の造営として内務省震災救護事務局が陸軍のテント借り受け、明治神宮外苑、宮城前広場などに設営が行われた。
また、9月4日からは、内務省震災救護事務局と東京府が仮設住宅(バラック)の建設を開始。
官民の枠を超えて関西の府県や財閥、宗教団体などが次々と建設を進めたことから、明治神宮や日比谷公園などには、瞬く間に数千人を収容する規模のバラックが出現したほか、各小学校の焼け跡や校庭にも小規模バラックが建設された。
震災から約2か月後の11月15日の被災地調査[22]では、市、区の管理するバラックが101箇所、収容世帯数2万1,367世帯、収容者8万6,581人に達している。
一方、狭隘な場所に避難民が密集したため治安が悪化。
一部ではスラム化の様相を見せた[23]ため、翌年には内務省社会局、警視庁、東京府、東京市が協議し、バラック撤去の計画を開始している。
撤去に当たっては、東京市が月島、三ノ輪、深川・猿江に、東京府が和田堀、尾久、王子に小規模住宅群を造成した(東京市社会局年報、東京府社会事業協会一覧(昭和2年))。
また、義捐金を基に設立された財団法人同潤会による住宅建設も進んだ。



この速さはなに?
バラックだったから?
戦争による空襲からの復活もバラックから?
この当時のバラックとは?
○坪(この○の中は?)長屋、3畳長屋かな?

今日テレビが言っていた
仮設住宅の前の住宅を長屋風に建てたらどうか、と・・・



東日本大震災発生2カ月 不明9800人超 12万人避難
河北新報 5月11日(水)6時13分配信

 東日本大震災は11日で発生から2カ月になる。大地震、大津波に東京電力福島第1原発事故が加わった複合災害で1万5000人近い人が死亡し、行方不明者も1万人に迫る。避難所に身を寄せる住民は岩手、宮城、福島の東北3県を中心に12万人近くに上る。避難生活の長期化は避けられず、3県は当面必要な仮設住宅を計5万8000戸と見積もり、建設を急ぐ。

■死者・行方不明者
 警察庁のまとめでは、震災による死者は10日現在で12都道県の1万4949人、不明者は6県で9880人で死者・不明者は計2万4829人となっている。
 岩手、宮城、福島3県の死者は岩手4400人、宮城8941人、福島1544人。不明者は岩手3275人、宮城5969人、福島632人。死者・不明者は3県で全体の99.7%を占める。
 津波で沖合に流された人も多く、捜索は難航している。福島では原発事故による立ち入り規制が捜索を阻んでいる。

■避難状況
 各県災害対策本部によると、岩手の避難者は在宅で食事や物資の支援を受けている人を合わせ、5日現在で3万7482人に上る。宮城は10日現在で石巻市、南三陸町、気仙沼市など沿岸の13市町を中心に3万3207人となっている。
 福島第1原発の半径20キロ圏内が警戒区域となった福島は10日現在5万9020人が避難所での生活を余儀なくされている。県内の避難所で生活している住民が2万4965人なのに対し、県外避難者は3万4055人。避難先は44都道府県に拡大している。

■仮設住宅
 岩手は7月上旬までに仮設住宅1万4000戸の完成を目指す。当初、必要戸数を1万8000戸と見込んだが、申し込みが少なく、下方修正した。
 宮城は9月末までに3万戸を供給したい意向。既に15市町で1万1309戸の建設に着工し、約1300戸で入居が始まっている。
 福島は7月末までに1万4000戸、状況に応じて9月末までにさらに最大で1万戸の完成を見込む。県外避難者の動向が把握できず、必要戸数を見通せないでいる。


大正12年の関東大震災のパニックぶりは今想像を絶する。
それにのっかった人種差別や犯罪や殺人が続き、復興も速かったが、エネルギッシュな日本人だったんだなと
感心してはいけないけれども
「寄らば切るぞ」のサムライや山賊も多かったかな?

いつから日本人は静かなる人種になったのかな?
婆なる私もいたって静かだけど・・・・・・
復興支援活動の温度差が、被災地外の人間関係、夫婦関係不調にもなっているとか・・・・・
いやいろいろ―――――ですね~
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震災発生2カ月 不明9800人超 12万人避難

2011年05月11日 11時02分51秒 | 地域
震災発生2カ月 不明9800人超 12万人避難
河北新報 5月11日(水)6時13分配信

 東日本大震災は11日で発生から2カ月になる。大地震、大津波に東京電力福島第1原発事故が加わった複合災害で1万5000人近い人が死亡し、行方不明者も1万人に迫る。避難所に身を寄せる住民は岩手、宮城、福島の東北3県を中心に12万人近くに上る。避難生活の長期化は避けられず、3県は当面必要な仮設住宅を計5万8000戸と見積もり、建設を急ぐ。

■死者・行方不明者
 警察庁のまとめでは、震災による死者は10日現在で12都道県の1万4949人、不明者は6県で9880人で死者・不明者は計2万4829人となっている。
 岩手、宮城、福島3県の死者は岩手4400人、宮城8941人、福島1544人。不明者は岩手3275人、宮城5969人、福島632人。死者・不明者は3県で全体の99.7%を占める。
 津波で沖合に流された人も多く、捜索は難航している。福島では原発事故による立ち入り規制が捜索を阻んでいる。

■避難状況
 各県災害対策本部によると、岩手の避難者は在宅で食事や物資の支援を受けている人を合わせ、5日現在で3万7482人に上る。宮城は10日現在で石巻市、南三陸町、気仙沼市など沿岸の13市町を中心に3万3207人となっている。
 福島第1原発の半径20キロ圏内が警戒区域となった福島は10日現在5万9020人が避難所での生活を余儀なくされている。県内の避難所で生活している住民が2万4965人なのに対し、県外避難者は3万4055人。避難先は44都道府県に拡大している。

■仮設住宅
 岩手は7月上旬までに仮設住宅1万4000戸の完成を目指す。当初、必要戸数を1万8000戸と見込んだが、申し込みが少なく、下方修正した。
 宮城は9月末までに3万戸を供給したい意向。既に15市町で1万1309戸の建設に着工し、約1300戸で入居が始まっている。
 福島は7月末までに1万4000戸、状況に応じて9月末までにさらに最大で1万戸の完成を見込む。県外避難者の動向が把握できず、必要戸数を見通せないでいる。
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エネルギー計画、白紙見直し

2011年05月11日 00時17分58秒 | 地域
エネルギー計画、白紙見直し=原発重視修正も―事故検証で3原則・首相会見
時事通信 5月10日(火)18時8分配信

 菅直人首相は10日夕、首相官邸で記者会見し、東京電力福島第1原発事故を受けた今後のエネルギー政策に関し「従来のエネルギー基本計画は白紙に戻し議論する必要がある」と述べ、原子力発電の推進を盛り込んだ現行計画を白紙で見直す考えを明らかにした。
 同計画は、原子力発電を含む二酸化炭素(CO 2)を出さない「ゼロ・エミッション」の電源比率を2030年までに70%とするため、同年までに少なくとも14基以上の原発を新増設するとしている。首相は「(太陽光や風力など)自然エネルギーと省エネルギーをもう二つの柱として、これまで以上の力を注いでいく」と述べ、これまでの原発重視の路線修正に意欲を示した。
 首相はまた、福島第1原発事故を検証する第三者委員会として「原子力事故調査委員会」を近く発足させる考えを強調。検証作業に際しては、(1)従来の原子力行政からの独立性(2)国民や国際社会に事実を示す公開性(3)技術分野だけでなく、制度や組織の在り方も含む包括性―を重視する方針を示した。
 中部電力浜岡原発の運転停止で電力供給が不足する可能性について、首相は「他の電力会社、企業、国民にも協力いただくことでクリアできる」と否定。休止中の火力発電所の再稼働に伴うコスト増への支援を同社が求めていることに関しては「国もできるだけ協力する。どういう形でフォローできるかはこれからの話し合いによる」と述べた。


とにかく原発以外に力を
これが国民の合意ではないでしょうか?この怖ろしき原子力はいかに二酸化炭素が云々でも、あの廃棄物の量は
本当の安心安全に切り替えましょう 


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