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【京 の 歳 時 記】:【最 近 の 話 題 : 出 来 事】をお知らせします

”おいない”の京都最新情報

2010年05月31日 21時10分36秒 | 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・】
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★初夏の宵の風物詩、夕闇が迫るころ、かがり火に優美な舞が映える幽玄の世界を彩る伝統芸能、恒例「京都薪能」は全国でも最も古い薪能の一つ、平安初期の八六九(貞観十一)年、奈良・興福寺の法会「修二会」で奉納された薪猿楽がルーツとされる。
金春、観世、宝生、金剛の大和能楽四座が競演。
京都薪能は一九五〇年に始まり、観世流・金剛流・狂言大蔵流など流派を超えて能楽師たちが一同に集い、古都・平安神宮で開かれる。今年で六十一回目。

[会 期]  六 月 一 日(火)、二 日(水) 
[会 場]  平安神宮(雨天の場合は京都会館第一ホール)
[開 演]  午後五時半
[入場料]   当日券  四千円 、(前売り券  三千円)

一日目は 
能 (観世流)「鞍馬天狗 白頭」――牛若を慰め兵法の奥義を伝える鞍馬の大天狗。
花楽な稚児立ち、山伏と少年、師弟愛。豪快な中に垣間見える若道の世界――
「火入れ式と京都市長挨拶」
半 能(観世流)「半 蔀」 ――京五条に現れる夕顔の女の霊。源氏との出会いを語り舞う。純情な恋の思い出。――
狂 言(大蔵流)「六地蔵」――田舎者の依頼で、六体の地蔵を作る約束をしたすっぱ。さて用意した地蔵とは ――
能 (金剛流)「舎 利」――泉涌寺の仏舎利を奪った足疾鬼。それを追う韋駄天。やがて足疾鬼は追いつめられ・・壮烈な逃走劇。――

二日目は
能 (金剛流)「嵐 山 白頭・猿聟」――桜爛漫の嵐山を清める老夫婦。嵐山子守勝手明神、吉野蔵王権現の来現。吉野と嵐山は同一体であった。劇中に展開する賑やかな猿の婚礼も見物。――
「火入れ式と理事長挨拶」
半能 (観世流)「祇 王」――清盛に愛された白拍子、祇王と仏。移り気な権力者と儚い栄華。束の間の寵愛な争いながら結ばれる二人の友愛。――
狂言(大蔵流)「鬼 瓦」――裁判も無事に終わり、因幡堂にお礼参りにやって 来た大名。そこである物を見付けて大号泣。――
能 (観世流)「土蜘蛛 入違之伝」――病床に伏す源頼光を襲う土蜘蛛。駆けつけた独武者は土蜘蛛と激闘の末退治する。千筋の糸が縦横無尽に放たれる痛快アクション――


”おいない”の京都最新情報

2010年05月31日 10時34分07秒 | 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・】
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★右京区嵯峨・二尊院で五月二十九日、「小倉百人一首」を選んだ鎌倉時代の歌人・藤原定家とその子為家をしのぶ法要と和歌披講する「小倉山会」が定家の山荘跡に近いという二尊院で催された。
小倉山会は、冷泉家時雨亭文庫が毎年催し、定家を遠祖とする歌道の宗家・冷泉家二十五代冷泉為人当主らが、今年の兼題「夏の山」で寄せられた約百首の和歌から九首を選び、読経の後に当主ら三人が冷泉流独特の節回しで詠み上げられ、後に続く全国の門人約五十人の参列者が唱和した。
詠み上げた声が、本堂から新緑鮮やかな境内に響き亘った。
披講後、定家の墓があるという小倉山を遙拝する旧跡や冷泉為家の墓などを訪れ、歌道の先人に思いを巡らせた。

★豊作を祈願する下鴨神社の御田植祭が三十日、区内の田んぼで約六十年ぶりに営まれ、早乙女姿の子どもたちが苗を植えた。
戦後から途絶えていたが、休耕田を活用して復活した。
下鴨神社によると、かつて神社には伊勢神宮に米を奉納する神田があったが、明治時代になくなった。一九三九年に一度再開したが、戦後の農地改革で消滅したという。
神社青年会が神事復活に動き、旧社領地である上高野の休耕田(約六〇〇平方㍍)を地元農家から借り受けた。
田植えには九~十九歳の男女十二人が参加。澄みわたった青空の下、笛の音が響く神田で、子どもたちがキヌヒカリの苗を植えた。足元がぬかるみ、転びそうになる子どももいたが、豊作を願いながら丁寧に植えていった。
秋には収穫祭を開き、伊勢神宮に奉納する

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”おいない”の京都最新情報

2010年05月30日 12時46分54秒 | 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・】
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★流鏑馬(やぶさめ)発祥の地とされる伏見区の城南宮で二十九日、「城南流鏑馬」が奉納された。新緑が映える晴天の下、平安時代の装束姿の射手が参道を駆け抜け、的を射る勇壮な姿に歓声が上がった。
平安時代に白河上皇が城南宮離宮で行った流鏑馬が、文献に伝えられる最も古い記述とされている。今年は祭神とする応神天皇崩御一七〇〇年に当たり、三年ぶりに催した。
参道約二〇〇㍍に砂を敷き詰め、即席の馬場が作られた。
平安時代の装束の男性が、現在は珍しくなった和馬にまたがり、次々と的に弓矢を向けた。矢が命中し、パーンと的が割れる音が境内に響くと、間近で見つめる見物客からは歓声と拍手が起こった。



★左京区・三千院では知らない内に重ねた日々の悪行を仏に懺悔して、心を清める恒例の「御懺法講」(おせんぼうこう)は本来、御所で行われていた天皇家の回向法要で毎年、五月三十日に営まれる。
御懺法講は一一五七(保元二)年に後白河天皇が宮中で催したのが始まりとされる。
雅楽演奏が流れる中、儀式が僧侶の声明に合わせて進むことから「声明懺法」とも呼ばれ、仏教音楽の伝統を今に伝えている。
伝統法要は境内奥の宸殿で行われ、導師の門主や赤い法衣姿の僧侶約十人が笛や琴などの音色が響く中、座ったり殿内をゆっくり回りながら、一時間半にわたって独特の旋律に乗せて唱える「声明」と雅楽による華やかな平安絵巻さながらの伝統法要で、緑深い境内におごそかに響きわたる。


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”おいない”の京都最新情報

2010年05月29日 11時23分20秒 | 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・】
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★あで姿 時代絵巻 「大原女行列」
毎年五月中旬より始まった「大原女まつり」の一環として行われる室町時代から現代までの大原女の装束の移り変わりを紹介する恒例の「大原女時代行列」は、二十三日が雨のため延期になり、五月二十九日、大原女の艶やかな姿で新緑に映える寂光院から三千院を経て勝林院までの約二㌔を二時間かけて新緑の山里を練り歩く。



大原女は、柴を頭に乗せて京都の中心部まで売りに歩いた女性たちで、室町時代は黒の着物に朱色の帯、白無地の手ぬぐいだが、江戸になると刺繍入りの紺地の手ぬぐい、着物も紺色の手織りの木綿に変わる。
明治以降は 絣の着物に赤いたすき、帯もピンクや赤と色鮮やかな装いになる。
今年で三十一回目を迎える。
行列には、小学1年生から60代までの女性65人が、紺や黒の着物にかすりの前掛け、赤のたすきを掛けた伝統の衣装を身にまとって参加した。



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”おいない”の京都最新情報

2010年05月28日 11時34分29秒 | 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・】
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★西京区・大原野の十輪寺で五月二十八日、平安時代の六歌仙の一人、伊勢物語の主人公の在原業平をしのぶ法要が新緑のモミジが映え、鳴り響く三弦と声明に「業平忌三弦法要」が営まれた。
十輪寺は業平が政略で離された恋人の二条后を思いながら晩年この地に住み、元経(八八〇)年五月二十八日、五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。
業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。
本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の声明法要で、住職らが三弦を奏でながら独特の節回しで般若心経や天台声明を唱えた。
業平が好んだと云われるカキツバタや歌詠みである業平を慕って多くの俳人・歌人が集い、日本舞踊・京舞の奉納や、書や献花の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。

【予 告】



★六月四日、國の名勝・平安神宮神苑が無料公開。
社殿を取り囲むように四つの庭があり、初夏の風情を楽しめる。
西神苑の白虎池の岸辺には、日本古来の品種,約二百種類のハナショウブ、約二千五百株が群生し見頃を迎えているのに合わせ、一日だけ無料公開される。午前八時半~午後四時半。


★六月十二日、夏の夜の風物詩・宇治川の鵜飼 始まる。
府立宇治公園の宇治橋上流(塔の島)で、営業期間は六月十二日~九月二十六日の延べ一〇七日間。大雨や川の増水時は休業する場合もある。
開催に備え、六月一日に鵜のトレーニングを行い、十二日夜の川開きでは関係者が船上で安全祈願する。
期間中は午後六時受付け、出船は午後七時。
観覧船の料金は貸切船が十人乗り二万五千円、十五人乗り三万七五〇〇円、二十人乗り五万円。
乗合船は大人一八〇〇円、小学生九〇〇円。
宇治川の鵜飼は平安時代にすでに行われていたといい、右大将藤原道綱の母が著した「蜻蛉(かげろう)日記」にも鵜飼見物の記述があり、その歴史が伺える。最近は二人の若手女性鵜匠が人気だ。


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