C57発掘(6)/39号機@宮崎機関区 2014-11-08 07:00:00 | Steam at random 宮崎機関区で休憩中の39号機です。 同じアングルで撮影したモノクロ写真はHPにありますが、今回はカラーのほうを再スキャンしてアップです。 1971年には山陰本線の嵯峨や保津峡で梅小路時代の39号機を撮影していますが、こうして宮崎で再会出来るとは思っていもいませんでした。 調子が良かったのか、日豊本線でも何度も出会いましたが、無煙化を目前にして外観的な補修は行われなかったようで、煙室扉が痛々しいです。 39号機の後に居るC57はデフの形状から130号機と判ります。 宮崎駅のホームに横付け中の客車は、グリーン車が見えているので急行列車のようです。 日豊本線 宮崎機関区 1974年1月1日撮影 #鉄道 « ヒガハスの柿の木2014(3) | トップ | EF8181/試9502レ »
16 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 C5739号機 (狂電関人) 2014-11-08 10:37:06 佐倉さまホント煙室扉が痛々しいですね。南九州のC57憧れましたが、まだガキで指をくわえて雑誌の記事を読み漁ったものでした。後ろの10系客車は日南ですかね?オロらしき車体が・・・。 煙室扉 (tamura) 2014-11-08 15:43:19 カラーですと痛々しく見えますが、モノクロだとさほど目立たないのかもしれません。九州の罐は全体的にはきれいでしたから、余計目立つのかもしれません。39号機、九州へ行ったときも出会えなかった記憶が、、、 狂電関人様 (佐倉) 2014-11-08 21:04:31 南九州のC55やC57は南国のバラとか言うタイトルで雑誌に紹介されたことがありましたね。 後の10系客車は時間的に下りの日南ではなさそうです。グリーン車の向こうは10系の寝台車のようにみえますので、日南3号とも並び順が違いますね。 さて何でしょう。 tamura様 (佐倉) 2014-11-08 21:07:27 確かに、2ヶ月前に撮影したモノクロの方では、遠くから撮ったためもありますが、気が付きませんでした。 九州の罐は仰る通り良く手入れされていて綺麗でしたね。 晩年は山陰本線から流れてきたC57が活躍していて、門デフに当たる確率が少なくなっていて残念でした。 この角度も良いですね (郷愁紀行) 2014-11-08 21:09:48 お正月で臨時列車の運用にC57も入っていたんでしょうか? 気になります。でも混んだ列車は嫌だから行かなかったです。こればっかりは(笑)C5739撮ってました。佐倉様のように繊細な画面ではありませんが、記録優先でしたしね(^^)もっと丁寧にネガ管理をしておけば良かったと今頃反省しています。勿体ない事をしました。手持ちのネガでちょこっと作ってみます。 郷愁紀行様 (佐倉) 2014-11-08 21:41:54 年末年始は臨時急行高千穂51号をC57が牽いていましたね。 ただ、モノクラスなので急行という雰囲気はしませんでした。 C5739の写真、楽しみにしています。 C5739 (EF6480) 2014-11-08 23:10:30 こん**はお久しぶりです。晩年の宮崎区には各所からのC57が最後の活躍をしていましたね。特に山陰、播但線からの転属組が多かったようです。その頃と言えばワタシは高専受験勉強中の身だったのです。さて、バックの客車ですが編成順序からして13:12宮崎着の「日南2号」ですね。 EF6480様 (佐倉) 2014-11-08 23:26:30 ご無沙汰しています。 コメント有り難うございました。 日南2号ですか...丁度そんな時間だったと思います。 宮崎までは電機牽引だったのでしょうね。 今から思えば電機牽引でも客レは撮っておくべきでした。昼頃は蒸機牽引列車が無くての宮崎機関区訪問でしたから... C5739 (枯れ鉄) 2014-11-09 10:39:16 梅小路時代はよく登場してくれた罐なので、懐かしいですね。煙室扉はお正月くらい綺麗にしてやって欲しかったですね。罐の整備は丁寧だった宮崎も、末期は手抜きでしょうか? 枯れ鉄様 (佐倉) 2014-11-09 13:59:58 梅小路から宮崎へ来て、昔の誇りを捨てて頑張っている感じがして応援したくなる罐でした。 余命3ヶ月で修理予算カットだったのでしょうか...ちょっと残念でしたね。 思い出の機 (RDP3) 2014-11-09 22:45:36 小学校時代、梅小路にあって5・89と共に、記憶に残るカマです。5は浜田へいきましたが、39は宮崎だったのですね。後ろの「日南」も懐かしく、良きショットを見せて頂きました。ありがとうございます。 RDP3様 (佐倉) 2014-11-10 15:59:08 もしかしたら小学生のRDP3様と大学生の佐倉が嵯峨辺りでニアミスしていたかも知れませんね。(笑) 5号機は形式入りナンバーを外され山陰本線へ、39号機と89号機は宮崎へ転属でした。 当時は(今も?)機関車ばかりに目が向き、客車の写真をほとんど撮っていないのが悔やまれます。 Unknown (青列車) 2014-11-11 16:30:55 既に回答が出ているようですね。確か当時の急行日南は3往復設定されていましたが日南3-1号は定期だったもののあとは不定期だったように記憶しています(元夕月?の日南2-2号?は定期だったかも…)。背景の編成、ロザは裾絞りも無くシル・ヘッダー付きでどうやらアルミサッシではない様ですからスロ54、そして上り側にスハネ16が2両(トイレ窓とクーラー形状からスハネ16と推測します)ですから少なくとも日南3-1号でないのは確かです。日南2-2号なら編成上り側にオハネフ12が入り座席指定車が中間にありましたがお写真からは判別できず何とも申せません。ただ、皆様の御高察で間違いないでしょう。この時代の長距離客車急行に乗ってみたかったのですがその夢は殆ど叶いませんでしたorz 青列車様 (佐倉) 2014-11-11 17:57:39 いつも詳細な解説を有り難うございます。 この時の九州遠征は、往きが急行桜島高千穂で品川から都城まで、帰りは臨時高千穂52号で都城から岡山(岡山から新幹線)だったと思いました。 長距離夜行座席車は年末年始で超満員、往復とも何とか座れましたが、若かりし頃でも疲労困憊でした。 C5739 (まさゆき) 2015-02-04 08:36:09 はじめまして。C5739で検索中たどりつきました。1974年2月、中学2年のとき、親をなんとか説得し東京から1日だけ撮影に行くことができました。あこがれだった元梅小路の39、89にもあえました。たしか39号機は鹿児島機関区所属で宮崎機関区に貸し出されていたように記憶しています。日南3号も牽引したようなので、好調機だったのでしょうね。 まさゆき様 (佐倉) 2015-02-04 17:24:02 ご来訪とコメントを有り難うございました。 39号機はこの写真を撮影したときも「鹿」の区名札が刺さっていました。 この時は運用の都合で宮崎へ来ていたのかと思いましたが、何度もも撮っているので宮崎機関区へ貸し出しだったのでしょうね。 外観は傷んでいましたが、調子は良かったのでしょう。 コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
ホント煙室扉が痛々しいですね。
南九州のC57憧れましたが、まだガキで指をくわえて雑誌の記事を
読み漁ったものでした。
後ろの10系客車は日南ですかね?オロらしき車体が・・・。
九州の罐は全体的にはきれいでしたから、余計目立つのかもしれません。
39号機、九州へ行ったときも出会えなかった記憶が、、、
後の10系客車は時間的に下りの日南ではなさそうです。グリーン車の向こうは10系の寝台車のようにみえますので、日南3号とも並び順が違いますね。
さて何でしょう。
九州の罐は仰る通り良く手入れされていて綺麗でしたね。
晩年は山陰本線から流れてきたC57が活躍していて、門デフに当たる確率が少なくなっていて残念でした。
でも混んだ列車は嫌だから行かなかったです。こればっかりは(笑)
C5739撮ってました。佐倉様のように繊細な画面ではありませんが、記録優先でしたしね(^^)
もっと丁寧にネガ管理をしておけば良かったと今頃反省しています。勿体ない事をしました。
手持ちのネガでちょこっと作ってみます。
ただ、モノクラスなので急行という雰囲気はしませんでした。
C5739の写真、楽しみにしています。
お久しぶりです。
晩年の宮崎区には各所からのC57が最後の活躍をしていましたね。特に山陰、播但線からの転属組が多かったようです。その頃と言えばワタシは高専受験勉強中の身だったのです。
さて、バックの客車ですが編成順序からして13:12宮崎着の「日南2号」ですね。
コメント有り難うございました。
日南2号ですか...丁度そんな時間だったと思います。
宮崎までは電機牽引だったのでしょうね。
今から思えば電機牽引でも客レは撮っておくべきでした。昼頃は蒸機牽引列車が無くての宮崎機関区訪問でしたから...
煙室扉はお正月くらい綺麗にしてやって欲しかったですね。
罐の整備は丁寧だった宮崎も、末期は手抜きでしょうか?
余命3ヶ月で修理予算カットだったのでしょうか...ちょっと残念でしたね。