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加害者の責任、傍観者という悪。

2017-04-05 20:11:06 | その他
大学に、性的暴力の加害者・被害者を生み出さないことはできるのか? ー 千田有紀さんのご記事から考えた


この記事↑は、加害者を「男性・集団やグループ」、事柄を「性暴力」、場所を「学校・大学」としているけれど、「欲望(一次・二次欲求)や(願いを叶えてくれない、願いが現実のものにならない)恨みに基づく行為(暴力・ハラスメント)全般」について、「性別・年齢・人種・個人か集団か」を問わず、社会の全ての場所で、当てはまると思います。

引き出してみると、

「傍観者が加害サイドの行為を黙認したり助長したりすること自体が悪」
「被害者の自己責任が厳しく問われ、よほどのことがなければ加害者は責任を問われず、まして傍観者の対応の落ち度が指摘されることはない」

組織や体制は

「不祥事は発生しないでほしい」と動く
「加害者と被害者がはっきりした不祥事であり、場合によってはクラス担任などの教員や大学の責任が問われるような出来事は、発生しないでほしい」と動く
「『問題というほどの問題は発生していなかった』『苦しめられた1人の問題であった』こそ、組織として望まれがちな解決」
「残念ながら、これが日本の」「現状」

欲望の的、恨みの対象になった者からしてみれば

「『不利な状況の人(自ら陥ったかもしれない)の自己責任を問わず、加害者に対しては“その行動を選択した”という責任を厳しく問い、傍観者にも一定の責任を問う』」を原則とすること
「まず目指すところは」「暴力的行為を、『被害者の自己責任』としないこと」

です。

これは、閉じた集団のなかだけではなく、開かれた公共の場でも同じですよね。


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2017年5月12日追記。

原文を読んだ。
いろいろ思うところある一文でした。

ただ、

“加害者にならないためになによりも重要なことは、「同意をとること」です”
“いつどこで相手が、「イエス」といったのか。
それが証明できれば、加害者であるとはいわれないでしょう。
もちろん、イエスといった相手も、「それ以上は嫌だ」ということがあるでしょう。一度イエスといったからといって、ずっとイエスとは限りません。
ですからつねに、相手の意向を気にし続ける必要があります”
“それは「加害者」とされてしまう側が、身を守ることにもつながります”

↑上記の1点 について(は)、とても同意した。老若男女問わず、心に留める(べき)ことです、加害者にならないために。

人間として、

「相手の意思を無視して人に対して何かすること」が、人と人の関係における「悪の根源」だから。「相手の意思を無視して人に何かしていいと思うこと」が、「悪そのもの」「悪それ自体」だから。

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