大円の窓  OH MAD? NO MAD!

大円 一篇 (おおまど かずふみ)です。
SFホラー政治哲学小説、書いてみました。

読書メモ 世界全戦争史 松村劭、H&I出版 12

2017年08月13日 | 世界全戦争史
・ 歴史には、「変化するもの」」と「変化しないもの」がある
・ 戦争に関する名著は、「変化しないもの」を扱っている

・ いつの世においても「変化しないもの」とは何か?
 ・ 戦略、戦術の極意を見つけること
 ・ 軍隊における将軍の資質
 ・ 指揮統率

・ では「変化するもの」とは何か?
 ・ クラウゼヴィッツ、ジョミニ、リデル・ハート、孫子が取り扱っていないもの
 ・ 彼らが意識的に除外した概念
 ・ それはすなわち、「戦闘ドクトリン(コンバット・ドクトリン)」と「戦闘陣形(コンバット・フォーメーション)」

・ 戦闘ドクトリンおよび戦闘陣形の目的は何か?
 ・ 「火力」と「機動力」をいかに巧妙に組み合わせて、「得意技」を研究開発するか
 ・ 欧米では、この組み合せを練りに練って戦うことを「コンバインド・アームズ・コンバット」という

・ ところが日本では、戦前にも戦後にも、「コンバインド・アームズ・コンバット」を的確に表現した軍事用語がない
・ どうも日本人は、システム的に戦うことが苦手らしい。抜粋
 ・ 日本の戦国時代の戦史をみても、いかにチームで戦うか、そのためにいかなる装備を整えて組み合わせるかということを研究した史実資料を見つけることが難しい
 ・ 日本の城に展示されている武具は、美術性があるが統一性がない。
 ・ 一方、欧州・中東の城に展示されている刀槍・楯は斉一性があり、チーム戦闘という思想が存在していたことを実証している
  * 日本人の「和」という概念は、チームプレーではない
  * 「やあやあ我そこは~」という自己顕示欲の戦い?
  * だから日本の政治家はああなのか?
  * 野球文化とサッカー文化の違いに近い?
  * だとすれば、サッカーの流行は、日本人の考え方を変化させる?

・ 「部隊として得意の戦闘方法」という概念がないまま、日本はペリーに鎖国をこじ開けられた。
・ チームプレーが根付くことなく、日本はそのまま日清・日露戦争、そして第二次世界大戦に突入していった
・ 日本は鎖国していた250年の間に、世界が軍事的に経験したことを追体験することがなかった
・ つまり軍事的経験から言えば、日本は大阪城落城から一気に日清戦争に突入したのである。
 * 戦国自衛隊の逆バージョン?
 
・ 日本人は、今日に至るもその250年の追体験を怠っている。
 * 日本人は、目的設定もしないし、段取り下手だし、時間割をつくらないし、進捗管理をしないし、適時修正することができないのは、つまり鎖国のせいなのか?

・ 海軍、空軍、戦車部隊の戦闘は、原則として機敏かつ整斉とした戦闘陣形をもって戦う。抜粋
・ だから陣形が重要となる
・ だから戦闘ドクトリン、すなわち戦いの得意技が重要となる

・ 戦闘陣形について考えていた稀有の日本人がいる
 ・ 東郷平八郎と秋山真之
 ・ だが戦闘ドクトリンという概念について理解していたかと言えばはなはだ疑問

・ 戦闘ドクトリンはなぜ「変化するもの」なのか?
 ・ 軍事科学技術とくに兵器の進歩発展と著しく関連するから

・ 変化するものなら、なぜ戦闘ドクトリンを学ばねばならないのか?
 ・ 変化の中に存在する「変化ルールの経験則」を学ぶのだ
 ・ それが将来の戦闘ドクトリンの研究開発における指針となる
  * トレードにおけるトレンド転換を学ぶようなものであろうか?
 ・ 例えば、第二次世界大戦において、兵力劣勢のドイツ軍ロンメルと兵力優位の米軍では、戦闘ドクトリンは全く異なるものであった
  * 違いの中に経験則を見出す?

* 「日本人の「和」と言う概念は、チームプレーではない」という言葉に強く反発する人間がいる。
* では、企業のブラック化、パワーハラスメント、学校の虐め、公文書の隠匿、定常化した忖度文化、八百長文化をどう説明する? ただの神事? 儀式?





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