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鎮魂歌。有難き日本。

真珠湾攻撃に対する中国人掲示板の意見です。
中国の人たち以外にも、欧米の知識人や、日本人でも自虐史観を教えられて若者やリベラルインテリの方々もこのように思っている人はたくさんいることでしょう。


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( `ハ´)「人類史に永遠に記憶される騙し打ち、真珠湾攻撃」 【中国の反応】
(抜粋)

1.スレ主
人類史に永遠に記憶される騙し打ちだ。


4.とある中国人
明治維新後、その劣等民族が琉球諸島を占領した。
そして彼らはアジア強国に入る。
その時の清は、未だ頑固に鎖国を続けて別国の長所を参考にしなかった。
遅れの為、黒竜江以東の国土がロシアに盗まれた。
遅れの為、近代東洋列強に侵入され、蹂躙された。


6.とある中国人
なぜ第二次世界大戦の元凶の昭和天皇がA級戦犯に入れられなかったんだ?
これは戦犯を庇ってるのか?
だから日本は今まで自分の罪を認めていないんじゃないのか?


10.とある中国人
日本の天皇が野心を出しただけだよ。
しかし裕仁はA級戦犯にならなかった。
それは第二次大戦でアメリカを始めとする法廷の最大のミスだわ。
裕仁のような罪深い戦犯を漏らすなんて、日本に侵略された世界の人民に対して最大の不公平だよ。


11.とある中国人
真珠湾攻撃って米国のペテンでしょ?


12.とある中国人
>>11
日本人は狂犬のように誰にでも襲撃するよ。
真珠港を奇襲して、数千のアメリカ兵を殺して、一時の英雄気分になった。
しかし代価は痛ましかったね。
アメリカ人は2つの原子爆弾で数十万の日本人を殺した。
日本人の狂気とは関係ない日本の庶民に影響した。
日本天皇は鬼子の元凶だ。
戦争を巻き込み数千万のアジア人民を殺した。
第二次世界戦争後、なぜ日本天皇をA級戦犯に入れなかったのか!

http://asiareaction.blog.fc2.com/blog-entry-1620.html
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このブログでは太平洋戦争に関する歴史の真実を長い時間をかけて検証してきました。
その成果もあり、上記のようなコメントを読んでも、もう以前のように心が乱れることもなくなりました。


大昔の昔、この日本という国ができるころ、スサノオは高天原で乱暴を働いたという冤罪をかけられ、アマテラスの天の国を追い出されたといいます。
しかし私達はスサノオが無罪であったことをしっておりました。
縁ある人達にはスサノオが無罪であったことを伝えおきはしました。
しかし世界で認められる歴史では、スサノオは自らの乱暴によって追放されたと記録され、子孫の多くである日本人はそれを信じて来ておりました。
私の脳内では、そのような妄想と日中戦争・太平洋戦争は重なります。


スサノオを追い出したアマテラスの子孫である、現在の日本人はかつてのスサノオと同じ立場の鏡の裏表のようであります。
とくにアマテラスの直系の子孫と言われている昭和天皇におかれましては、日本国民を助けるために、誤解を正面から受け、非難をお一人で受けられておられました。
少なからず心ある国民はそのことは知っていることでありましょう。



今回のシリーズを検証して一番に感じましたことは、私達は日本に生まれ育つことができた幸運を本当にどこまで噛み締めているかということでした。
アメリカに繰り返し国土の大規模破壊を受け、国体絶滅寸前までいったにも関わらず日本という国が解体されず、日本という文化も継承できた幸運のことです。


これは少なくとも2000年以上に渡って、膨大な人たちの日本を大切に想う気持ちの蓄積であったとことであろうと思います。
実はこのような地域では世界では稀(まれ)なことであります。


日本人が大切にしていたことは「お天道さまが見ている」という道徳観であり、国土の自然を神様として畏れ感謝するという宇宙観であり、自分たちが平和に暮らせるのはご先祖さまのお陰であるという宗教観でありました。


世界三大宗教では、「国土の自然を神とする」「家系の繋がりを大切にする」という価値観はありません。
しかし日本では、多くの国民は「国土の自然に神を感じ」「自らの家系の繋がりを大切にする」という想いを数千年にわたり蓄積し、その結果その想いの蓄積が「日本」と形成し維持させているのであると思うのです。



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他の文明に比べて日本の皇室がケタ違いに長く続いている理由であります。
一人一人は数千年にわたり、国土の自然とそれぞれの家系を大切にしていたからであろうといえるでしょう


一人一人の家系繋がりの集大成=日本国
であるからであります。


面白いことに戦後都会のインテリと言われる人ほど「日本」を蔑むことが平気でできることは、彼ら自身が自らの家系を捨てているからであると私は考えています。
自宅には家系を祀る仏壇や位牌などは当然なく、お盆やお彼岸は行楽にいく休日だと思っているリベラルなインテリの方々であります。
彼らは自らと家系を分断しておりますから、家系の集大成である日本に対しても貶めることができたり、そういう人たちに投票できるのでありましょう。


しかしどんなに名声のあった知識人、教育者、権力者の方々であってもこの世界から離れるときは全て手放して去らなければならないわけであり、自ら無視していた、自ら軽視していた家系の縁を通じて元来た世界に還っていくことになるのでありましょう。どんな人でもその時点で少なからず後悔することになると思います。


家系の繋がりを大切にすることと、国土の自然を神様として畏れることと、自らのお天道さまに恥じないで生きることは、同じ直線上にある同じことでありました。
それを古代から多くの人たちが蓄積し、「日本」が維持されたのでありました。
破滅寸前でもギリギリで日本が救われた本当の陰の理由であると思います。



日清戦争・日露戦争・満州事変・日中戦争・太平洋戦争、いずれも明治天皇や昭和天皇は強く強く反対されていたことを知り、私達は安堵します。
太平洋戦争を終わらせるために自らの命を捨てる覚悟をされた昭和天皇を知り、私達は安堵します。


私達は自分たちの国を信じて良かったと改めて思い出せるからです。
自分のお天道さまに恥じない生き方と、国土の自然を畏れる気持ちと、家系の繋がりを大切に想う気持ちの延長線で、必然的にこの国を信じて良いということを改めて知ることができたからです。


他の国や地域ではこういう宇宙観人生観国家観は稀であります。
国民が国家を信じることができない国が数多くあります。
自分の親族だけ無事ならいい、自分の家族だけ無事ならいい、自分個人だけが無事ならそれでいいという人生観を持った人々が人類の多くを締めているかもしれません。むむむ。


しかし幸運なことに、私達日本人は自分の国を信じて良い、幸運な稀有な国であります。
それは歴史という事実↓もまたそれを証明しています。


本当にありがたいことであります。



おわり



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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鎮魂歌。遅かれ早かれ。

当初このシリーズは日本が「侵略戦争」という汚名を挽回し無実を証明するためにスタートいたしました。
しかし調べていくうちに、戦争の原因は多くの日本人の心にあったという結論にたどり着きました。
ただそれは一般的に言われる「日中戦争・太平洋戦争」が侵略戦争であったという説とは少し異なります。
その前に起きていた「日清戦争・日露戦争・満州事変」という信義なき戦争でで勝ち続けたことにより発生していた因果によるものであると私は考えました。


日中戦争も、そして特に日本が滅亡の一歩手前まで破壊された太平洋戦争も、開戦については多くの日本人がそれを止めようと努力していました。
昭和天皇はその筆頭であられました。
しかし大きな蟻地獄に除々に引き寄せられるかのごとく、日本はアメリカとの戦争をせざるを得ないように堕ちていきます。


今回のシリーズで考えさせられましたことは、人生における因果の厳格さであります。
この現世と呼ばれる宇宙では、おそらく陰と陽が常に同時に発生しているのでありましょう。
しかし私達生きている人間には時間軸に沿った視点しか持ちませんから、陰が発生して、陽が現れるまでに時間差があるように見えているのでありましょう。
このためこの世界の現象はつねに振り子のように陰と陽、正義と悪、勝者と敗者を振れているように見えるということでありましょうね。


明治政府が朝鮮半島に侵出したことが、そもそものボタンのかけ間違いでありました。
ここは私の妄想仮説ではデス・テリトリーでありますから、生半可な関わり方をすると関わった方が厄災を被ることとなります。
ロシアから日本の国土を守るための防衛線とするという自分都合の戦略から朝鮮半島に侵出した明治時代の日本は、結果的に昭和時代に大きな厄災の反動を受け国が滅亡する一歩手前まで打撃を受けることなりました。ふう。


いつの間にか朝鮮半島を守るためという役割に立たされ、大国であった清や大国であったロシアと戦争をすることになっています。
おそらくそれまでの日本民族の運(誠実さ)の貯金があったこともあり、これらの戦争は何と勝利してしまいますが、それが日本を滅亡に導く悪縁を同時に醸造しておりました。


白頭山の向こう側の満州は、いつの間にか日本の生命線となり、日本人は戦争で得られる権益に終着する民族となり、満州を守る関東軍は日本の国土と精神から離れ暴走していきます。
彼らの暴走により日本は国際的にどんどん孤立化していきます。


明治時代までの日本民族の質素で謙虚であった性質は、このデス・テリトリーへの侵出によって、傲慢な民族へと変質していきました。
人間は堕ちる時は簡単でありますが、日本は民族全体にその罠にハマっていったのかもしれません。
大国である清やロシアに勝って、権益を拡大していった日本の民族は、傲慢さを増長していったのかもしれませんし、それが自らの滅亡の悪縁となっていったことは間違いありますまい。


日本が滅亡してしまう悪縁を清算するには、日本の民族が終着していたデス・テリトリーの権益を手放すことでありましたが、もうすっかり憑かれていた日本民族は執着を固辞するあまり、戦線を中国大陸や南方に広げていきアメリカと戦うこととなりました。ふうむ。



もし明治政府が国防のためという理由で朝鮮半島に侵出していなければどうなっていたことでしょう。
おそらくロシアと清の両国による朝鮮国家が存続していたことでしょう。
今の北朝鮮と韓国のように、ロシア支配下の朝鮮国家と、清の支配下の朝鮮国家に分断されてしまっていたかもしれません。
ただやはり日本はどうしてもお節介の仲介をしていた可能性はあります。
その昔、天智天皇が助けを請う百済を応援して、日本が大きな損害を被った出来事がありました。
朝鮮半島でロシアや清が勢力を伸ばす戦争が起きれば、残念ながら当時の日本であれば、干渉していったことでしょう。むむ。


そんな平行世界の妄想でありましても、やはり結果的に朝鮮半島や白頭山の向こう側の地域には、日本を敵視する反日国家が生まれていたことと思います。うむ。
日本がその元来の素直さゆえに国家が繁栄すればするほど、デス・テリトリーという土地が醸成してきた恨(ハン)とうい空気は、日本を恨むこととなった可能性が高いかもしれません。日本人の人の良さにつけこむという形で。


現在彼の国は反日国家でありますが、これは遅かれ早かれこういう形になっていたと思います。
(逆に現在アメリカとは最大の友好国でありますが、こちらも遅かれ早かれこういう形になっていたのではないかと思います。)



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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鎮魂歌。戦中戦後の4大地震。

日本という国土は本当に自然災害の多い国土です。
日本の国土は世界の0.25%に過ぎませんが、世界の地震の20%は日本で起きていると言われています。
また日本は世界有数の台風の通り道に国が沿っています。


このように自然災害が多い国土でありますが、それゆえ高度な精神性が培われたともいえると思います。
どんなことでも陰と陽で一体であり、一見ハンデに見えることは本質ではかけがえのないお宝である表裏一体が人生の奥深さであるのと同じですね。


日本人は自然の脅威の中で住むことにより、自然を畏れる文化が育っていきました。
自然災害をおさめるためには、常に自然を畏れ自然に感謝する感覚が日本人の中に育っていったといえるでしょう。
どんなに文明が発達しても自然への畏れと感謝を(比較的多くの人々が)持ち続けているというのは、日本以外では残念ながらあまり見聞しません。


もし北京やニューヨークやロンドンなどが、数十年に一度地震で街が定期的に瓦礫になることが起き続けていれば、彼らの文明観も大きく変わっていたことだと思います。
自然の脅威が少ない地域で育った文明は、人間の傲慢さを増長させる温床でもあると思います。



もう一つは自然というどうしようもない脅威の前では、自分が持っているものを奪われるのはもう仕方がない。という潔さであります。
日本人が他民族に比べて「水に流しやすい」性格であるのも、この自然の脅威にさらされつづけた文化であるがゆえであることでしょう。
日本が現在世界で繁栄している大きな理由の一つはこの「水に流す」という民族の性格によるものであります。
(他には「お天道さまが見ている」という道徳感であり、「他者が喜ぶことが自分の喜び」という母性観などなどであると思います。)



また日本の国土が他の地域に比べて自然の気が強いのもまた、自然災害が強い地域であることと関係があるように思います。
日本では空き地があるとすぐに雑草が生えるのがあたりまえですが、他の国の地域では砂漠のままであるところも広大にあることでしょう。
大雨が降ったり、大風が吹いたり、地面が揺れたりする活発な自然の大地でありますから、自然の生命の気も強いかもしれません。


古来から日本人は自然災害を抑えるために、自然を畏れ自然に感謝を捧げてきました。
そして自然の畏怖を忘れた為政者があらわれると厄災が起きると考えられていました。
たとえば現在でも、古来からの日本の価値観から離れて、日本そのものを貶めようという人が首相になると、大きな地震が発生するのは偶然とはいえないかもしれません。
阪神淡路大震災や東日本大震災など。など。


太平洋戦争期においても、日本が破滅にむかって崩れすすでいる終盤の時期に、大きな地震が二つ起きました。まるで国土を守る神々が悲鳴を上げているかのようにも思えます。


一つは出雲付近で起こりました。1943年9月10日でした。
鳥取でM7.2の震度6で死者1000人を越えました。



もう一つは熊野と伊勢付近で立て続けに二つ起こりました。
出雲の約1年後であり、1944年12月7日と1945年1月13日でした。
それぞれM7.9で死者行方不明者1200人以上、M6.8で震度7死者行方不明者2300人と言われています。




そして終戦後の1945年。8月に無条件降伏したあと4ヶ月たった12月21日。紀伊半島沖の広範囲でM8.0の大きな地震が発生します。
死者は1300人以上となり、静岡から九州までの広範囲に津波が襲いました。



多くの日本人の心とつながっていた日本の国土の自然でありますが、太平洋戦争でボロボロに敗けたという事実は、日本の国土そのものも満身創痍であったように思えます。
これほどの短期間に立て続けに大きな地震が発生したのはこの時期だけでした。
出雲→熊野・伊勢。
いずれも古来から日本人が国土の神様とお祭りしていた場所でありました。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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鎮魂歌。人間万事塞翁が馬。祝福。

昨日の12月23日は今上天皇のご生誕の日でありました。
東京は快晴であり、空気の澄んだポカポカとした晴れがましい一日でありました。


さて12月23日はA級戦犯7名の方が処刑された日でもありました。
彼らは昭和天皇の誕生日である4月29日に起訴され、当時の皇太子殿下のお誕生日である12月23日に処刑されました。


当時のGHQは日本の国体を破壊することが一つの使命でありましたから、本来なら皇室の人間が処刑されるべきであったのだぞ。という隠れた意思表示であったのかもしれませんね。


さて世の中は常に振り子のように動き振れながら進んでいきます。
止まったままでいることはこの世では不可能です。
陰と陽、善と悪、勝者と敗者、これらが常に入れ替わりながら、この宇宙は進んでいきます。ふむ。


日本を破壊するためのGHQでありましたが、ほどなくマッカーサーは日本に惹かれ(日本に肩入れしすぎたことが、彼の大統領への道を閉ざしたとも言われております)、また奇しくも冷戦の時代となりGHQ(およびアメリカ軍)が日本を世界から守るめぐり合わせとなっていきます。
ゆく河の流れは絶えることはありませんが、決して元の水のままであることはありません。


話は少しずれますが、逆にかつての宿敵であった世界最強の軍隊でに日本全体がすっぽり守られていたため、日本は無防備であるからこそ世界のどこからも攻められることはないというお花畑脳を増殖させる土壌となりました。皮肉なものです。



閑話休題。
12月23日に処刑された方々は「皇室の」ではなく「日本人全体の」身代わりとなり、あるいは代表として潔く自分の運命を受け入れた方々でありました。
なぜなら本当の戦争犯罪者とは私達大多数の「日本国民」でありましたから。
日露戦争ではもっと賠償金をとるはずだと訴え、真珠湾攻撃にはよくやったと溜飲をさげた私達が戦争の原因でありましたから。


※ 他の国の戦争犯罪者はそれはそれで他の国の時間軸にそって自らを裁き帳尻をあわせることとなるわけですから、彼らの非道については、この場では言及することなく彼らの心の裁判官にお任せすることといたしましょう。



日本人の代わりに彼らの代表として処刑される方々の想いはいかがであったでしょうか。
彼らの中には本当に戦争を止めようとした方々もいらっしゃるように思います。
日本民族の大きな宿題の一つである、「冤罪のスサノオ」が再現されたようにも思います。


彼らは、自分たちが処刑されることで「日本の国体=皇室」を守ることができるのであれば、という想いだけであったことでしょう。
そしてこれからは平和な日本として繁栄して欲しいという想いだけであったことでしょう。


GHQは皇太子殿下のお誕生日に合わせて彼らを処刑したということであっても、その日は奇しくも冬至でもありました。
A級戦犯の方々は因果を自分たちで一手に引き受けて、新生(神聖)日本に新しいバトンを引き渡したという意味に私は妄想いたします。
自分たちの命と引き換えに新しい日本の出発を守ったと思えるのです。


もし彼らが恨みつらみで亡くなったのであれば、それは日本を破壊する呪いの一つとして私達に覆いかぶさっていたかもしれません。
GHQの誰かが考えたように、恨みの鉄釘として日本にささっていたかもしれません。


しかし彼らが多くの人々の幸せを願い彼らを守るために身代わりに亡くなったのであれば、それは日本の再生を生み出す祝福となっていたのではないでしょうか。
かつて2000年以上前に多くの人達を救うためにすすんで処刑された方がいらっしゃいました。その後ローマ人たちによって彼らの土着のお祭りの日をその御方の誕生日として祝い祝福する行事が世界中に広まりました。
その日もまた「冬至」でありました。一年のうちで最も「新生(神聖)な日」であるからでした。


最大の呪いは最大の祝福と同じであるということではありますね。(妄想ですが)
ただ一つの違いはそれに関わる人の気持ちだけです。
自分の不幸を呪いながら生き呪いながら死ぬのか、他の人を救うために生き救いながら死を迎えるのか。



膨大な方々の想いによって私達の国の平和が守られているわけであります。
ありがたいことであります。そしておめでとうございます。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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鎮魂歌。スサノオ追放。残された宿題。

太平洋戦争に負けて日本は様々なものが壊されてしまいました。
数多くの日本人が亡くなったこと、数多くの日本人がどん底の生活に落ちてしまったこと。そして何より日本が日本を大切にするという心(教育)が大きく破壊されてしまいました。


デス・テリトリー(白頭山地域)に関連する周辺国が日本を非難攻撃することはわかりますが、肝心の私達日本人自身が日本自身を貶めていることにはこの世の不条理を感じざるを得ません。


なぜこのようなことになったのでしょうか。
その考察から近代日本の歴史の振り子まで考察を遡ることができました。うむ。


しかし私達は自分の個人の生活の経験から体験的に知っていることはどのような振り子であっても、最期まであきらめなければそれは自分の成長に必ず役に立つ肥やしになるということであります。
キリストの放蕩息子のたとえのように、どん底の体験こそが(そこから這い上がる限り)本当の魂の宝になるということでありますね。


戦前の日本人のほとんどは本当に日本を愛し誇りに思っておりました。
日本のために命を賭けるのは当然でありました。
そのように教えられ、周囲全員がそう思っておりますから、疑問をはさむ余地はなかったことでしょう。


しかしそれはそれで行き詰まるとまた逆方向の振り子が働き始めます。
なぜならこの宇宙自身が振り子のように常に行きつ戻りつしながら成長という時間の軸を進んでいくようにできているからであります。
どんなものでも「生み出され」「成長し」「死滅する(=破壊される、次の相に移行する)」を繰り返しながら、宇宙自身が自分を知る体験をしているともいえましょう。


閑話休題。
もし日本が、本当に日本を愛し大切にする日本人を見たいのであれば、彼らが日本を否定する環境育っても、日本を敬愛することができるかを、次に知りたかったのかもしれません。


私達日本民族は明治の開国後学んだ一番の教訓は「国の傲慢さ」が「国を滅ぼす」という因果であったことだと思います。「国の傲慢さ=日清・日露戦争、満州事変」であり「国を滅ぼす=日中戦争、太平洋戦争」であります。


莫大膨大な犠牲のあと私達日本人の文化の礎(いしずえ)は、日本を否定するところから始まりました。
その役割を担ったのが、思春期を戦争末期(日本民族全体に有史始まって以来の強いストレスがかかった)で過ごし、反動の青春期をGHQの亡国政策(日本的なものは全て否定する政策)で送った団塊の世代が、日本を貶める役割に選ばれました。


特にエリート層がその日本貶め役に引き寄せられて行きました。
これは偶然ではなかったかもしれません。
文化的生活という名の根無し草に惹かれ、日本が古来から大切にしてた神棚(土地の神様を敬い)と仏壇(先祖を敬う)のない生活で高度成長の人生を謳歌させてもらった世代であります。
彼らの多くがマスコミや教育者などの分野に引かれ、繁殖したのもまた、日本民族自身が自らを否定する環境を醸造したようにも思えます。戦後の振り子の反動とも思えます。


自分の家族や自分の郷土や自分の国とは自分自身の分身であります。
だから生涯をかけて、自分の家族を貶めたり、自分の郷土を貶めたり、自分の国を貶めたりすると、それはやはり人生を終える時には正気に戻り後悔することになるであろうと推測します。自分のお天道さまとは本来もっとポカポカ暖かいものであったはずですから。


だから団塊サヨクの人たちは、これからどんどん順番に自分の最期と直面しつつある時代に入ってきておりますが、やはり最期の前には日本を愛し、自分の家族(家族=ご先祖様です。仏壇もなかったし墓参りはほとんどしないで行楽してたけど)を大切にすることを思い出して欲しいなあと思います。自分が散々非難していた皇室の御方々こそが日本(自分たちが謳歌した高度成長という世界屈指の平和を維持してくださっていた)を守られていたということを思い出して欲しいなあ。と思います。


そして団塊サヨクの(自業自得ではありますがある意味非常にお気の毒な)お役目のおかげで、そのマスコミ報道で多くの日本人は日本を貶める空気の中で生活し、戦後の子どもたちは自虐史観という洗脳教育で大人になることとなりました。
さてここから、こんなぶ侮国の中においても、本当に日本を愛せる人は出てくるのでしょうか。本当に日本を大切にする人は出てくるのでしょうか。


宇宙が自分自身を知りたかったように、日本もまた自分自身を知りたかったと言えるかもしれません。
振り子の反動で日本は多くのものを痛ましく傷つけ失うことになりました。が、はたして日本人の多くが日本を貶める洗脳を受けながら、どれほどの日本人が日本を敬愛する精神を維持することができるのでしょう。それを知りたかったのかもしれません。


かつてスサノオが無実の冤罪で高天原を去りました。
スサノオを追い出した高天原の神々(日本人の祖先)はその宿題を残したままであります。ということを日本の神話として語り継がれているとも言えるかもしれません。


私達子孫は冤罪であった人の心の誠意を見抜くことができるのでしょうか。
前回の冤罪はスサノオでありましたが、今回の冤罪は日本自身であります。
団塊サヨクインテリ層の人たちがお気の毒な役割ですが、かつて弁解しないスサノオをおとしいれ非難した住人たちと同じように、今度は弁解しない日本をおとしめ非難しております。


戦後とは、私達日本人のどれだけが、本当に日本を愛し大切にするかが試されている時期であったかと思います。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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鎮魂歌。美徳。

戦後、国内国外から戦争犯罪の責任者として非難を受けられても、昭和天皇は一言も弁解されず黙ってお受けになられておりました。
戦争を回避しようと最後まで努力され、終戦においてもご自分の命の引き換えに無条件降伏を受け入れるお覚悟で自ら働きかけられました。
しかしそれでも国外の事情をよく知らない人々や、国内の心ないあるいは心の目を持たない人々から非難され批判されることが長く続きました。


昭和天皇が一言も弁解されなかった理由は、一つにはやはりご自身が責任をお感じになっておられたのではないかと思われます。
もう少し頑張れば戦争を回避できたのではないか、もっと早く終戦締結ができたのではないか。とお思いになられていたのでしょうか。
あの戦争への流れは私達国民の大勢の総意でありました。
明治開国以来の外交と軍事の振れ戻しでありました。
そのように私は考えております。
昭和天皇に戦争の責任があるとしたら、私達国民は連帯責任として「開戦への蟻地獄」に対して、その100倍の責任を持っていると思っております。



昭和天皇が一言も弁明されなかったもう一つの理由は、やはり私達国民をかばってのことであったと思います。
「私は戦争は最後まで反対であった」と公言されることは、他の日本人にその罪をかぶせるということでもありますから。



日本の古来の神話に、スサノオが無実の罪に対して弁解せず、高天原の追放を自ら受けたという解釈もあります。
無実の罪でも疑われた時点でそれを黙って受け入れるという心持ちが、日本民族として生まれる人々に渡される割符の一枚であるようにも思います。


一つには、
自分は悪くないのだ。悪いのは◯◯なのだ。と主張する時点で本人も同じ土俵に落ちてしまうということを本能的に嫌っているのでしょう。


もう一つには、
疑っている相手にはいくら言葉で説明しても、説得することは本当はできない。
日頃のその人の行ないによる信用の積み重ねのみが、相手を信じさせることができるただ一つの材料だ。という精神性の高さでもあるのでしょう。


そして三つめは、
清廉潔白であることは自分の心(お天道さま)が知っている。
もうそれで充分であるということを、やはり長い長い経験から知っていたということでありましょう。
私達は他人の目の為に生きているわけではありません。私達は自分の心を納得させるために生きているわけですから、誤解されたままであってもそれが自分に対する中傷であるだけなら、それはそのまま放置しても良いことを知っているのです。
人生の信用という貯金がないときに弁明しても泥沼になるだけでありますから。


私達日本人は自ら弁明せず、しかし相手が黙っているときは冤罪ではないのか?と心を配るという「空気」を何千年にも渡って醸造してきたのではないでしょうか。
日本という国家が振り子の因果応報のサイクルが短い理由は、まだそれでも多くの日本人が、自らの「お天道さま」の視点で人生を送っていたからであったと思います。



誤解されたまま放置するというのは、一見して辛い苦行のように思えるかもしれません。
しかし自分の人生の視点が、「他人からどう思われるのか」なのか「自分のお天道さまがどう見ているか」なのかを検出することができる貴重な実験の機会であります。
天網恢恢疎にして漏らさず。最後まで自分の思いやりに忠実であったかどうかしかこの短い自分の人生では意味がないのでありますから。
自分を誤解していた相手とは、本当は自分自身の影でありますので、無理に説得する必要はなかったのでした。
相手もまた「自分が他の人から誤解されているかもしれない」という同じルールで短い時間自分自身を試している同じ魂でありましょうから。


自分一人の問題であるならば、そのまま弁解せず去ることもありましょう。
最後まで自分の誠意にウソをつかないのであれば、言い争いをしてまで守るべきものは何もなく、手放すことが自分をほどくことであるかもしれません。


ただ自分の家族と子孫を守るためには、言うべきことを言う必要もありましょう。
相手を説得する必要もありませんし、相手と同じ土俵に堕ちる必要もありませんが、
国家として事実だけは淡々と公式の場所に置いておくというということもまた大切なことであります。
「弁解しない。わかる人だけがわかればいい。」という何千年もの美徳をつむいできた日本という国を引き継ぐ人々には少々不得手な分野ではありますが。


10年20年の視点ではなく、1000年2000年の視点で、私達はこの戦争の事実をこの世界に刻んでいくことが大切であろうと思います。



つづく




おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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鎮魂歌。因果応報の早さ。

なぜ日本がアメリカと戦争し、日本の国体(日本人が自然や家族を大切にしていた道徳心)の多くが大きく傷つけられることになったのか。
それをずっと考えておりました。
少なくともその原因は明治からの、日清戦争・日露戦争・満州事変など表向きは日本が勝ち続けていた戦争に原因があることに考察がいたりました。
(では日清・日露戦争で日本が満州・朝鮮半島というデス・テリトリーに侵出していったのかという原因はまた奥深く過去の因縁と繋がりがあることと思います。歴史は振り子が螺旋を描きながら変化していく世界の様相かもしれません)


しかし明治以降から昭和初期までの日本の外交軍事戦略の因果応報とはいえ、不公平な気もいたします。
原爆を2発も国土に打ち込まれ、首都が焼け野原になるまでの悪事をしたというのでしょうか。
満州や朝鮮から引き上げ遅れた大勢の日本人が直面した暴力を受けるほどの悪事をしたのいうのでしょうか。


世の中には明治~昭和初期の日本などとは比べ物にならないほどの悪事を他国や自国民に振るって置きながら、大国として繁栄してる国々もあるのです。
近代史を調べれば調べるほど、日本に否があったことも当然あり、その報いが振り子となって日本民族じたいに跳ね返ってくることもあることは理解できても、やはり不公平である感じを受けます。


しかし私たち個人の人生に思いを馳せますと、やはり人によって因果応報が短い期間の間に現れる人もいれば、非常に長い期間(場合によっては家系の世代をまたいで)に現れる人もいることがあります。


どのくらいの期間で因果の振り返しが来るかは、人それぞれでありますし、その期間が短ければ短いほどその人は、実は幸運である。と思うのです。
因果応報の期間が短ければ、間違いを犯しても修正することが容易だからです。
私など凡人はいつでも簡単に傲慢さという悪徳を作ってしまう傾向がありますから、そのたびに社会ですぐガツンと頭を打たれる環境の方が幸運であると思います。


この社会で一番不幸な人とは、因果応報の揺り返しが長~いため、ずっと自分の傲慢さに気が付かず、人を傷つけたり不満不満を積み上げながら、短い人生のほとんどの時間を過ごしてしまうことであろうと思います。
そういう意味では一般的には社会的に地位や名声がある家系の人間ほど厳しい誘惑にあるということでしょう。
逆に一見社会の底辺と呼ばれる層でも、自分や家族を養うために働いている人は、短い人生を真実の時間にいられることとなる可能性が高いと言えると思います。
否が応でも謙虚にならざるを得ない境遇の人は、本当は大きな宝をその人生で与えられていると言えるように思えます。
表面的な社会的地位や権力は、本質的には逆であり、表面的な社会的地位や権力は本人の執着をいっそう強めることになるハンデキャップであると思います。


さてその視点では、日本が「因果応報の現れが短い」国であるということは、実は非常に私達にとって幸運であるということであると思います。



因果応報のサイクルが短い人は、心の底ではやはり素直な人が多く、サイクルが長い人は、心の底では執着ししがみつく傾向が強い人が多い傾向がるのでは。と私は妄想しております。
この妄想の視点では(一人一人個人のミクロの視点ではなく、日本民族という非常に大きなマクロの視点では)日本民族には「心の底では素直な人」が多かったのであったいえるかもしれません。



つづく




おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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鎮魂歌。プラスマイナスプラス。

日本人の多くはオランダと戦争をしたという意識は薄いでしょう。
しかしヨーロッパの人たちにとっては第二次世界大戦の日本はナチスと被って軍国侵略国家として意識されています。
「バスに乗り遅れるな」ナチスにタダ乗りしたツケと言えます。


またオランダ領インドネシアでは白馬事件という慰安婦事件が発生しました。
記録によるとスマラン島でオランダ人35人が日本軍に強制連行され慰安婦として働かされたという事件でした。
==========
一方、オランダ人女性の強力な抵抗により若い女性が連行されることを防いだ抑留所(スモウォノ・バンコン・ランペルサリ)もあった。年上の女性たちが志願することで、若い女性が助かった事例もあった。(略)これらの身代わりとなった女性は「志願者」と呼ばれた。
(Wikipedea「白馬事件」より)
==========
彼女たちからすると日本軍兵士はどのように見えたことでしょうか。
朝鮮半島の慰安婦強制連行は完全な空想捏造でありますが、白馬事件は日本軍の残念な事実として歴史に残りました。


この事件は捕虜の扱いを調査しにきた陸軍省の小田島大佐に現地オランダ人からの告発により発覚しました。そのオランダ人男性は娘が連行され慰安婦にされていたのでした。
小田島大佐は早速調査し、日本軍が民間人を強制連行売春していたことに仰天し、すぐに慰安所を閉鎖しました。


さて戦争が終わりました。
オランダの軍法会議で白馬事件の首謀者と判決をくだされた日本兵は死刑となり(冤罪という説もあり)日本は対日道義的債務基金を設立し総額2億5500万円の賠償金を支払いました。


しかしオランダ国内における反日感情は激しく残ったままでした。
戦後20年以上経過して、昭和天皇がオランダを訪問した際、街中には「裕仁は犯罪者」という落書きがされたり、卵や魔法瓶が投げつけられるとか、陛下が手植えした苗が抜かれるなどの嫌がらせは起きていました。


日本が戦争にならないよう最後まで抵抗され、日本軍の東南アジア侵攻に対しても「そのような火事場泥棒のようなことをするべきではない。」と反対されていた陛下でありましたが、彼の地オランダでは犯罪者と罵声を受けることを甘んじて受けられておられました


※話は少しずれますが、無実の罪であっても弁解せず受け入れるという行為は日本国民の罪をお一人で受けられているように思えます。であるならば私達国民は気がついた人からそれを分担し恩をお返しすることが必要であると思います。(ただし私達国民の立場としては子どもたちを守るために事実と違うことは公の場では感情的にならず誠意をもって事実を粛々と示し続けることが大切であると思います)


しかしその後も日本がオランダに誠意をもった態度を示し続けることで反日感情はプラスマイナスで昇華されていきました。(デス・テリトリーなど特殊な要因がない一般的な地域ではちゃんと振り子がプラスマイナスで振れるかのごとく、人々の誠意で上書き昇華することが可能であったようです)
2000年に今上天皇がオランダをご訪問された時は昭和天皇の時と異なり熱烈な歓迎を受けられました。



2011の311の災害に対しては大勢のオランダの人々から私達日本人に暖かい励ましを頂きました。
これは大変ありがたいことでありました。本当に。



3万4千人のオランダの方々によるチャリティーイベント(2011年4月13日)




5万人のオランダの方々からのI love you (2011年6月5日)
Biggest flashmob ever - Dutch Christians encourage Japanese (long)





つづく




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侵略戦争鎮魂歌。大東亜共栄。

日本が12月8日に米英に対して宣戦布告と真珠湾攻撃を行うと同日オランダが日本に対して宣戦布告を行ってきました。
といっても当時のオランダはナチスに占領されていたためイギリスに亡命していた臨時政府が日本に宣戦布告をしたことになります。
イギリスに間借りをしているオランダ政府にとって、イギリスの敵は自国で敵であったことでしょうし、何より日本は石油目的でオランダ領インドシナ植民地を狙っておりましたから。


その当時インドシナ半島はフランスとインドネシアはオランダの植民地でありました。
しかしフランスもオランダも本国はナチスに占領されておりました。
したがって日本軍がフランス領インドシナに進駐した時は、ほとんど戦闘らしきものは行われず、フランス植民地政府は戦うことなく日本軍の進駐を許可したのでした。
またオランダ領インドネシアにおいても本国が占領いる状態ですから2ヶ月ほどで日本軍の手に落ちてしまいます。


これで日本はインドシナ半島やインドネシアを領土とすることができました。
しかしこれはドイツがヨーロッパを征服した勢いに乗じて強引に手に入れたものでした。
昭和天皇はこれに対してこうおっしゃっておりました。


==========
●昭和16年(1941)40歳

・「自分としては主義として相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き、いわゆる火事場泥棒式のことは好まない」(2/3)…欧州で英仏がドイツに苦しめられている間に、彼らの植民地を奪おうという大本営政府連絡会議に。
(「昭和天皇かく語りき」ttp://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-g.html)
==========


日本はナチスドイツと軍事同盟を結んでいたからこそ、東南アジアのヨーロッパ植民地を簡単に手に入れることができたといって良いでしょう。
ただほど高いものはない。天網恢恢疎にして漏らさず。


悪魔と取引をすると最初のうちは見た目の幸運が訪れるといいますが、そのあとにどんでん返しの100倍しっぺ返しがくるのに似ているかもそれません。


第二次世界大戦で日本はアメリカや中国と戦争したという意識はありますが、欧州と戦争したと認識している人は少ないと思います。
しかしヨーロッパでは第二次世界大戦では日本が東南アジアを侵略したという意識を持っている人が多いようです。
それは日本がナチスの勝ち馬に乗ってヨーロッパの植民地を手に入れたからでありましょう。
いや、日本はアジアの植民地を西洋人から解放したという人もおります。
しかしそれは詭弁でありましょう。
なぜならもしインドシナでゴムが採れなければ、またはインドシナが蒋介石の軍事援助ルートでなければ、またはもしインドネシアで石油が採掘されなければ、日本軍はこれらの地域に進駐することはなかったことでしょう。
日本軍がインドシナ半島やインドネシアに侵攻の政府や軍部の決定経緯の記録をみてもそこには「アジア植民地解放のため」という言葉は残念ながら出てきません。


侵攻してから結果的に「アジアの解放」を大義名分にしただけと思われます。
これはロシアの侵略をおそれて朝鮮半島を緩衝帯とするべく進出したときも「朝鮮の独立」と大義名分を打ち出したことから端を発しています。
満州に傀儡政権を作って満州の権益を独占するために「五族協和」を打ち出したことに発展していきます。


もし本当に「大東亜協栄」を歌うのであれば、日本はできるだけ表に出ず陰に隠れるべきであろうと思います。陰ながら大東亜の国々を陰日向なく援助することにより長い時間をかけてじっくり醸成されるべきものであったのだと思います。



つづく




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侵略戦争鎮魂歌。勲章。


真珠湾攻撃をしたあとの日本の顛末は皆様のよくご存知のようです。


12月8日に日本がアメリカに宣戦布告をするとすぐ12月11日にドイツはアメリカに宣戦布告をします。
ルーズベルトとチャーチルの筋書きどおりになりました。
彼らは喜んだことでしょう。
またヒトラーは「アメリカとソ連が手を組まない限り」自分たちが勝利すると確信しておりましたから、この時点では勝つ目があると考えていたのでしょう。
太平洋側で日本と戦争を始めれば、大西洋側への攻めは手薄になると考えたのでしょう。
太平洋も大西洋も広いですから。
宣戦布告によりアメリカのイギリスへの軍事援助線を攻撃して断つことができるので、孤立化したイギリスを征服するのは時間の問題であったと考えていたのかもしれません。



しかし事実は「アメリカとソ連が手を組む」というありえない同盟が実現し、ナチスはヒトラー自身の(敗けるとする場合のただ一つの条件という)予言のとおり連合国に敗北します。


ナチスを滅ぼすために、本来なら手を組むはずのないアメリカとソ連が手を組ませるために陰で働いた人たちがたくさんいたのだと思います。
その一つはアメリカ政府内にいた300人以上といわれるコミンテルン(国際共産主義者)であったかもしれません。
イギリスのチャーチルはスターリンを最後まで警戒していたようですが、ルーズベルトはスターリンに惹かれていったように思えます。


魔物度合いはスターリンの方がルーズベルトより何枚ものうわてでありましたから、ルーズベルトがスターリンに呑み込まれたのではないかと私は思います。
日本民族や日本国という形を抹殺するために、有史上初めての大量殺戮兵器を18発許可し(実際使われたのは2発)、また占領後日本を4カ国で分断統治したり、日本国内に共産革命を起こさせ天皇制を破壊することをOSSに計画させていたとされますが、所詮人間レベルであったと思います。
ルーズベルトが、あれほど待ち望んだアメリカの第二次世界大戦への参戦でありましたが、ドイツや日本が降伏する直前に彼は急死してしまいました。
まだ人間の良心が少しでも残っていたため、魔物になりきれなかったからかもしれません。私の妄想でありますが。


本当の魔物はすごいです。
戦争で敵国の人間を殺戮するだけではまだ人間レベルの悪者でしかないかもしれません。
自分が守るべき自国の国民を大量に虐殺することができるのです。
スターリンは本物の魔物であったと私は思います。
魔物であったご褒美に、死後ホルマリン処理されその死骸が朽ちることなく永遠に祭られるはめになってしまいます。大量の人間を残酷に殺戮した苦しみが永遠に凍結されて時間の軸からはずされているかのごとくです。これが魔物であり続けたことへのご褒美なのでしょう。恐ろしことです。といっても私の妄想ですが。


毛沢東も文化大革命で自国民を大量虐殺し、めでたく魔物殿堂入りしホルマリン処理で彼の死骸は朽ち自然に還ることが許されません。阿鼻叫喚という魔物の勲章に貼り付け固定化されているように思えるのはあくまでも私の妄想でございます。
金日成・金正日親子もまた殿堂入りしました。
ちなみにベトナムの共産革命指導者のホーチミンもまたホルマリン処理殿堂入りです。
彼は遺書で自分の死後は火葬にして遺骨を国土に埋葬してと指示しておりましたが、その遺書は無視され(土に還ることは許されず)彼の死骸は永久処理をされ保存されることになってしまいました。魔物の勲章から逃れることができなかったかのようです。


つづく





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日本人への課題。



衆議院選挙の結果が出ましたね。
自民・公明・維新はほぼ選挙前と変わらず。
民主は票を伸ばし、共産は大躍進しました。
次世代の党が一人負けでした。


反自民の受け皿として共産は伸びると予想していましたが、民主も議席を伸ばすとは思いませんでした。
反対に次世代のが比例区でも1一人も当選しなかったということは、世の中は決して右傾化しているということではないようです。
それより共産・民主の伸びをみると左傾化に揺り戻しかけているとも言えるかもしれません。


戦後政党で自民を作ったのはアメリカCIAでありますし、共産党を作ったのもCIA(当時のOSS)でありました。
どちらも日本を連合国軍に従属させるための体制の作戦でありました。
当初OSSは日本に共産革命を起こさせ、皇室や日本神道などの国体を日本人の手で破壊させる予定でした。
そのために共産党や日教組や労働組合を組織させ支援しました。
ところがそれからすぐに米ソ冷戦が始まり、日本を赤化させるアメリカの作戦は180°転換しました。
日本を防共の砦とする戦略になりました。
その後吉田茂を首相としてアメリカCIAの傀儡とした自民党が誕生し、日本の軍事と経済と政治の主権をアメリカにゆだねる形で日本の独立がサンフランシスコで(ソ連と中国以外に)認められました。


ですから戦後からずっと日本はアメリカから実質の支配を受けていました。
これに反対した若者たちが学生運動を起こし、共産革命を夢見て左翼となりました。
しかしこの共産革命もまた日本を奴隷化させる体制であったのですが、そこまで考えを寄せる学生は少なかったようです。


戦後日本はアメリカに莫大な資産を貢ぎ続けましたが、その代わりに世界一の防衛力に守られていました。
もう日本は世界から孤立化して他国と戦争する可能性はありませんでした。
半独立国家でありながらも、多くの日本人が望んだ結果でありました。
私達は本当に先の戦争で懲りたのでした。


さて戦後70年たち世界の情勢はまた変わりつつあります。
アメリカの凋落と中国の台頭でした。
これに呼応して日本においても中国に侵略される。という可能性のリスクが増加していきました。


日本では反日という活動がやはりまだ健在であるように思います。
かつての民主党政権から安倍自民党政権に幸いにも移行することで、一難は去ったように思いますが、それでも昨日の選挙結果ではまだまだくすぶっているように思います。


彼らの反日の活動の要因とは、表面ではいろいろ彼らの言説はあるでしょうが、日中戦争や満州事変での日本の作った因子によるものであるように思います。
もちろん一連の戦争の因子の借金の大半は多くの日本人の犠牲で払ったと思います。
また戦後周辺国への莫大な経済援助もまた因子の借金の帳尻を合わせてと思います。
日本が恩着せがましくなく好意から援助した姿勢もまた好ましいことであったでしょう。


でもまだ日本を壊滅させたい。という因子は残っているようです。
そしてそれは私達日本人の心の中に住み着いて増殖しているように思います。
これは私達日本人一人一人に残された課題であるようです。


私達日本国民は本当に日本を守ったのかということを私達日本人自身が(世代は代わりましたが)試しているように思います。


私達日本人は考え浅く「今戦争をしないともう勝てる時期はない」というプロパガンダにのせられて太平洋戦争を支持しました。じゃあ今勝てるのか。負けたらどうなるのか。という考えはありませんでした。


今の日本はまた同じ因果を逆の立場で自分たちを試しているようです。
「軍備抑止力反対。」というスローガンのもとに、戸締りを反対する因子を私達日本人の中に増殖させています。
ここから本当に日本を守る体制を創れるかどうかを、私達自身が私達自身を試していると思います。


これは日本人が日本を大切にできるか。と本質的には同じ課題であることでしょう。




おひさま、ありがとうございます。


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鎮魂歌。昭和天皇かく語りき。その2。





●昭和14年(1939)38歳
・「出先の両大使がなんら自分と関係なく参戦の意を表したことは、天皇の大権を犯したものではないか」(4/10)…大島駐独大使と白鳥駐伊大使が、独伊に対して各々独断で「独伊が第三国と戦う場合、日本も参戦する」と伝えた。

・「参戦は絶対に不同意なり」(5/26)…ドイツと同盟すれば英米と対立することを懸念。

・「満州事変の時も陸軍は事変不拡大といいながら、かのごとき大事件となりたり」(6/24)…ノモンハン事件の報告を受けて。

・「(日独伊三国同盟の交渉打ち切りを喜び)海軍がよくやってくれたおかげで、日本の国は救われた」(14-15年)…海軍の三国同盟批判を天皇は高く評価していた。



まる(=・3・=)ぞう
日本がナチス・ドイツと同盟を組んだことが、米英と対立することとなり、日本の破滅を早めたこととなります。
昭和天皇はとにかく米英と対立することは避けるべきとお考えだったようです。
しかし昭和天皇のご意志と反対に外務省はナチスへの同盟を宣言し、陸軍は満州地域(デス・テリトリー)への軍事侵攻を進めて因果を深めていきます。


この時点で海軍は日独伊の三国同盟を反対していたことについて、昭和天皇は非常に喜ばれております。しかしやはり大きな時代の流れは日本はナチスに引き寄せられていきます。





●昭和15年(1940)39歳 その1
・「指導的地位はこちらから押し付けても出来るものではない、他の国々が日本を指導者と仰ぐようになって初めて出来るのである」(夏)…しきりに“指導的地位”という言葉を掲げてアジアに
進出しようとする軍部を牽制。



まる(=・3・=)ぞう
もし日本が大陸でその存在を認められるのであれば、それは他の国々が日本を指導者として認めたときのみであり、それまでは表に出ることを急がず「陰徳」を積むべきである。と昭和天皇はお考えてであったようです。
これこそが「老子」の唱える「本当の覇者」であると言えるのではないでしょうか。
特にこの「デス・テリトリー」は日本への昇華の課題の地域であるように思えます。陰に隠れて隠れて密かに徳を積むぐらいでちょうど良いと思えます。



●昭和15年(1940)39歳 その2
・「独伊のごとき国家とそのような緊密な同盟を結ばねばならぬようなことで、この国の前途はどうなるか、私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる」(9月)…日独伊三国同盟の締結に際して。

・「この条約(三国同盟)は、非常に重大な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油やくず鉄の輸出を停止するだろう。そうなったら、日本の自立はどうなるのか。こののち長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれることになるかもしれない。その覚悟がおまえ(近衛首相)にあるか」(9月)…このように天皇は的確に未来を予測していた。



まる(=・3・=)ぞう
時代の流れに逆らえず日本はひかれる結局ドイツと軍事同盟を締結することとなり、アメリカと対立していいくこととなります。

その道に進むと破滅していくということがわかっており、何とかその道だけには進まないようにとあがいてもあがいても、蟻地獄の砂落としのように知らず知らず破滅の道に落ちていっている状態がこの時代の日本でありました。

因果のバランスをとるために、砂地獄にはまっていっているため、見かけ上はいくら正反対に漕いだとしても結果的に気がつくと一番落ちてはいけない落とし穴に引き寄せられます。

これを解消するためには日本自体が因果を解消する逆の行動を蓄積しなおさなければならないことであったことでしょう。
つまり白頭山地域の権益の独占を手放すことが因果の解消に必要でありました。
しかし当時の日本にはそれは不可能でありました。からいくら昭和天皇お一人が抵抗されていらっしゃっても、私達日本人1億人が作り膨張しつつあった因果の方が影響力が強かったのでありました。



●昭和16年(1941)40歳
・「支那の奥地が広いというなら、太平洋はなお広いではないか。いかなる確信があって3ヶ月と言うのか!」(9/5)…中国をなかなか倒せないのは奥地が開けているためと言い訳する杉山参謀総長が、今度は「米国を3ヶ月で倒す」というので天皇が怒った。

・「なるべく平和的に外交をやれ。外交と戦争準備は並行せしめずに外交を先行せしめよ」(9/5)…帝国国策遂行要領を見て杉山参謀総長に。



まる(=・3・=)ぞう
最後の最後まで昭和天皇は日米開戦に抵抗を示されておりました。
しかしこの日の御前会議において事実上の日米開戦が決定されてしまいました。
もし11月までに日米交渉が妥結されなければ(それは事実上不可能といえるほど困難)アメリカに戦争を仕掛ける。という決定でありました。


因果の法則とはかくのように強力でありなんぴともその影響から離れることは不可能に思えます。
しかし逆を言えば、良い因を蓄積すれば、良い結果を必然的にもたらすことも可能であるといえます。


本日は衆議院選挙投票日でありますが、少なくともここ2年間の安倍政権の強運は、戦後70年間、日本がよい因子を国際的に蓄積していったことによるものと思います。
この日本が引き続き、日本国内のためだけでなく、地球全体にとって良い因子を蓄積できる国家であることを希望したいです。



つづく




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鎮魂歌。昭和天皇かく語りき。その1。



「昭和天皇かく語りき」より引用させて頂きます。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-g.html



昭和4年(1929)昭和天皇28歳
「将来陸軍軍人はかかる過ちを再びなさざるように」…張作霖爆殺のような事件の再発防止を訴えて。


まる(=・3・=)ぞう
そもそもこの張作霖暗殺事件が日本軍の暴走が表面に出た最初の事件でした。
昭和天皇の厳命にも関わらず暗殺をもみけしたことです。
日本がもし我欲やプライドのために他の国の人への信義を裏切ることがあれば、それはそのまま利息がついて日本を破滅するように因果が生まれてしまうように私は思います。
そして昭和天皇もそのようにお感じになっていたと思います。



昭和7年(1932)31歳
・「自分は国際信義を重んじ、世界の恒久平和の為に努力している。それがわが国運の発展をもたらし、国民に真の幸福を約束するものと信じている。しかるに軍の出先は、自分の命令もきかず、無謀にも事件を拡大し、武力をもって中華民国を圧倒せんとするのは、いかにも残念である。ひいては列強の干渉を招き、国と国民を破滅に陥れることになっては真にあいすまぬ」
・「陸軍が馬鹿なことをするから、こんな面倒なことになったのだ」(4月頃)
…関東軍の満州国建国によって、日本が世界各国から非難を浴びたため。


まる(=・3・=)ぞう
私達国民はこのころは満州こそが日本の生命線だと思い込んで執着を増長させておりました。
しかしその執着が日本を危難の方向に向かわせていたことを昭和天皇は語られております。
残念なことに多くの日本人は「国際社会の非難などクソだ」と慢心をつのらせていたように思います。
自分たちが破滅の選択をせざるを得ない境遇の原因は、過去の自分自身の慢心と傲慢さと同時に生じたように思います。



昭和8年(1933)32歳
・「予の条件を承(うけたまわ)りおきながら、勝手にこれを無視たる行動を採るは、綱紀上よりするも、統帥上よりするも、穏当ならず」(5/10)…参謀総長が熱河省への進軍許可を求めた時、天皇はすぐに撤退することを条件に許可した。ところが、撤退後に再び関東軍が華北(中国北部)に侵入したため強い不満をもらした。


まる(=・3・=)ぞう
日本が国際連盟を脱退するはめになった理由の一つがこの熱河省への進軍でした。
なぜ昭和天皇がここまで強い口調で熱河省進軍を非難されたかということです。
日本は自分の行動の反射とは言え、引き返せない破滅への道をちゃくちゃくと進んでいます。



昭和12年(1937)36歳
・「(お前がそう言うなら)外国新聞の東京駐在記者を官邸に呼んで、陸軍大臣自ら帝国には領土的野心がないことをはっきり言ったらどうか」(9/10)…支那事変への国際社会の非難が高まるなか、“軍部に領土的野心はありません”という杉山陸相に。

昭和13年(1938)37歳
・「この戦争は一時も早くやめなくちゃあならんと思うが、どうだ」(7/4)…戦線拡大を続ける支那事変を憂慮し、板垣陸相と参謀総長・閑院宮(かんいんのみや)を呼び早期解決を問うた。対ソ戦を考えると中国と戦っている場合ではなかった。

・「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条湖の場合といい、今回の事件の最初の盧溝橋のやり方といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてあるまじきような卑劣な方法を用いる様なこともしばしばある。まことにけしからん話であると思う」
・「今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」(7/21)
…板垣征四郎陸軍大臣に。この板垣陸相はかつて満州事変を画策した人物。


中国本土前線の陸軍は昭和天皇のお言葉とは逆に戦線を拡大していきます。
もうこのころは日本破滅の反射はすでに発動していてその因果にそってあたかもロボットのように現場陸軍が動いているように思えます。
似たものが似た縁を惹きつけるかのごとく、この「デス・テリトリー」で悪因を積んだ組織が、悪果の突破口としているように思えます。
一人一人は日本のことを思っていたことでありましょうが、因果の振り子は一個人の狭い視点ではわかりにくいことなのでしょう。日本のために思っていた一挙手一同が日本の首を絞めていることに彼ら(過去の私達)は気づいていません。


因果にはそもそも時間の差はなく、因も果も同時に発生しているが、私達人間が存在するこの世界ではその二つに時間差があるように「錯覚」して見えるのではないでしょうか。
時間と質量は私達に与えられた「恩寵」の錯覚であるように思えます。
良い因を行為として創造したとき、良い果も同時に宇宙には生まれているのでしょう。
悪い因を行為として創造したとき、悪い果も同時に宇宙には生まれているのでしょう。
その果はこの質量を感じる世界では時間差を置いてプラスマイナス相殺しながら私達に返ってくるのであろうと思います。



つづく




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鎮魂歌。私(わたくし)が無きこころ。



昭和天皇が皇位を継いだ時代は、すでに日本は日清・日露戦争に勝ち、白頭山地域の権益拡大真っ最中の時代でありました。


ただ昭和天皇は再三、この地域の権益を日本が独占するような動きについては苦言を呈して抵抗されておりました。
この点は本当に不思議なのです。
天皇の位につくということは日本というものの寄り代になることであると言われております。
したがって、明治天皇もそうでありますが、昭和天皇もまた「日本を守る」ということを本能的に感じることができたのではないかと思えてなりません。


特に白頭山地域という「デス・テリトリー」でありますから、欲心をもって進出することは「なぜかわからないが危険と感じる。なぜかわからないが胸騒ぎがする。」場所であったのではないかと思います。


日本が無心になって他国民との共同繁栄を願うのであれば、日本は生かされることでしょう。
しかし日本の国力繁栄や日本のプライドのための進出であれば、それは大きな化け物となって日本自体を飲み込むこととなります。


初めは小さな執着であっても、それは「デス・テリトリー」の触媒作用のせいでしょうか、どんどん大きな執着へと膨れ上がって、日本自身を破滅に導きます。



昭和天皇が即位された時はすでに朝鮮は日本に併合されており、満州鉄道沿いに警備と称して関東軍が配置されておりました。
日清戦争も日露戦争も明治天皇は反対でありました。「デス・テリトリー」への進出は本能的な危機だったからもしれません。


若くして皇位を継いだ昭和天皇は、この「デス・テリトリー」への日本の関与は日本の誠意を持って対応する。ということでありました。
このテリトリーに関して、日本国外の人たち(周辺国や欧米列強など)から後ろ指をさされる行為は、回り回って日本を破滅に追いやる因子となります。
太平洋戦争で大負けして多くの因果が明らかになった70年後の今だから私達もそのように感じることはできますが、当時の歴史進行真っ最中の時代に、それを感じ取ることができたということは、誠に驚くべきことであり、畏れ多いことであろうと思います。



つづく




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鎮魂歌。デス・テリトリー。






私の妄想歴史では、太平洋戦争と戦後のGHQ政策で日本が壊滅的に壊されてしまったそもそも原因は、明治政府が白頭山地域(朝鮮半島と満州)の権益に手を出してしまったからであると考えています。
もし明治政府がこの地域に手を出すのであれば、相当の覚悟が本当は必要であったのだろうと思います。
これもまた私の妄想世界の話でありますが、この地域は特に人間の「欲」が試されている場所であるかもしれません。


執着や欲がまわりまわって本人を自滅させるという例は私達の個人の生活でもいくつも知ることができるかと思います。
そのサイクルが非常に短いケースもあれば、とても長く本人が自業自得の因果であったと気が付かないケースもあることでしょう。


ある地域やある人物はその「サイクル」を短くさせる触媒の性質があるように思えます。
たとえば(言葉は悪いのですが失礼して)「さげまん」と呼ばれる人がおります。
その人に関わる男性はみな運気を落としてしまうと言われています。
「デス・ブログ」という言葉もあります。
そのブログに記載された人はみな運気を落として不幸になるとネットで話題になっています。
「Kの法則」という言葉もあります。
ある国に関わった国はみな敗れてしまったという歴史法則です。



http://www.h3.dion.ne.jp/~duke/politics/hosoku1.html


これらは単なる偶然であると思いますが、ただ人間(や国家)の欲得の反射のサイクルを早く進める触媒の性質をもった人物(や地域国家)は存在するのかもしれません。



日本政府は朝鮮や満州に多大なる投資をしました。
この地域の経済は飛躍的に発展し、治安も驚くほど良くなり、人々は健康になり平均寿命も倍になったとも言われます。うむ。
しかし元々は日本は自分の国の治安と経済のためという下心がありました。
こういう「デス・マン」「デス・テリトリー」という触媒の人たちに関わる時は、生半可な覚悟では関わった人は自滅することになるのかもしれません。
何パーセントかの欲の下心が触媒の働きで本人を燃やし尽くすかのようです。


これだけ親切にしてあげたんだから、さすがにこのくらいは感謝してもらえるだろう。という甘え考えは「デス・マン」「デス・テリトリー」には通じないようです。
執着を断ち、見返りも一切期待せず、常に無一文裸一貫で放り出されてもいい覚悟が必要なようです。
あとで裏切られて罵詈雑言を浴びせられても、自分の選択に後悔はない。という強い覚悟が必要なようです。


しかしどうも明治政府はこの認識は甘かったようです。
防衛や経済の下心はあったものの、これだけ「デス・テリトリー」に投資して、教育して、経済発展させ、人々を健康にしたのだから、喜んで感謝してくれるだろうと考えました。


しかし朝鮮北部や満州の資源や権益にこだわり執着した日本政府は急速に運気を落としていきます。
悪い選択をたてつづけに選び続けます。
あるいはそういう選択をする人間が政府の要人に選ばれてしまいます。
これはそもそもの国の運気が落ちているということのように私には思えます。
気がつくと最悪の選択であるナチスだけが同盟国で、あとは世界から孤立しておりました。
気がつくと満州だけでなく本来は手をつけるつもりもなかった中国本土広範囲で泥沼の日中戦争を行っていました。
気がつくと石油の輸入を止められ、国力10倍のアメリカに宣戦布告をせざるを得ない状況になっていました。



日清・日露戦争・満州事変で勝ってしまったことが、そもそも日本の破滅の原因になってしまったという因果には、この地域がもつ「触媒」作用も関係するように思えてなりません。



つづく




おひさま、ありがとうございます。


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