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侵略戦争。日中戦争開戦。


どんな人間であっても、絶大な権力を持てば簡単に過ちを犯してしまう危険性がある。
どんな人間であっても、大きな富を得てしまうとそれを失いたくない、もっともっと得たい。という欲が膨らむ危険性がある。


日清・日露・満州事変の前半戦において、私達日本人もそのような人間の性(さが)を持っていたことを、歴史を紐解く過程で私は知ることができました。
自虐史観や大東亜史観という振り子とは全く別の第三の軸であるかもしれません。


日中戦争と太平洋戦争は後半戦です。
私達が前半戦に撒いた種を自分たちで刈り取る局面となります。


当時の私達日本人は中国大陸に侵出侵攻する意図はなかったといって良いでしょう。満州の権益は固執しましたが、万里の長城から南にはさすがに手を出すつもりはなかったようです。


しかしコミンテルンの戦略は、日本軍を北に向かわせないために、南下させて疲弊させることでした。
中国内部では日本人を挑発する残酷な事件が相次ぎました。
その一つが通州事件です。
この事件をみるに人間の皮をかぶった魔物というのは本当にいるのだと思わざるを得ない残酷な事件です。


そのあと大山事件とうこれも猟奇的な殺人事件が発生します。
これがきっかけとなり、上海にて中国軍と日本軍の本格的な戦争が勃発します。
両国とも正式な宣戦布告を行わなかったため、第二次上海事変と呼ばれていますが、これは事実上の日中戦争の始まりでありました。


とうとう日本は引くに引けない落とし穴に両足を踏み込んでしまったように思えます。
中国側の残虐な挑発に日本は辛抱強く対応してきました。
この部分だけを見ると、日中戦争は断じて日本側の侵略戦争とはいえません。
ただしこの後半戦の流れは、前半戦での日本の行為の反転であると私は考えております。残念ながら。


当時の中国は、国民党と共産党と日本軍の三つ巴でした。
コミンテルンのスターリンや毛沢東は共産党を温存させる作戦でした。したがって何としてでも日本軍には国民党と戦わせたかったと考えていました。


またアメリカのルーズベルトもイギリスのチャーチルもなるべく日本が国民党との戦争が長引いて中国奥地に戦線を拡大し疲弊することを望んでしました。


つまり日中戦争が起きたときの各国の姿勢は次のようなものでした。


ソ連(スターリン)
国民党と日本軍の間で戦争を起こさせる。(共産党の温存)


アメリカ(ルーズベルト)・イギリス(チャーチル)
国民党が日本軍と開戦したあとは、国民党を軍事支援しできるだけ戦線を奥地に拡大させる。(日本がアメリカに開戦を仕掛けたときに日本の軍事力を分散消耗させるため)


中国
本来なら国を二分する国民党と共産党が、日本に対する満州を奪われた恨みで団結。(「抗日」感情をソ連やアメリカ・イギリスに利用されたと言って良いでしょう)


日本
ここまで辛抱強く中国に交渉したにも関わらず、中国側の残忍な挑発は許すべきではない。中国との開戦やむなし。(政府ブレインやマスコミもまた日中開戦をあおりました)


私達日本人は明治維新以降戦争で負けたことはありませんでした。
無礼で残虐であった中国に対して軍事侵攻を行うのは当然であると考えておりました。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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侵略戦争。反射の後半戦。


日本の近代戦争の歴史を見るに、日清戦争・日露戦争・満州事変までが前半です。
このあと日中戦争(支那事変)と太平洋戦争(大東亜戦争)が後半です。


前半の3つの戦争(事変)は、日本が自国の権益を守るために行った戦争でありました。
残念ながら、他国への「信義」が開始点ではありませんでした。
結果的に私達日本人が統治した地域は、治安も良くなり、産業も急成長しました。
しかし「日ノ本(太陽が昇る国)」以外の地域に統治者として日本人が入り込むのであれば、それはまず相手の政府と国民と国土に対して「信義」に基づくものでなくてはなりません。


さてこの前半の戦争は「信義」に基づくものであったのかどうか。
その反射を受けたのが、後半の日中戦争と太平洋戦争であると思います。
この戦争は「嵌められた」戦争でありました。
日本を共産化して国体を破壊させるための遠大な計画に、日本が一歩一歩自ら罠に進んでいく過程であります。


後のスターリンとルーズベルトの記録を読み解いていくと、日本を中国と戦争をさせるように仕向け、そのあと日本がアメリカに宣戦布告をせざるを得ないように仕向け、日本政府に降伏させたのち、国民による共産革命をおこさせて天皇制(皇室制度)を断絶させる計画でありました。
また日本をアメリカとソ連と中国とイギリスの4つに分割する計画も進んでいました。


しかしGHQが日本に駐留し日本を分析するにつれ「なぜか」GHQは方針を180°変更し、日本国民における共産革命推進も日本の分割統治も立ち消えになってしまいました。
これは日本にとって非常に幸運なことでした。


さて話は満州事変の頃の日本に戻ります。
ちょうど日本の運が反転しだすころです。
今までの自分たちの行動にどれほど「信義」があったのかどうか、自分たちで裁くような(自ら罠に進んでいくような)後半戦に突入していきます。


当時の首相は近衛文麿でした。
彼は「朝飯会」と称して自分たちのブレインとの情報交換する場を持っていました。その主なメンバーは下記です。

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内閣書記官長:風見章=元朝日新聞社

佐々弘雄=朝日新聞社論説委員

笠信太郎=朝日新聞社論説委員

尾崎秀実=朝日新聞社記者 ゾルゲ事件でコミンテルンのスパイであることが発覚、処刑される。

西園寺公一=中国に移住。日本に帰国後に日本共産党に入党。長男の西園寺一晃は朝日新聞に入社。

細川嘉六=ソ連留学中にコミンテルンの片山潜(日本共産党の創設者)と知遇となり、米騒動の話を聞かされる(米騒動では朝日新聞が捏造記事を載せて世論をかく乱させた。)。 その後、佐々弘雄と尾崎秀実と親密になる。

http://textream.yahoo.co.jp/message/552020083/6fddabffcbf7j9a4nar57a4oa43a4na5ha5ta4gbdpa49a1aa?comment=140
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このように政府のブレインとして、共産主義関係者が多数もぐりこんでおりました。
彼等の第一の目標は、日本を中国と戦争をさせることでした。
スターリン(と奥の院)の計画どおり、この近衛内閣の時に発生します。むむむ。


しかし私達国民は日本軍の中国侵攻にもやはり拍手喝采でした。
自分たちで自ら罠に落ちていく姿は、私達は忘れてはならないことでありましょう。
これが後半戦の反射の始まりであります。


京都大学の中西輝政教授の意見です。
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今明らかになりつつあるのが、昭和の戦争の主役であった日本陸軍、参謀本部や陸軍省にソ連や中共の工作員が多数潜入していたということである。

たとえば盧溝橋事件直後に拡大論を唱えて、石原莞爾と対峙しつつ日中戦争の泥沼に追いやった勢力がある。彼らは同時に日独伊三国同盟を推進することによって日米分断と連合国陣営の形成を事実上促し、さらには『南部仏印進駐』を推進して日米開戦を惹き起し、それによって『社会主義の祖国』ソ連を守ることに成功した。この背景にはコミンテルンの工作があったことはほぼ証明されているが、その具体像はこれから歴史家が明かすことになろう。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe430.html
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日本を戦争にはめていった首謀者は、国際的なユダヤの人たちでした。
一つはコミンテルンと呼ばれる組織の奥の院でありました。番頭はスターリンです。
もう一つは国際金融ユダヤ資本と呼ばれる組織の奥の院でありました。番号はルーズベルトです。ルーズベルトはコミンテルンとしての顔もありました。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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侵略戦争。中道。


もし私がある地域の市民たちをコントロールする役目になったとしたら、どうするのが一番簡単でしょうか。
それはおそらく彼等の中にある嫉妬心や不満心に付け火することが一番たやすいことであろうと思います。


あなたの生活が苦しいのは、あなたの生活が貧しいのは、すべて○○のせいです。
あなたたちがこんなに苦しんでいるのに、○○だけは豊かな生活をしています。
あなたたちは○○に搾り取られているのです。


このような市民の嫉妬心を煽り立てるキャンペーンは、簡単に人々の心に伝播していくことでしょう。
ただその付け火をする役割の人間は、悪魔に魂を売ることになりますから、そういう仕事につく人はよくよく覚悟を決めなくてはならないことでしょう。
世の中には美辞麗句にまどわされて、知らずに悪魔の片棒を担いでいる人もいるかもしれません。無知とは怖いことです。
人の嫉妬心や不満心に火をつける記事は、たとえ悪魔が美辞麗句で着飾らせても、なんとなく嫌な甘ったるいにおいがするので、心の嗅覚で避けることができるかもしれません。


しかし私自身の欲の皮が突っ張っていましたら、自分自身の体臭で、心の嗅覚が効かなくなっていますから、類は類を呼び寄せてしまうかもしれません。



太平洋戦争直前の話です。
ソ連のスパイであるゾルゲが逮捕されるというゾルゲ事件が起きました。
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ゾルゲ事件は、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけて[1]その構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。

太平洋戦争開戦直前の1941年9月から1942年4月にかけて、ドイツのフランクフルター・ツアイトゥング紙の記者として東京に在住していたゾルゲや尾崎らのグループはスパイ容疑で警視庁特高部特高第1課と同外事課によって逮捕された。軍事情報のスパイは陸軍の憲兵隊の管轄であるが、コミンテルンのスパイとして特別高等警察が取り扱った。
(Wikipedia「ゾルゲ事件」より)
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ゾルゲはドイツ人の記者を名乗りましたが、実はソ連のスパイでありました。



この顔どこかで見たことがあります。



風立ちぬで軽井沢にいた謎のドイツ人っぽい外国人(のちに特高に追われる)にそっくりですね。
当時のコミンテルンの目的は日本とドイツを暴走させて、結果的に共産主義を世界に伝染させることでありました。



ソ連のスパイであった朝日新聞記者は、尾崎秀実、田中慎次郎、磯野清の3名でした。
尾崎秀実は処刑されましたが、田中慎次郎は釈放され、終戦後再び朝日新聞に再入社し、論説副主幹を務めました。
私達日本の国民が総右翼から総左翼に転向した終戦直後の時代でありました。
私達国民はこのようにして振り子のように右に左に揺れてきました。


開戦前の朝日新聞はアメリカとの開戦を盛んに喧伝しました。
これは私達大多数の国民の声でもありました。
しかしアメリカとの開戦はソ連共産主義の指示でもありました。
つまり私達世論はは国のためと思っていた「日米開戦」は全く逆方向でした。
それは単に「ソ連共産党」に利するだけのことでした。


昨今の朝日新聞は「集団的自衛権反対」を盛んに喧伝しています。
もう日本が戦争をしてはならない。というのが私達国民の総意であります。
しかし「集団的自衛権反対」とは中国共産党の指示でもあります。
つまり私達国民の多くは「二度と戦争を起こさせない」と思っていた「集団的自衛権反対」は全く逆方向でした。
それは単に「中国共産党」に利することだけのことでした。


私達国民はこのように時代の変遷とともに、右に左に揺れておりました。
本来は右でもない左でもない中道を維持しつづけることが大切なことです。
世論が右に左に振れることがあっても、自分の中の視点は中道を保てるでしょうか。


むむむ、難しいかもしれません。
しかしそのヒントは明治天皇や昭和天皇のお言葉にあるかもしれません。
「相手国への信義」これが国際関係の起点であり終点である。ということです。


あと自分の生活の中で「我欲」や「不満心」を培養させないこと。などもきっと。
なぜなら私達が中道から外れ始めたときに、自分の心の嗅覚が羅針盤になりますでしょうから。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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侵略戦争。イケイケドンドン。


話は満州事変の少し前に戻ります。
第一次世界大戦後の時代です。
日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と大きな戦争を3連勝した時代でありました。
私達国民は戦争に対して「やれば勝つもの」という慢心があった時期であろうと思われます。


その頃のアメリカはますます日本に対する警戒を強めていました。
日露戦争の時は一緒に戦いましたが、日本が満州の権益を独占したころから、アメリカのユダヤ資本と奥の院は次の標的を日本に絞り始めていたように思います。


第一次大戦後まもなくワシントン軍縮会議とロンドン軍縮会議が開かれました。
ここで日本の海軍の軍備力に上限が定められました。
主力戦艦はアメリカ・イギリスの60%。巡洋艦で70%を超えてはならない。という条約が締結されました。
これはひとつに第一次大戦で疲弊したイギリスの財政を守る(つまり世界的に軍縮を促すことで自分たちも軍備に財源を割かなくてすむ)という目的でありましたが、もう一つは日本の海軍力をこれ以上増長させない。というアメリカの思惑でした。
アメリカがいずれ日本と戦争をする時に、日本の海軍力が一番邪魔でありましたから。


またこの時期アメリカはイギリスに働きかけて、日露戦争以来の日英同盟も破棄させました。
日英同盟があると、アメリカは日本に戦争を仕掛けることができません。


日露戦争の時は日本は日英(ユダヤ国際資本)の側でありましたが、もう今や日本は彼等の敵側の陣営として、着々と布石を打たれているのでありました。
しかし私達日本国民は、連戦連勝の大戦のおかげで、この布陣が自分たちの破滅の前兆であることには全~く気づいておりませんでした。


またソ連も数多くのコミンテルン(国際共産主義者)を日本に送り込み始めていました。
最も有名な日本のコミンテルンスパイは朝日新聞の記者たちでありました。


朝日新聞は昭和初期の頃から当時世界に流行りだした社会主義運動(コミンテルンの遠大な世界共産主義革命の一つ)の波にのって、左翼的な論説に移り始めていました。
今回のロンドンの軍縮会議に対しては、日本政府は軍縮条約に調印して大正解であった。とか、
その後の満州事変に対しては、関東軍を批判し戦争を拡大してはならないと述べました。


しかしこれらの軍備反対戦争反対の論調は私達国民の怒りを買いました。
朝日は売国新聞であるとして全国で不買運動が広がったのです。
この不買運動によって朝日新聞は論調を180°転換して、反戦主義から戦争礼賛主義へと変わったのでした。
==========
朝日新聞が社論や報道姿勢を転換せざるを得なくなった要因は、内務省警保局の検閲というより、在郷軍人会を中心に展開された不買運動であった。
部数減少によって経営が圧迫されるのを恐れた企業的要請からである。また競争他社のなかにはこれに便乗して、「朝日は反軍的新聞」とする宣伝ビラ配布、読者を奪おうとして新聞社まであった。
政界と同じく新聞界でも見境のない泥仕合が横行しており、それらが自らの手で言論の自由を絞め殺す結果となったのである。
(「週刊朝日」元副編集長 稲垣武『朝日新聞血風録』より)
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これは今日の吉田証言問題、吉田調書問題と非常に極似しています。
この事件は、現代の私達が知らなければならない教訓がいくつも潜んでいます。


まず一つに、私達国民が軍備拡大と大陸侵攻を圧倒的に支持したということです。
太平洋戦争の原因は暴走した軍部(と天皇)であると自虐史観では習いますが、その軍部を力強く下支えしたのは私達国民でありました。
私達の世論がどのくらいの影響力があったかというと、日露戦争終了後、賠償金が一円ももらえなかったといって日比谷公園焼き討ち事件を起こしたぐらいです。こういう世論が背景となって満州鉄道の日米共同管理の仮契約は反故にされました。
また軍縮賛成、満州侵攻反対の論説を掲げた朝日新聞が、主張を転向せざるを得ないぐらい激しい不買運動が一気に広がったのです。


現在売国新聞と呼ばれるほど日本を貶めてきたこの新聞社でありますが、この時の反動が世代をこえて社風として引き継がれているのではないでしょうか。
日本が敗戦し、無理やり転向させられた悔しさが反動となり、また再び極端な日本貶めと同調する社風になったのかもしれません。


現代の私達であれば、米英との距離を開けてはならないとか、満州の権益を日本独自で拡大することは、危険であったことは知っています。その視点では軍縮会議も満州事変もそれぞれ不戦の方向を選択するでしょう。
しかし当時の私達は「イケイケドンドン」でしたから、邪魔するアメリカ何するものぞ、邪魔する国際連盟何するものぞ。と息巻いていました。フン。フン。



二つ目の教訓は、朝日新聞の転向とコミンテルンの関係です。
ソ連のスパイであったゾルゲが逮捕された事件により、朝日新聞の記者であった、尾崎秀実、田中慎次郎、磯野清がソ連のスパイであったことが判明しました。
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吾々のグループの目的任務は…広義にコミンテルンの目指す世界共産革命遂行のため(略)狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にしてその支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛するため(略)政治外交等に関する国家の重要な機密を探り出すことは最も重要な任務として課せられているのであります。
(宮下弘「特高の回想」より尾崎の供述)
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スターリンの演説で述べられている彼等コミンテルンの戦略は、
① 日本を絶対ソ連に侵攻させることなく
② 中国大陸と東南アジアへの侵攻を行わせて疲弊させたところで
③ アメリカに参戦させて叩く。
④ その後、満州、中国、東南アジアそして日本を共産化する。
というものでした。


朝日新聞は満州事変以降、戦争礼賛の論説となりましたが、不思議なことに上記のスターリンの演説の通り日本を誘導する論調でもありました。
日本は本当はソ連を一番警戒すべきでした。(日清日露戦争の本来の目的)
中国なんかには侵攻するべきではありませんでした。
アメリカとも距離を置くべきではありませんでした。
しかし朝日新聞の軍拡論調は、ソ連に対する守りは述べられず、中国への侵攻礼賛と、憎きアメリカに一泡ふかせん。という論調になっていきます。


イケイケドンドンであった私達国民は、日本軍の中国への侵攻を支持し、アメリカとの開戦を喜んで支持しました。



つづく



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侵略戦争。国際資本勢力と国際共産主義勢力。


世界で初めての共産主義国家ソビエト連邦が建国され、その共産主義や社会主義という思想は世界に広がり始めていました。
日本では大正デモクラシーと呼ばれる運動も、世界的な社会主義運動の一つであります。


この共産主義というイデオロギーはユダヤ民族が自分たちが二度と迫害されない世界を作るための膨大な計画の二つ目であったと私は考えております。
一つは金融によって世界の人々を束縛することであり、二つ目は共産主義という全体主義で世界の人々を束縛することです。
東西冷戦というのは、このユダヤの二つの勢力を均等に競わせることによって、どちらに転んでも反ユダヤという勢力がこの世界に存在しないようにする非常に巧妙な戦略です。


一つ目の金融によって人々を支配するという戦略はイングランド銀行の設立で本格化します。
ユダヤ資本が国家の通貨発行権を握るという戦略です。
通貨紙幣とは原価は紙とインクです。たとえ原価が10円であっても、紙幣に1万円と書いてあればそれがもう1万円の価値があります。
そしてこの紙幣を発行する権利を持つのは、国家や政府ではなく、民間企業である中央銀行であります。主要国の中央銀行は全て民間企業であり、ユダヤ国際資本の影響下にあると言われています。
さてその国の紙幣ですが、政府が勝ってに刷ることはできません。
中央銀行に刷ってもらって、政府が借り、利息を持って中央銀行に返すという仕組みになっています。
つまり政府が「1兆円刷ってね」と中央銀行に依頼すると中央銀行は「はい、1兆円。10年後には2兆円にして返してね」という仕組みです。(利息は例です。)
政府は税収をかき集めて中央銀行に返済するのですが、どうしても足りなくなることも多いです。
「返したけど国家予算もかつかつになっちゃった。今度は2兆円貸してね。」
「はい、2兆円。10年後には4兆円にして返してね。」
このようにして、政府は永遠に中央銀行に借金をさせる仕組みをユダヤ資本家達は考えました。
彼等は紙とインクが原価の紙幣を政府に貸し付け、あとは勝ってに増えていく利息で資産が増えて、彼等の力は大きくなるが、国家政府は借金が増えていくことで、中央銀行に頭が上がらなくなっていくという、とても頭の良い仕組みでした。すごいです。


ちなみに日本も膨大な借金と言われていますが、実はお金を刷れば簡単に解決するのです。しかしそうなるとインフレになってお金の価値が下がってしまいます。中央銀行を牛耳る勢力からするとそれは許せません。自分たちが貸しているお金の価値が下がるからです。
それよりは政府が増税して、とにかく国民からお金をできるだけ強制的に徴収して、それを利息として中央銀行に返済させる政策に誘導しようとします。
なぜ日本政府が海外の金融資本の意向で消費税をアップさせなければならないかという理由であると私は考えております。


ちなみに日本銀行もまた民間企業です。
55%の株は政府が保有していますが、残りの株主は非公開です。
明治の設立時には、財閥と政治家とロスチャイルド家であったとされています。ネットの噂ですが、ロスチャイルド家(国際ユダヤ資本)が20~40%の株を保有されていると言われています。


日本銀行はまだ良い方かもしれません。アメリカの中央銀行であるFRBは100%民間出資です。(100%ユダヤ資本ということ)
このFRBが世界の基軸通貨を発行する権利があります。


先進国の中央銀行がない国々はIMFが彼等の金融を支配します。IMFの仕事とは後進国を借金漬けにして縛ることにあります。
私達が使っている日本のお金と思っているのは実は「日本銀行券」であります。この紙幣には「この券は我々ユダヤ資本の影響下にあるぞよ」というメッセージが隠されているという都市伝説もいくつもあります。


お金こそ人生の価値である。と洗脳された人はこの仕組の羊であります。
しかし本当の人生の価値はお金ではありませんから、このユダヤの金融の仕組みもまた、芸術的に頭の良い知恵深い戦略でありますが、所詮砂上の楼閣であります。が今回はあまり深堀りしないで、次に進みます。


ユダヤ勢力による芸術的とも言える緻密なもう一つの戦略が共産主義です。
これは平等という美辞麗句で人々の嫉妬心を煽る仕組みです。
嫉妬心のない人達ばかりの村があったとしましょう。そこには共産主義は広まりません。
嫉妬心の強い人達ばかりの村があったとしましょう。そこにはあっと言う間に共産主義の広がりとともに革命がおき暴力で富が奪われることがおきます。
つまり共産主義とは嫉妬を餌として暴力を肯定する社会の仕組みです。
この共産革命の最終目標は個人の思想の自由を否定する全体主義の国家です。
嫉妬と暴力で奪い取ることが社会体制の根幹でありますから、力の強いものにどんどん権力が集中する仕組みです。暴力によるトーナメントを勝ち抜いた最後の一人が独裁者となる仕組みです。
スターリン然り、毛沢東然り、金日成然り、ホーチミン然り。


誰もが現在の生活に不満を抱いているものです。
自分ばっかり損している。
世の中には自分たちを踏み台にして、楽している人間たちがいる。
自分はそんなやつらは許せない。


そういう嫉妬心と不満心が共産主義の温床です。
我々が団結して、そのような富をむさぼるものを打倒しよう。
世の中の不公平を正して、完全な平等の世界を創りあげよう。
多くの人はこの美辞麗句のトリックにひっかかります。


完全な平等とは、持てるものから奪うことでは決して達成できません。
完全な平等とは、自分が持たざるものに与えることで達成できます。
誰もが持たざるものに与えることで本当の平等な社会が生まれることでしょう。
しかし人は自分より持たざるものには興味ありません。自分より持っているものにいつも思考が流れていきます。これが嫉妬心です。


約二千年間ユダヤを迫害した相手は、国家と国民でした。
この体制を消滅させるために彼等が消滅させなければならなかったのは、王家という血統と、人々の宗教への信仰心でした。彼等が全体主義国家を建国するにあたり、目標としたことが、人々から「血統への忠誠心」と「宗教の信仰心」をなくすことでした。どちらもユダヤ迫害の温床となり得たからです。


① 平等な社会という美辞麗句で人々を油断させて
② 持てるものを打倒しなければならないという嫉妬心を媒介に伝染し
③ 革命という暴力行為で「血統(伝統)」「宗教(伝統)」を敵対視し破壊させ 
④ 「伝統」や「個人の良心(信仰心)」を否定した空白に、「人民委員会」という価値観にすり替える。←ここが一番重要
④ 権力闘争で勝ち残ったもの(ユダヤ勢力が承認後押ししたもの)が指導者(人民委員会の書紀)として全体主義のピラミッドの頂点に立つようにする
(血統や宗教を廃絶した空白に、このユダヤ勢力の番頭を個人崇拝する社会に作り変える)

というステップを通じて共産主義という名前の全体主義国家が生まれます。
人々の嫉妬心が薄ければこのステップは成立しません。
結局は人々の嫉妬心が行き着くところまでいくと、自分たちを縛る自由のない社会になるということです。
(ユダヤ民族が自分たちを守るために築きあげたこの芸術的な遠大な策略の仕組みは、私達人類の魂の進化のリトマス紙であるかもしれません)


彼等はコミンテルン(国際共産主義)と呼ばれ、世界の半分を共産主義の国家とすることを使命とされました。(世界のあとの半分はユダヤ国際資本の借金漬けの国家と言えるかもしれません。)


ちょうど日本が満州事変を起こした頃です。
この日本にも多数のコミンテルンがもぐり始めていました。



つづく



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侵略戦争。危難の察知。


私達は日本の直面してきた戦争やその背景を約100年の時間が立ってから見なおしています。
日本が敗戦して、国土や人命だけでなく、未だに日本の文化や道徳まで大きく傷を負っていることを知った視点で過去の歴史を辿り直しています。いわば真犯人を知った状態で推理小説をもう一度始めから読み解いているようなものです。


そういう立場で明治以降の歴史を見ていくと、不思議に感じることがあります。
それは明治天皇や昭和天皇など、当時の天皇が国際社会における日本の立場と、その行く末について非常に的確に把握していらっしゃったということであります。
もちろん独自の調査網もあったことでしょうが、やはり本能的ともいえる直感力で、日本の状況と未来を「肌で知って」いらしたとしか思えないことが何度もあります。



昨日お話した日本軍の熱河作戦についてもそうです。
昭和天皇は憲法11条の統帥権を行使してでも、この熱河作戦を中止させたい。と動かれました。
なぜこれほどまで強固に熱河作戦を止めようとなさったのか。
熱河作戦とは日本史では満州事変の一つの軍事行動としか見られておりません。
日本軍が満州の南の省まで侵攻を続けたということであり、いずれにせよ万里の長城の北側の地域です。
しかしこの熱河作戦が日本の運命を大きく左右したのです。



日本が日中戦争と太平洋戦争を起こすきっかけとなったのは、国際連盟の脱退であると言って良いでしょう。
当時日本は常任理事国であり、国際的な大国の一員でありました。
ここで日本が満州事変を起こして、溥儀をかついで満州国を建国したのですが、満州国は国際連盟では国としては認められていませんでした。
さすがに日本が軍事行動で(列強の多くが欲しかった)満州地域を牛耳るのはいかがなものか。となったわけです。



国際社会の裏側(ユダヤ系国際共産主義の奥の院など)では日本を国際的な戦争に引き釣りだして日本という国そのものを叩こうという動きも除々に活発化していたころです。
それでもまだ国際社会の多くのメンバーは日本には平和的な行動で鞘を治めて欲しいと願っていました。まだ戻ることができた最後の機会でした。
国際連盟は日本に対し、「満州を国際管理とし、日本は顧問として参加する」という日本の権益に最大配慮した落とし所を提案しておりました。もし日本がこの案を承諾したのであれば、日本はこの時点では国際孤立化は防げたでしょう。
しかしこのタイミングで起きたのが熱河作戦でした。
国際連盟が調停努力を行っている真っ最中に、日本が軍事行動を起こしたことは、国際連盟第15条の規約違反となり、経済制裁および除名の対象となる。という事態だったのです。


昭和天皇がこのことをご存知で熱河作戦を止めようとなさったのかどうかは不明でありますが、この熱河作戦が日本の国際連盟の脱退の大きなきっかけとなったのは事実です。
日本を国際社会から孤立させて戦争に巻き込みたいという国際社会の裏の意思を命じられた担当者にとっても、この熱河作戦は渡りに船であったことでしょう。


こうして日本は国際連盟を脱退しました。
私達日本人はこのニュースを大歓迎で迎えました。自分たちが満州に固執するあまり、破滅への道に転がり始めていることに気がついていませんでした。







つづく



おひさま、ありがとうございます。


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侵略戦争。二つの原因。


日本がなぜ日中戦争や太平洋戦争を行ったのか。
私が考えるところには理由は二つあります。この考え方は現時点では一般的ではありませんが。


一つには私達国民の意思です。
日本軍は日清戦争に勝って以降負けたことはありませんでした。
戦争すれば必ず勝つものだと慢心していたかもしれません。
また戦争で得た国土は以前より治安も良くなり、産業も急速に発展しました。
私達国民が、戦争によってでも、日本の統治領土が拡大することを願っていました。
(逆に国際協調のために一度得た権益を手放すことは国賊であると考えておりました)



もう一つは国際的なある意思です。
満州への権益を広げていく日本に対して、次は日本の国体を破壊するぞ。と決意していたある国際的な力を持つ人たちがおりました。
モルデカイ・モーゼ氏の言葉によるとそれは国際的なユダヤの意思でした。
二度とユダヤ民族が迫害を受けることのないように世界を作り替えるための行動であったとあります。
彼等の意思を実行する表向きの実行者は二人おりました。
一人はソ連のスターリンです。
共産主義国家とはユダヤによって作られた人工的なイデオロギーです。
王家(血統)への忠誠や、宗教の信仰という、ユダヤの彼等を迫害する恐れのある思想体制を抹殺した国家体制でした。
スターリンの任務はドイツと東ヨーロッパを共産化すること。満州と中国を共産化すること。東南アジアを共産化すること。日本を共産化すること。でした。


隠れたユダヤ戦略のもう一人の実行者はアメリカのフランクリン・ルーズベルトでした。
ルーズベルトの任務はアメリカを第二次世界大戦に参戦させることでした。
当時のアメリカ国民も議会も参戦には反対でした。
アメリカの国民の意思を誘導してアメリカを日本とドイツに参戦させることにあります。
これにより東ヨーロッパと満州、中国、日本、東南アジアの共産化させることになります。


これには遠大な計画であります。
ユダヤの頭脳が考える国際的な計画は本当に緻密に組み立てられています。
(私達日本が日露戦争でロシアに勝てたのも彼等の作戦の一つに過ぎませんでした)


彼等のユダヤの共産化計画とはどのようなものであったのか。
これは1935年の第7回コミンテルン(国際共産主義)大会でスターリンが述べた演説でその一片を知ることができます。
==========
ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/193/
==========


つまり日本とドイツを周辺国と戦争とさせておくことが一つ。
その後アメリカを参戦させることで、疲弊した日本とドイツを降伏させ、日本とドイツの彼等が暴れまわった周辺国を全部そっくり共産化すること。
これが当時のスターリンの青写真でした。
当然これはスターリン一人の考えではありますまい。彼は番頭のリーダーでありました。
もう一人の番頭のリーダであるルーズベルトはアメリカを参戦させ、日本とドイツを降伏させることでした。



現在主流になっている、日本が戦争を起こした理由ですが、大きく二つあります。
一つは東京裁判でGHQが日本国民に押し付けた自虐史観です。
軍部(と天皇)が無垢な日本国民を騙して戦争に引き釣りこんだというものです。
現代の日本人の多くが信じている説です。
私達はあまりにも強くこの説を盲信しているため、自衛の戸締りでさえ行うべきではない。という人たちが国民の大部分をつい最近までしめていました。


もう一つはアジアの独立のための戦争だったという説です。
確かに日本が統治するまでは、西洋列強の植民地であった国々が、日本の侵攻のあと独立したケースもあります。しかしそれは後付の理論です。
日本が半島や大陸に侵攻した理由は、最初は対ロシアの防衛のためであり、そののち満州の権益に執着して手放さなかったことによります。


上記の左と右の理由はどちらも本質をついていません。
ですから振り子の右と左のようにいつまでも振れ続けていくかもしれません。
振り子で振れ続けている間は、私達の目は塞がれたままです。



本当の戦争の原因は私達が一番見えにくい場所にあります。
それは一つに私達日本人の「慢心」と「執着」という心の闇であります。
そしてもう一つは陰謀論として片付けられてしまいがちな、国際的なユダヤの意思です。


先の大戦は上記の二つが相乗効果となって、日本が戦争に突入しました。
どちらか一方では日本はあれほど大きい戦争に踏み込むことはなかったことでしょう。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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侵略戦争。魔物の生贄。


今から約90年ほど前のことです。
私達日本時は清王朝の末裔溥儀をかついで満州国を建国しました。
当時の日本人にとって満州国は希望であり誇りであったことでしょう。


それよりさらに二千数百年前です。この中国大陸の地に老子と呼ばれる賢者がおりました。
老子の教えは、柔らかいものほど強く、硬いものほど脆いということでありました。
持たないものほど豊かで、持つものほど貧しいということでした。
見かけの陰と実体の陽、見かけの陽と実体の陰は反転しながら変化していくということでした。


その当時の日本人は本当に強かったのです。
眠れる獅子と言われたあの大国の清に勝ちました。
西洋列強の一つである大国のロシアにも勝ちました。
アジア人で世界で初めて西洋列強に勝った国でした。
そしてこの満州の広大な地もたった5ヶ月で征服しました。
そして私達日本人が征服統治した土地は治安良く短期間で急激な経済発展を遂げます。


満州国は私達の希望と誇りでありました。
数多くの日本人が夢を実現するべく満州に入植しました。


しかし好事魔多し。
私は日本軍が勝ち続けたことは凶事であるように思われます。
日清戦争も日露戦争も満州事変も本当には「信義」に基づいていない戦争でした。
日本の防衛と繁栄のためがきっかけの戦争であり、それは二千数百年の日本神話の視点(ニニギノミコトの子孫に託された役割)からはずれた戦争でありました。
明治天皇や昭和天皇のお言葉からはっきりそれがわかります。


日本人は戦争に強いだけではありません。
日本人は育てる民族であります。
私達が統治した朝鮮半島も台湾も満州も治安が良く農業も工業も発展しました。
しかしそれは、やはり結果論でおまけの効果なのです。


もし朝鮮半島や大陸の人たちが、私達日本人に、どうかこちらに渡って治安を守って欲しい。どうか農業や工業を興して欲しい。と依頼を受けたなら、これは正しい「信義」でありましょう。そして私達はそれを信義と友情から達成したことでしょう。
しかし残念ながら私達日本人は彼等の依頼の前に、自分たちの国の防衛と繁栄のために、半島と大陸に進出してしまいました。


好事魔多し。
私はこの半島と大陸は巨大な魔物に思えます。
私達日本人が、(日本の国土の神様が認めない)戦争を通して勝ち続けるのは、まるで「罠」のようにさえ感じます。
「信義」のない戦いに勝ち続けることほど怖ろしいことはありません。
それは一見幸運に見えますが、魔物の罠であるかもしれません。


勝ち続ける間は人は傲慢になります。これは人間の悲しい性です。私達日本人もきっとそうであったことでしょう。
「信義」なき争いに勝った場合は、引くことができなくなります。
それを守るために更に「信義」なき争いを続けざるを得なくなります。
魔物が大きな口をあけて静かに生贄を呼び込んでいるようです。


日本が第二次世界大戦に敗戦して、満州がソ連と中国に一気に攻めこまれたとき、満州にいた多くの日本人たちに起きたことは悲惨すぎて筆にできません。
あたかも中国大陸は大きな魔物のようです。
私達日本人が「信義」なき争いに勝った勝ったと増長しどんどん入植し、見かけの楽園を作るのをじっとじっと待っていたようでした。


この大陸という魔物に「今回も戦争に勝利した」と喜び勇んで大陸に入り込んでいく日本人たちを、どうやって引き止めることができるでしょうか。
もし私達が当時生きていたのなら、どうやって私達を止めたでしょうか。

==========
そこへ満洲事変が発生すると、当時の若槻禮次郎内閣の不拡大方針をよそに、国威発揚や開拓地の確保などを期待した新聞をはじめ国民世論は強く支持し、対外強硬世論を政府は抑えることができなかった。
(Wikipedia「満州国」より)
==========





東三省とは満州のことです。
これだけの土地が日本の実質の統治範囲でありました。
日本人として誇らしく感じます。という私の心の中に魔物がいます。
中国大陸にいる魔物は、その分身が私の心の中にいます。
日本人たちは自分たちの心の魔物が中国大陸の魔物に惹かれて、生贄として侵出していったとも言えるかもしれません。
もし当時私が生きていたらきっと私も魔物に憑かれ「満州は日本の生命線」と叫んでいたことでしょう。


さて張作霖を暗殺した陸軍は、あっと言う間に東三省と呼ばれる満州を制圧しました。
黙っていないのは張作霖の息子の張学良でした。
彼は熱河省で義勇軍を構成して、日本に反抗しました。
関東軍は東三省から出て熱河省にまでとうとう進軍してしまいました。
この進軍は熱河作戦と呼ばれ、軍事行動としては見事だったと高い評価をされています。


軍事行動が見事だったということは、その本質は裏返しであります。
日本人がとうとう満州鉄道のあった東三省からさらに南下して侵攻してきたのです。
大陸の魔物が大きく口を開けていたかもしれません。
まだまだ、まだまだ、と言いながら、ごっくんと涎を飲み込んだかもしれません。



陸軍はこの熱河作戦の開始において昭和天皇の了承のお伺いを立てました。
当然昭和天皇は反対でありました。
これ以上魔物の大陸の奥地に日本人を送り込みたくなかったとお感じになったのかもしれません。
この満洲事変もまた「信義」のない戦争であったと思われたのかもしれません。
しかし軍部は「すでに内閣の承認が降りたことですから」と言います。
内閣の承認が得たことは、天皇は了承しなくてはなりません。それがきまりでした。


昭和天皇は「それでは決して万里の長城より南を越えないという条件であれば、この侵攻を承諾する」と下されました。
万里の長城から南は古来から漢民族の土地であります。
そこを越えることだけは、絶対にしてはならない。それが昭和天皇のお気持ちでした。
(しかし魔物は大きな口を開けて、日本人を更に奥地に呼び寄せておりました。)


しかしこの熱河作戦が内閣の了承がとれているというのはウソでありました。
それをお知りになった昭和天皇はこの熱河作戦の承認を取り消そうといたしました。
もうこれ以上軍部が大陸に侵攻することはしてはならない。そうお思いになりました。


昭和天皇は「自分は統帥権を持っていることになっている。であるなら統帥最高命令によって、この熱河作戦の中止を命ずる」と述べられました。憲法11条の統帥権で陸軍の暴走を食い止める。と仰ったのです。


しかし武官長や内大臣が慎重に検討した結果、統帥権といえども輔弼機関に委ねられているから、天皇の好き勝手には命令ができない。ということでした。
もしそんなことをしたら「天皇親政」(国会や内閣よりも天皇の意思が上になる)となり立憲君主制という憲法の精神を損なう。ということでした。


ひたすら日本人が魔物の生贄として進んでいくことを、天皇のお立場では止めることはできなかったのでした。


先の老子です。
やむを得なく戦争を行う場合でも、それは葬式の儀にのっとって行うべきと述べております。
大勢の人間を殺戮しに行くのであるから、勝利を得ても喜ぶことなく、哀悼の意をもって喪に服するべきであると述べております。


しかし満州事変であざやかな軍事行動をみせた関東軍は、葬式の哀悼とは正反対で、勝利に酔い更に傲慢になっていきました。
私達日本人は自らの心の中の魔物に喰い付くされようとしていたのかもしれません。



つづく



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侵略戦争。土地の神様。


なぜ明治天皇が日清日露戦争を反対されたのか。
なぜ昭和天皇は関東軍の満州侵攻を反対されたのか。
この秘密は皇室二千数百年の歴史に秘密がありそうです。


現存する国家体制でこれほど長い期間安定を保っている国は、地球上他にはありません。
多くの場合、どんな王朝でも数百年続くと転覆する勢力があらわれて体制が交代されます。
なぜ日本だけ二千数百年以上も皇室という体制が続くことができるのでしょうか。
一つには私達国民の宗教観や死生観に根付いているということです。
私達日本人は自然を畏れ敬う宗教観と死生観を持ちます。
皇室というのは私達のその自然崇拝(神道)の大切な寄り代であられたということです。


つまり天皇というのは国土の神様から託された神職であります。
これが皇室が二千数百年以上もこの国土で存続が認められている理由であります。




現代の皇室は古代イスラエルの末裔であると私は妄想いたしておりますから、彼等が南九州に上陸した天孫降臨は紀元前6~7世紀と推定されます。
この異邦人であって古代イスラエルの民たちが、日本の国土全体の統治を任されるのにどのくらい時間がかかったでしょう。





南九州の土地を任されていた期間が約300~400年。
そのあと神武天皇以降倭姫が巡幸されるまでの約500~600年は奈良盆地周辺のみ。
倭姫以降除々に皇室が預かる国土は関西を中心に広がっていき、300年かけてようやく雄略天皇が白山の神様(皇室以前の土着の国土の神様)をお祭りします。


古事記や日本書紀という私達の神話によれば、国土の神様たちが集まって会議を行ない、ニニギノミコト(古代イスラエルの末裔)の家系に国土を委託しましょう。という会議があったといいます。
私はこの神話は非常に重要であると思います。
それはその土地の統治者とは、その土地の神様に選ばれたものがなる。というように感じているからです。


ニニギノミコトは国土の神様に認められたとあります。
しかし日本中には先住の民たちが彼等の生活をしておりました。
その中に溶け込んでいくためには、代々の天皇が国土の神様との約束を守り続けた長い長い実績によって、ゆっくりとそれぞれの地域の神様と住民たちに認められていったのです。
もちろんその歴史の中には土着の豪族たちとの争いもいくつもありましたが、それでも大局的にはゆっくりゆっくり神話の世界の時間の流れで変化が進んでいったように思われます。


ニニギノミコトの家系が南九州に上陸してから、国土全体の神様と住民が皇室を認めるのに1000年以上の時間がかかっています。(特に最初に南九州から出るだけで、まず地ならしに日向三代という300年もかけています)


でありますから、もし朝鮮半島や満州に日本が領土を広げるのであれば、それはまず半島や大陸の土地の神様からの委託があったのだろうか。というのが日本神話(皇室)の考え方であろうと思います。


そんな神話は迷信だと思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし日本人は肌感覚でその土地にはその土地の神様がいることを知っていました。
だから日本の国土であればどの土地にも神様をお祭りする神社があります。
もし半島や大陸の神様たちが、ニニギノミコト子孫に統治を任せるということを納得されているのであれば、それはそのように進めていくべきでありましょう。
しかしそれは最低でも数百年という単位で行われるべきことです。日本のような狭い国土でさえ1000年以上かかったのでありますから。そして残念ながら半島や大陸の神様は、日本の民族に統治を全~っく統治を依頼しておらなかったようです。


その後のかの土地で彼等が日本人に行った蛮行を知るにつけ、私達日本人はかの土地には全然受け入れられていなかったとことを思い知らされます。
どうして明治天皇が日清戦争の報告を伊勢の大神にされなかったかという理由につながるかもしれません。また日露戦争を反対されていた。という理由も。


関東軍は張作霖を暗殺したあと、溥儀を連れてきて満州国を設立させます。
表向きは清朝の復活でありますが、実際は関東軍の傀儡政権でありました。


陸軍は満州国に建国神廟という天照大御神をお祭りした宗教施設をたてました。
これに対し昭和天皇は「中国には古来、祭天の信仰があるから、天を祀るのが妥当ではないか」と反対されました。
これは日本人は大陸の神様にはまだ認められていないのですよ。と私達に示唆されているようです。
私達は満州の人たちに託された分相応のことだけを行うべきで、決して大陸を日本の傀儡としてしゃしゃり出てはいけません。そのようにお考えであったと思います。


しかし私達日本人はこの二千数百年の神話を国家の教訓として自戒するには、不遜で傲慢であったようです。
今回もまた昭和天皇のお気持ちを汲み取ることはできませんでした。
うむむ~。



つづく



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侵略戦争。自浄作用のない組織。


日本は太平洋戦争で原子爆弾を2発も国土に打ち込まれ、また首都東京も焼け野原になりました。この戦争で亡くなった方は300万人と言われています。
またこの戦争に負けたことで、GHQによって日本人から本来の日本らしさが奪われる政策が行われました。私達が学校で習った自虐史観と言われるのもその一つです。


なぜそのような戦争に日本が踏み込んでいったのか。
その理由は私達子孫の日本人が知って置かなければならないと思います。そこには貴重な教訓があるからです。自虐史観の教える「軍部(と天皇)の暴走によって、無実の国民が巻き込まれた」と信じている間は、私達は再び間違いを犯すかもしれません。


日本軍を裏切ろうとした、満州の実質の統括者である「張作霖」を暗殺したこと。これが日本が太平洋戦争に踏み込んだ現実行動の第一歩であったと私は考えます。
それまでの日本は清から満州鉄道の運用と経営の権利を譲り受けておりました。
しかしこの鉄道の権益をより強固なものにするため、満州全体を支配下におこうと考えました。


日本人は満州を「日本の生命線」と呼び始めていました。
しかし今から考えると満州は日本の生命線ではありませんでした。
日本は満州や朝鮮半島がなくても2千年以上も平和に存続していましたし、現在でも平和に繁栄しています。
しかし当時の私達国民は満州を生命線と呼んで固執し始めていました。この日本人の「満州への固執」が日本人を太平洋戦争に引き釣りこんでいきました。



張作霖の暗殺について非常に危惧されたのが昭和天皇でした。
昭和天皇は関東軍が暴走して張作霖を暗殺したであろうとわかっていらっしゃったのでしょう。
そしてこの暗殺事件が日本を想像を越える地獄(太平洋戦争)に呼びこむ入り口であることを、直感的にお感じになっていたのだと思います。


私達国民はそれほどこの張作霖暗殺事件は意味が大きいものとは思っていなかったでしょう。
裏切り者の張作霖が亡くなったことは、自業自得だ。ぐらいの気持ちではなかったでしょうか。


昭和天皇は首相の田中義一を呼び、暗殺事件の全容を調査して報告するようにお命じになりました。
とにかく政治とは「信義」から始まり「信義」に終わらなければならないのです。
自らの欲を捨て、「信義」に恥じない治世をすることが全てであるのです。
昭和天皇はその原則を維持しようと考えられたのでしょう。
その「信義」の政治こそ、一番確実に日本を守ることになると信じていらっしゃったのでしょう。
そしてそのご見解は80年以上たった今、正しいことがわかります。
しかし当時の私達の多くはそのような思いには至りませんでした。



関東軍が暴走したのはもう起きてしまったことだから仕方ないが、せめて組織の自浄作用により軍法会議で暗殺の全容をあきらかにし首謀者を罰するべきだ。それによって国際的な信用を取り戻す唯一つの方法である。そのように昭和天皇はお考えになっていたと思われます。
当時の私達国民は周囲の国々(中国、ソ連、米英)から不信の目で見られていた空気をさっぱり読んでおりませんでした。しかし昭和天皇ははっきりとその違和感をお感じになっていたようです。


さて昭和天皇は何度も田中に、事件の調査結果はどうなったか。とお尋ねになりました。
そのたびにうやむやに受け答えしていた田中ですが、もう事件から丸一年もたち「未だ調査中です」とは言えなくなってしまいました。
陸軍は自分たちが外国人の要人を暗殺したとは、絶対に公表できないという立場でした。
板挟みになった田中義一は、最終的に昭和天皇にこのように回答しました。


「陸相が奏上いたしましたように関東軍は爆殺には無関係と判明致しましたが、警備上の手落ちにより責任者を処分致します」


これはもっとも昭和天皇が危惧された内容でした。
陸軍には自浄作用もないということでした。
そして内閣もそれを抑えることができないということでした。
昭和天皇は珍しく厳しく田中義一を叱責されました。
田中義一はその叱責を受け涙を流し恐懼し、翌日総辞職し、3ヶ月後に狭心症でこの世を去りました。


これが日本の不幸であったのは、昭和天皇はこの事件以降、内閣に強くご自分の意見を述べることを控えられたということです。
当時日本が戦争への坂道を転げ落ちて行き始めていることを、正確に把握されていた数少ない御方が昭和天皇でありました。
しかしもともと立憲君主制とは天皇には政治に関与する権力はありませんでしたが、これを機に更に政治に口出しを控えられました。
これ以降昭和天皇が自らの意思を行動にお示しになったのは、「二・二六事件」と「終戦の決定」の二つだけでした。いずれも日本が対峙した弩級の国難でありました。



歴史には「if」はありませんが、もし当時の昭和天皇に国政の決定権がありましたら、日本は日中戦争も太平洋戦争も体験することはなかったでしょう。
しかしそれでは日本国民の意思はくすぶったままかもしれません。
私達は頭をガツンと打たなければ学ばなかったのでしょうか。
昭和天皇は私達国民が戦争に突き進んでいくことを、無力の立場でじっと見つめておられたことであったということです。



つづく



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侵略戦争。相手が裏切らないという一方的思い込みが戦争の温床に。


日本は昔から忠義や信義といって、一度信頼を結んだ相手は裏切らないことが美徳とされてきました。相手を信用することを美徳とされてきました。
しかし日本以外の地域ではそれはアタリマエの美徳とは限りませんでした。



たとえば二千年以上迫害の歴史を受けてきたユダヤの一派は金融の力に生き延びる活路を託してきました。どの地域どの国に移り住んでも迫害を受け続けた彼等の生き延びる知恵でありました。
それは、さまざなな国や宗教であっても多民族がお金に縛られるような社会制度とし、金融ユダヤが世界中の金融を牛耳ることで、もう誰からも迫害を受けないようにしたのです。もう世界中どこに行っても自分たちが見に覚えのない罪で迫害されることが起きないようにするためでした。


彼等ユダヤの知恵の根幹は「他民族を信じるな」です。
他民族を信じて無防備になることなど愚の骨頂です。


ユダヤの彼等は表立って行動することは原則ありません。
自分たちを迫害してきた他民族には、自分たちの行動を知られては命取りになりますから。
彼等の行動は陰に隠れた長期間の諜略になる理由でありましょう。



たとえば四千年以上も数多くの王朝の隆盛衰退を繰り返してきた中華民族の知恵は、力の強いものに従う。でした。力が弱ければ裏切られても仕方ありません。こうして勝ち残った力の強いものがあの広大な中国大陸を支配することができます。
しかしその王朝も隙を見せれば簡単に寝首をかかれてしまいます。


なぜ中国では孔子の「徳による治」が長いこと学問として支持されてきたかというと、それは皮肉にも実際の中国の王朝がそうではなかったということです。


なぜ中国では賄賂の文化がDNAとして根付いているかというと、それが生き延びるための知恵であったからです。血統の進化論でありましょう。
賄賂とは権力者に媚びるということです。媚びた見返りを期待するということです。
「私があなたに賄賂を渡すのは、あなたが権力を持っているからですよ。だからこの賄賂に見返りとして私に融通をはかってくださいね。」
これは権力から滑り落ちた相手に対しては簡単に裏切るということであります。


中国では血族の繋がりがとても強いです。
これは血族だけはお互いを裏切らないという信頼関係があるからです。
しかし血族以外の相手に対しては、強いものには媚びる。弱くなれば裏切る。という非常にドライな交流の原則であります。



日本人の「信頼する美徳」が「善」であり、国際ユダヤ資本の「金」や中国大陸人の「権力」を信じる知恵が「悪」というわけではありません。
それはその地域その時代で生き延びるためのに必要なことであったということであろうと思います。



しかし私も日本人でありますから、日本人の「他人を信頼して裏切らないことを美徳とする」は、本当はとてもとても大切なことであると思います。私達が毎日働きながら人生を送っている目的の一つは、「他人に誠意を持ち続けられるか」「都合が悪くなったからといって相手を裏切らないでいられるか」ということであろうと思いますから。


ただそれと同時に必要なのが、自分や自分の家族を守る知恵です。
自分は相手を裏切らないし騙さないでしょうが、相手は自分を裏切るかもしれないし、自分を騙しているかもしれません。
社会にはそういう悪があることを知り、そういう被害に合わないように努力する知恵が必要です。


読者のみなさまにとってどちらも当然のことであろうと思います。
「自分は相手に誠意をもち、相手が困るような裏切りはしない」
「他人は自分を裏切り騙すかもしれないことを前提にいつも戸締りの対策はする」
この二つをバランスとりながら毎日を送るのが自分と家族が生き延びる知恵です。



だから日本という国家もそうであるべきなのです。みなさまもそうお考えになることでしょう。


1,一番良いのが「他国には誠意をもって接し、相手が困るような裏切りはしない」ということと、「他国は日本を裏切るかもしれないし、陥れるかもしれない」という最悪の想定をして備えることです。
(幸運なことに今の安倍政権はバランスよくこと方針で進んでおりますね)



2,「お金」や「権力」を信頼関係の礎とする信条も、生き延びるためには仕方がなかったと思います。非常にドライな生き方です。他人や他国からの信頼を維持するには、彼等に貢ぐ「お金」や、彼等を守る「権力」が必要です。それがなくなればいつ裏切られて見捨てられるかは想定内です。

美しい外資系のホテルのラウンジもお金があるからこそ、入れてもらえます。
美味しいコーヒーや居心地の良いソファと上品な接待を受けられます。
しかしお金がなければ周囲をウロウロすることも断られます。
金の切れ目が縁の切れ目であるのが、今の地球の大部分のルールです。



3,最悪なのが、他国や他人が裏切ることを前提としていない人付き合い国付き合いです。自分が相手を信頼しているから、相手は自分を裏切るわけばないという、一方的な思い込みは相手も自分も不幸になります。


日本では九条信者という人たちがいます。
日本が軍備を持たなければ他国は絶対に攻めてこないと信じている人たちです。
自分が相手を信じている限り、相手は自分を裏切らないという幼稚な価値観です。


こういう人に限って、人から裏切られると逆上して我を忘れてしまいます。
人から裏切られることが想定されていないので、パニックになってしまうのです。


本当は自分が自分自身を裏切らなければ、人が自分を裏切るというのは表層の流れる事象にしか過ぎないのです。縁が薄くなれば人は離れていくことは個人の努力では食い止めることはできませんから、離れるままに追わないことが結果的に自分を助けるのではないでしょうか。
誰かに裏切られた時に人生が破綻してしまうような前提がそもそもの問題であったのです。来るものは拒まず、去るものは追わず。いずれにせよ自分の人生は、自分の自我と自分の良心の二人だけの旅であります。ということに関係するかもしれません。



閑話休題。
戦前の多くの日本人の国際感覚は3であったようです。「自分が相手を信頼すれば、相手は自分を裏切らない」そのような信念で一本気で朝鮮半島と満州に突き進みました。
しかし必要なのは「相手が自分を裏切るのは当然だ。裏切りを想定していない自分が問題なのだ」という視点が決定的に欠けていたように思われます。でもそれは国際外交では当然のルールであります。


なぜ日本と中国との戦争が拡大していったのか、の隠れた大きな理由であると思います。


① 日本人が中国人を信じる。
② 中国人が日本人を裏切る。
③ 日本人が激昂し侵略する。
④ 再びその地で日本人が中国人を信じる
⑤ ②に戻る。巡回する。


当時の日本人は、「中国人が裏切ったら時の最悪想定はどうするのか」「中国人が国際法を破った時の最悪想定はどうするのか」という思慮に決定的に欠けていました。
この想定の甘さ(日本人は正義と思っている)が、自分自身を戦争に引き釣りこんだのです。


この想定の甘さという日本人のDNAは現在の九条信者の方々が引き継いでおられます。
「相手が裏切った時の最悪想定はどうするのか」「相手が国際法を破った時の最悪想定はどうするのか」と考えることさえ「悪」だ。という考え方です。
彼等は「教え子を戦地に送るな」と叫んでいるようですが、皮肉なことに前回「教え子を戦地に送った」のは、彼等のような狭視野の思考でした。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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侵略戦争。忠義?権力?お金?


政府や軍部の要人たちは張作霖を完全に信じていたようです。
従って張作霖が日本を裏切っていたことを知ると大きく落胆しつつそれが激怒へと代わったことでしょう。
あれほど張作霖に目をかけたにも関わらず、彼は米英(国際ユダヤ資本)と接近しているだけでなく、あのソ連に対して新たな南満州鉄道の敷設を許可しようとしている。


私達日本人が張作霖をあれほど支援したのは、満州鉄道の権益を確保するためでした。
張作霖も「私は日本のために働きます」なんて言っていたではないか。
これではせっかくの満州鉄道の権益が、ソ連や米英に奪われてしまう。


どうする?どうする?
殺せ。裏切り者の張作霖は殺せ。
中国人は信用ができん。
この満州で中国人を立てようとしたのが我々の間違いだった。
あの張作霖でさえ裏切ったのだ。
もうこうなったら我々日本人で満州を治めなければならない。
南満州鉄道の権益を守るためには、満州全体を我々が統治しなければならない。


関東軍はこうして張作霖を暗殺し、満州地域全体を日本人が統治する方針を立てました。
もうその頃は「満州は日本の生命線」と呼ばれていました。
当初はロシアの南下を防ぎたいだけの大陸進出でありましたが、今は生命線まで格上げされた満州に固執するあまり世界中を敵に回し始めていました。
人間の欲望の悲しさです。
一つ与えられると、今度はそれを失わないようにと、次から次へと欲しくなります。
もし日本の国土を守るために、今のうちに満州の権益は中国に返すか欧米ソ連と共同管理しようという人物が当時いたとすると、私達日本人に袋叩きにされていたことでしょう。
それほど私達日本人は満州に執着していました。一部の軍人や政治家だけではありません。私達国民のほとんどが満州権益の拡大を望んでおりました。



さて日本が世界を敵に回した大きな理由の一つが、外交の空気を全然読めていなかった。ということがあります。
つまり人と人の結びつきは何でなされるか。ということの理解が非常に浅かったのです。



日本人の場合は「忠義」でした。
これは二千年以上同一文化同一王朝(皇室)であった島国が育てたルールでした。
一度主君に忠義を誓うと、主君がどれほど苦境に陥っても裏切らないということが美徳とされていました。命をかけて主君を守ることが美徳とされていました。
NHKの大河ドラマを観るとよくわかります。
あれが日本人の大好きな忠義観なのです。日本人の道徳観の一つの要素ですね。



中国人の場合は「権力」でした。
これはあの広大で多民族の土地を一つの皇帝が統治する土壌が育てたルールでした。
人が人を裏切るのはもう当然のことなのです。
もしその人間を裏切らせたくないのであれば、自分は彼のメリットとなる「権力」を持つ必要があります。
自分の権力に引き寄せられて人は集まり、人は言うことを聞くのです。
ですから権力を失えば、あっという間に周囲の人間は自分を裏切ります。
それゆえ人に裏切られたくなければ、常により強い権力を敵から奪いとらなければなりません。


習近平が日本に対して強い態度で出ていたのは、日本より強い権力を持つということを内外に示すことで、国民を自分から裏切らせないためでありました。
習近平が強い権力を持つと内外の人間が信じる間は、彼等は習近平を裏切りません。
彼等の信頼関係の要素は「権力」のみです。



国際ユダヤ資本の場合は「お金」です。
二千年以上迫害を受け続けた彼等の知恵がそのルールを育てました。
彼等は人を信用しません。その人物が運んでくるお金だけを信じます。
彼等は「権力」でさえ「お金」に比べれば不安定なものであることを知っています。
だから彼等は中国人指導者のように表で権力を誇示することはありません。
裏に隠れて、しっかり資金の流れだけは自分たちの懐に入ってくるようにすることが主義です。
国際ユダヤ資本と信頼関係を持つことができるのは、彼等に資金を提供し続ける仕組みを受け入れている時だけです。彼等はお金だけは信用してくれますから。
しかし彼等のお金儲けの仕組みを傷つけようとするものがいたら、それが個人だろうが大企業だろうが国家だろうが、全力で潰しにかかります。



さて日本人は「忠義」が信頼関係の根本であると信じていました。
「権力」や「お金」に人がなびくのは卑しいことであると信じていました。
これが日本人が国際外交の空気を読めなかった一番の理由であったと思います。
であるから「忠義」を結べない相手の場合は、「国際法」を守れば問題ないと思っていました。



しかし国家間で信頼関係を維持するのに必要なものは「権力」であり「お金」でありました。
これは今の国連の常任理事国の姿を見れば明らかです。
中国以外の常任理事4カ国の役割は、国際ユダヤ資本の体制を維持するための調整機関という目的です。
中国は常任理事国という権力で関係国周辺国への信頼を維持させようとしています。
国際法とは名目だけか二の次です。



張作霖が日本についていた理由は簡単です。
日本や関東軍が持っていた権力に引き寄せられただけです。
彼はいずれは中国全土を支配しようと考えていました。
したがって次のステップは、英米やソ連の権力を利用しようとしたのは、彼の思考では当然でした。
もし日本が張作霖に裏切ってほしくなければ、英米やソ連よりも強大な権力を持てば良いのです。
そうすればその間は張作霖は日本に従います。
この考え方は張作霖だけではありません。
その後の中国の指導者である孫文や毛沢東もまた同じであったようです。



しかし日本人の忠義観に照らし合わせると、張作霖は許しがたい裏切り者でありました。



つづく



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侵略戦争。張作霖ちゃん。


太平洋戦争の原因については未だにたくさんの学説があり研究が進めていられるほど、私達日本人にとって深い意味を持つと思います。
なぜなら今日の日本でもまだ戦争による深い傷跡があるからです。
他の国の人なら「自国を愛する」とは当然の言葉でしょうが、戦後の日本人は「日本国を愛する」という言葉に抵抗を覚える人が大半です。それだけトラウマの傷が世代をまたいで深いということです。



太平洋戦争の原因については、
「日本軍と天皇が軍国主義に暴走して国民と周辺国を巻き込んだ」という自虐史観と、
「アジアの解放のための正義の大東亜戦争であった」という自己肯定史観の二つに分かれますが、私はそのどちらとも言えないと考えています。


日清戦争という近代戦争の第一歩で「信義」からスタートしなかったため、そのボタンの掛け違いが日露戦争→日中戦争→太平洋戦争と泥沼に駆け落ちるようにハマっていったと考えています。私達「国民」が満州に執着しすぎたため、自滅した過程でありました。



さて時代は昭和になります。
私達日本の国民の総意はこうです。「何としても満州の権益だけは手放すまい。」
これから何度も「満州の権益を手放すか」「戦争を拡大して泥沼を進んでいくか」という岐路に日本は立たされます。しかしそのたびに私達国民が選んだのは「満州権益を手放すくらいなら戦争を拡大させる」という選択でした。


これに対して昭和天皇のお考えは全く異なります。
「信義からはずれるならば、満州の権益はいつでも手放すべきである」


100年後の私達の視点では、まさに昭和天皇のお考えが正解であることがわかります。今なら私達でもわかります。しかし当時の私達国民の多くはそうは考えませんでした。
そして立憲君主制の日本は天皇は議会と内閣の意見を承認するしか力はありませんでした。





さて話は昭和初期に戻ります。
日本は南満州鉄道を経営する権利は持っていましたが、満州の国土は中国人のものでした。といっても当時の中国は清が滅亡したあとで内戦状態でした。
満州地域の有力者は馬賊であった張作霖でした。張作霖は日露戦争で日本に協力した縁で日本軍の支援を受け、満州地域を実効支配していきます。


さて私達日本国民の意思は、いかに南満州鉄道の権益を維持していくか。ということです。中国はまだいくつもの派閥が対立する内戦状態で、それに欧米列強とソ連が関係しています。うかうかしているとこの満州鉄道の権益も再び奪われてしまうかもしれません。
じゃあ、私達日本人が目をかけた張作霖ちゃんに満州を統治してもらおう。そうすれば私達日本人の満州鉄道は安泰であります。そうだそうだ。そうしよう。
関東軍はそういって張作霖を支援していきます。


しかし張作霖はそうは思っていませんでした。
俺は一介の軍閥で終わる器じゃねえ。俺は清に代わってこの中国全土を支配する皇帝になる人物だ。そのためには日本の関東軍を利用させてもらうぜ。そもそも日本人の奴らは中国の侵略者だからな。あいつらを利用するだけ利用して、ポイッと捨ててやるぜ。


空気を読めていなかったのは私達日本人だけのようです。
張作霖を始めとして中国人の多くは日本に対して良い感情を持っていませんでした。おそらく根っこには日清戦争で奪われた恨みがまだ癒えないでいたのかもしれません。
日本のことを良く思っていなかったのは、米英もそうです。ソ連もそうです。
彼等はそれぞれ覇権を強めていく張作霖に近寄っていきます。


どうも日本だけが脳天気であるように思えます。
張作霖ちゃん?ははは、大丈夫大丈夫。ずっと我々日本人が目をかけてやっているんだから、彼が日本を裏切るわけがないよ。彼は日本のために満州鉄道を守ってくれるよ。


周辺国の反日の空気を読めず、日本人は張作霖を無邪気に信じているようです。



つづく



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侵略戦争。育てる力。


私達日本人という民族の最大の特長は何でしょうか。
ひとそれぞれご意見があることでしょう。
私が思う「日本人という民族の最大の特長」とは、育てる力の強さです。
本当にこの日本人の育てる力は強烈です。
それはまるで太陽のようです。


日本民族がその地に住み込めばどんな荒れ地も豊かな緑の大地に代わります。
日本民族がその地で働けば工業生産力が急成長します。
こんな民族は地球の他の地域にはおりません。我田引水かもしれませんが本当です。


ロシアから譲り受けた南満州鉄道です。
関東軍はあの手この手を使い、鉄道周辺ではなく、満州の国自体そのものを傀儡政権として手に入れました。この手法については大きな問題がありました。
しかしこの「育てる民族」日本人が大量に荒涼とした満州の土地に移り住みました。
そしてたった10年でこの満州は目を見張る工業国と農業国になりました。


満州というあの北部の地域だけで、中国本土の鉄の生産の9割、電力の8割、大豆の生産の5割が満州産でした。そのほかにも石油、石炭の生産や、鉄道、通信などの公共インフラの半分は満州に集中していました。


満州は産業が豊かなだけでなく、治安も良かったので、一般中国人の移入が制限されていたにも関わらず、毎年毎年100万人がこの豊かな国目指して移住してきました。
なんと満州は水洗トイレの設備の普及しておりました。日本本土の大部分はまだ汲み取り式でありましたが。


日本民族の「育てる力」は満州だけではありません。朝鮮半島も同様でした。
日韓併合前は工業生産力が年間3億円だったのが、昭和15年には、18億円まで急成長しています。
同時期の日本本土の工業生産額が21億円でありますから、本土に匹敵する工業生産力を35年の間に日本人が育てたと言えます。
また工業力だけではありません。
ハゲ山ばかりであった朝鮮半島に、日本は5億本もの植林を行ないました。
そして水田も増やし、米の収穫高を倍にしました。


日本民族がその地に住み込めばどんな荒れ地も豊かな緑の大地に代わります。
日本民族がその地で働けば工業生産力が急成長します。



今の私達はもう信じられませんが、満州地方と北朝鮮のあたりは、日本本土と並ぶ東アジア最大の産業地域でした。成長率からいうと、日本本土を追い抜いていたでしょう。


しかしオセロゲームの悲しさです。
四隅に「信義」を置けなかったゲームは、いくら中盤頑張っても総取りされて負けます。


日本の敗戦後、ソ連軍が満州に攻め込みました。
ここ満州は、日露戦争からの因縁の土地です。
この時スターリンは満州国の工業力をおそれました。
もし国民党がこの満州を手に入れれば、中国共産党は確実に負ける。
それであれば、破壊してしまえ。
日本人が10年以上かけて育てた産業国はあっと言う間にこの地上から消されました。
その大部分は元の放牧地帯に戻りました。


日本本土に匹敵した北朝鮮の工業力はしばらくは温存され、朝鮮戦争では韓国に圧倒的な戦力を持ちましたが、育てる日本民族が引き上げてしまったため、これらの設備の老朽化とともに、北朝鮮は世界の最貧国に再びずり落ちてしまいました。


現在の韓国はハゲ山が多いです。
日帝が山の木をすべて切り倒して収奪したと韓国人は信じています。
真実は逆です。日帝は植林をしていたのです。育てる民族でありましたから。
もし現在の韓国がハゲ山であるのなら、きっと植林を継続せず切り続けたからでありましょう。
育てる日本民族が引き上げてしまいましたから、植林するより先に木を切ってしまったのでしょうかね。
日韓併合前の朝鮮半島と同じように、ハゲ山の土地に戻ってしまいました。



さて育てる民族である日本人の先輩たちは、今度は日本本土を育てました。
主要な都市は焼け野原になり、誰もがお腹をすかせていた国土でありました。


日本民族がその地に住み込めばどんな荒れ地も豊かな緑の大地に代わります。
日本民族がその地で働けば工業生産力が急成長します。


戦後の日本は、今度は日本自身を育てました。
世界でも例をみない高度成長を短期間にとげました。
誰もがもうお腹をすかせることのない国になりました。
なんと膨大な資産をアメリカユダヤ資本に貢ぎながらも、あのアメリカにつぐ世界2位のGDPを達成しました。
そして日本の産業力は育てる力です。収奪する力ではありません。
日本は生み育てたものを分け与え続け、今や世界最大の債権国です。
これほど気前よく他国にお金や技術を援助している国は、世界にはありません。


もし今地球が悲鳴をあげているのであれば、日本民族の「育てる力」が解決の最大の救いとなるように思います。
私達日本人は本当は責任重大であるのではないでしょうか。







つづく



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侵略戦争。空気読む?。


日清日露の考察を経て、ようやく昭和時代に入りました。
第二次世界大戦に参戦した日本の大きな理由がこの日清日露戦争にありました。



さて日本は南満州鉄道の権益を得ることができました。
韓国も併合して、日本は着々と大陸へ進出して行きます?
本来はロシアの南下を防ぐことが目的でありましたが、二つの戦争の蓋をあけると日本が大陸へ進出している現実があります。ふ~む。
攻めは最大の防御ということでしょうか。
他の西洋列強が侵出しているので、それが時代だということでしょうか。
ふうむ。
私は日本のことを買い被っておりますから、日本の他国に対する行動は全て「信義」からスタートしなくてはならないと思っております。



さて昭和初期の日本をとりまく国際情勢をみてみましょう。
朝鮮は植民地ですらなく日本そのものになっています。
所得も平均寿命も倍になり、野蛮な風習も禁止され、識字率も劇的に向上しました。
しかし彼等の民族の本音としては、いつまでも清の属国で隷遇されていた方が安心であったかもしれませんね。今の韓国をみてもアメリカをふりきって中国共産党に急接近しています。本来の関係に戻ろうとしているようです。


さて中国です。
中国は清朝が機能停止となって内乱状態です。ちょうど今のシリアやイラクのような状態です。内戦と外圧が入り乱れて治安がとても不安定な状態です。
しかしどちら側の中国人であれ、日本に対しては良い感情は抱いていなかったことでしょう。
この国民感情というのは重要です。
日本と戦争を行ない、負けたので天文学的な借金と、台湾などを日本にとられました。
これは国際法上問題のない条約に基づくものです。
しかし人間とは理性では割り切れないものです。


たとえば裁判に負けて家と財産をとられたとしましょう。
安易に押した保証人のハンコのせいでありました。
まさか家屋敷までとられると思っていなかったから、頼まれたままハンコを押しました。
しかし裁判に負けて、住む家も貯金もとられてしまいました。
これ自体は法律にのっとった手続きです。
しかし負けた人間の感情はそう簡単には割りきれません。
財産をとった相手や、保証人のハンコをつかせた知人をずっと恨みつづけることでしょう。


当時の中国人の多くが日本に抱いた印象も、似たような感情を持っていたと推測されます。
国際法上は日本は問題ありませんでした。
しかし理性とは全く別な感情の次元で日本を憎んでいたようです。
彼等は日本に侵略も攻撃もしていないのに、いきなりの日清戦争をへて莫大な賠償金と領土を盗られました。彼等の多くは日本に対してそのように感じていたことでしょう。


それだからこそ他国への「信義」が本当に大切なのです。
「信義」が起点であれば他国から恨まれることはずっと激減しますし、「信義」に恥ずることがなければ、万一恨まれても相手にはねかえるだけですから。


中国人の日本に対する漠然とした「恨み」によって日本は大きな仕返しをされることになります。泥沼の日中戦争に引きづりこまれていくということによって。



その次にロシアです。
ロシアも満州南下をはばまれて、南満州鉄道の権益を奪われましたから、日本にとっては良い感情をもっているわけはありません。
今回はロシア革命という思わぬ事件で戦争に負けてしまいましたが、今度は必ず奪い取ってやる。と虎視眈々と時期を狙っているようです。
これも第二次世界大戦の最後の最後で日本は大いなるしっぺ返しを受けることになりあmす。



そして最後にアメリカです。
アメリカのユダヤ資本は中国大陸への進出が悲願でした。
そのため日露戦争では日本を応援しました。
しかし戦争が終わって日本が勝ち組となると、あっさり手の平を返して裏切るではありませんか。(とそのように彼等には映ったことでしょう)。
その後日本が満州の権益を鉄道以外にもどんどん拡大していくにつれ、「こいつは危険なやつだ。今のうちに潰しておかなければ」という彼等のターゲットになっていきます。


アメリカは本当に親日の国だったのです。
しかし日本人排斥運動が始まったのはちょうど日露戦争が終わったころからです。
南満州鉄道の権益を独り占めさせてもらうよ、とアメリカに意趣返ししたころから、彼等の政策は親日から反日に急変していきます。


これが当時の国際関係です。
地政学的に日本の運命を左右する「中国」「ロシア」「アメリカ」いずれも日本に対して、恨みや不信を募らせております。
これはとても危険な状態ですね。
もし「空気読め」ということなら、ちょっと目立ちすぎかな?ちょっと独り占めしすぎから?ちょっと欲張りすぎかな?と感じるぐらいでありましょう。


しかし当時の日本は無垢であるというか、空気読めなさすぎというか、満州を独り占め(これは周辺国の感じ方です)して、どんどん開発し、どんどん満州を豊かにしていきました。満州は今では想像のつかない豊かな国になって行きます。そしてこれは「中国」「ロシア」「アメリカ」が切望した領土の姿でありました。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら
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