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なぜ2600年以上も継続できているのか。艮(うしとら)の徳川家。


江戸時代に築かれた理想的な国体

 信長、家康、そして天海僧正が作り上げた江戸幕府という国体は非常に良くできていました。もし開国外圧がなければ、まだ何百年も続いていたかもしれません。

 江戸時代の人たちは、京には天子様(天皇)がいらっしゃって、とてもありがたい。ということは誰でも知っていたようですが、では天子様の御名前とか、天子様が何をなさっているのか、ということはほとんど知らなかったようです。
 今の将軍様は誰かは知っていても、天使様のことは具体的には何も知らなかったようです。

 これこそが、第六天魔王信長が目指した日本の理想的な国体でありました。

 水の土地を干拓し、風水で作られた人工都市江戸は、封じ込められた水の因子の反動で約30年に1度大火がリセットがかかる因縁を持っておりました(私の妄想です)が、天子様のいらっしゃる京は、応仁の乱後、一度も焼かれることなく平和に保たれました。
 これこそが江戸徳川幕府の御役目でありました。

 天皇とは日本の最高神官であり、日本の民を代表して、国土の自然(精霊)を畏れと感謝を置く神事が最重要の御公務でありました。そして国民は正確には良くわからないけど、天使様は尊くありがたい。という畏敬の念を全員持っておりました。



徳川体制の陰と陽

 信長・家康が作った徳川幕府とは、朝廷とは陰と陽の関係でありました。日本を守る神事の朝廷と、世俗の統治を行う幕府は、陰と陽です。

 またこの徳川体制の中でも、江戸の将軍宗家と水戸徳川家は陰と陽でありました。陰陽道の視点では一番重要なのが水戸藩であり、徳川幕府の体制が恒久的に存続する布陣の一番の要でありました。天海僧正により一番の要である艮(うしとら=東北)に、水戸徳川家が置かれたのでありました。例によって根拠のない妄想話であります。

 陽の徳川家とは、江戸の将軍宗家と、尾張と紀州の徳川家であります。尾張とは信長の故郷であり、紀州とは南朝であり神武天皇を支えた八咫烏の土地柄です。

 そしてそれに相対(あいたい)する陰の徳川家とは水戸藩であります。天海僧正は陰陽道の天才であったと言われます。江戸だけでなく、各大名の配置として国土に完璧な布陣を敷いています。

 そして江戸からみて一番重要なのが、鬼門(艮)の方向であり、そこに水戸徳川家を配置しました。
 艮とは天孫降臨の時に封印された国土の神様のことであります。第六天魔王とは艮の神様の代表代理人と言って良いでしょう。私の妄想でありますが。



江戸体制を維持した艮の要石(かなめいし)。水戸藩

 徳川家の家紋というと誰でも知っている葵の御紋でありますが、水戸徳川家の家紋は葵が裏返しになった、裏葵御紋であります。これは家康の指示であったと伝えられ、徳川体制が確立された当初から、水戸藩は江戸宗家に対して、ウラオモテ、陰陽の関係であったことがわかります。


表葵


裏葵



水戸藩に代々伝わる家訓

 朝廷(御皇室)を長期に渡ってお守りするのが、江戸の徳川幕府であり、その徳川幕府が長期に渡って安定的に存続するように置かれた鍵が、艮の水戸藩でありました。

 水戸藩といえば黄門様が有名であります。尾張徳川4代徳川吉通は、水戸光圀国についてこのようにに述べておりました。

 「天下の武士達はみな将軍家を主君として崇敬し、これに奉仕しているようだが実はそうではない、官位は朝廷から賜るもので従三位中納言朝臣と称するうえは、これは全くの朝廷の臣である。だから水戸光圀殿も、我々の主君は今上天皇で、将軍はただの旗頭に過ぎないと言われたくらいだ。」

 水戸徳川家では、「もし徳川宗家と朝廷との間に戦が起きたならば躊躇うことなく帝を奉ぜよ」という家訓が代々残されておりました。

 このように、艮(うしとら)の水戸徳川家には、第六天魔王信長の息吹が代々残されておりました。

 これは御三家であっても水戸藩からは決して将軍は出さず、その代わりに副将軍は代々水戸藩から出す。という不文律とも合致します。水戸徳川家とは、決してオモテには出ることのない、艮の要(うしとらのかなめ)でありました。

 それは決してオモテにでない第六天魔王そのものであります。



徳川体制のリセットボタン

 さて、そんな徳川体制でありますが、終焉を迎える時代が来ます。神武2500年以来の大事件が日本を襲います。
 この国難に際し、再び南朝の天子様が表舞台に立つこととなりました。その時、水戸藩出身の人物が徳川宗家の将軍となります。裏葵(うらあおい)が江戸に入り表葵(おもてあおい)となります。裏と表が合わさって、プラスマイナスゼロ。キレイにクリア(消滅)されます。
 260年前に天海僧正が仕込んでおいた、陰陽のリセットボタンでありました。

 それは徳川幕府が滅ぶというリセットボタンというよりは、朝廷に国体をお返しする。無傷で。というリセットボタンでありました。
 鎌倉幕府であれ室町幕府であれ、いや、世界史のどんな権力体制であれ、滅びる時は無残な衰退の歴史であります。しかし徳川幕府だけは違いました。その成立の時から、艮にリセットボタンが仕込まれていたのでした。それは元々徳川幕府とは朝廷(天皇)を守護するための体制でありましたから。



 当時の欧州ユダヤ資本家たちは朝廷と幕府の内乱を起こし、日本を分断して、他のアジア地域のように、日本も植民地化しようと企てておりましたが、幕府は予想外の無血開城で、国体を南朝の天子様にお返ししたのでした。おかげで日本は欧州の植民地にはなりませんでした。

 艮の要石水戸藩とは、信長(第六天魔王)→家康・天海僧正→水戸徳川家(第六天魔王)によって受け継がれたリセット装置でありました。



つづく



 ありがとうございます。





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コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
凄いです!! (東京端っ子)
2017-06-14 11:21:24
読んでてサブイボがぁ~~&総毛立ちです。(~_~;)
 
 
 
有難う御座います。 (Unknown)
2017-06-14 11:59:59
まるぞう様 毎日拝読させて頂いております。誠に有難う御座います。「表葵と裏葵」・・・存じませんでした
視点を変えると、見える風景がまるっきり違うことを改めて感じました。色々お教え頂けて嬉しいです。
今後とも楽しみに拝読させて頂きます。
毎日の御更新、厚く御礼申し上げます。
 
 
 
凄い (まーくん)
2017-06-14 12:17:48
そういえば、明治天皇のご尊顔はキヨソーネの肖像画というよりも、西郷隆盛銅像にそっくりだと聞いたことがありますけど、こちらの方なのかな?と妄想しますね。
この辺りのまるぞうさんの妄想が聞きたいですね。
https://ameblo.jp/himetoatomu/entry-12089205286.html

今日も凄い話、楽しませてもらいました。
浅読みかもしれませんが、明治維新で不可解な死を遂げた者とは国体護持に反する思想だったのかなと思いました。
ゆっくり時間が作れたら、勉強してみます。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-06-14 12:31:23
知らないことばかりで、びっくりです。本家以外でおもしろサイト、ためになる、参考サイトがあれば教えてください。これからの展開が楽しみです。どうもありがとうございます。
 
 
 
全部仕掛けだったんですね (Unknown)
2017-06-14 13:04:53
皇室と日本の国を守るための。すごいな~。
今は、かつての尊いお方の呪詛の言葉通りの危機が訪れていますね。 悠仁様の時代まで、日本はなんとか無事に乗り越えていけるといいんですが。
 
 
 
Unknown (気になって。。。)
2017-06-14 13:06:35
すみません、天海と聞くと、以前テレビで春風亭小朝さんが、前世が天海だとか・・・っていうのを見たことがあり、元嫁さんとかが頭にちらついて、ブログの内容が入りにくいです(>_<)

事実かどうかわかりませんが。。。

 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-06-14 14:01:45
徳川様、水戸様、ありがとうございます。
 
 
 
Unknown (tch)
2017-06-14 14:03:14
歴史好きにはたまらない物語ですね。日本史に興味無い方には???かもですが、当然私は大好物です。真に迫っていると感じます。

たまたま、織田信長の優しい性格を改めて調べていました。残虐非道と言われますが、何千何万の人を虐殺したと記した文書は実は味方を鼓舞したり敵を怯ませるための誇張が多いとか、敵を全滅させる時もできるだけ相手が降伏するのを待っていたとか、女性や貧しい人々には特に優しかったどか、生涯の中で何度も裏切り遭うがそのたびに許していた話などなど。
残虐と言われる行いについても考えられるのは、例えば朝倉氏殲滅の理由は、同じ目的を共有する大名だった筈の朝倉が、本来の目的を忘れて織田(朝廷)に背を向けた事でしょう。浅井も同じく。比叡山や一向一揆の掃討は、朝廷への脅威や国体の障害であり、さらには死後の極楽を謳いながら貧しい人々をだまして財産を収奪していた事への罰かもしれません。洗脳されて一揆に加わった人々は気の毒ながら殺すしかなかったでしょう。
財政、時間、兵力や士気、味方の損害、他大名への見せしめ・・・等々を考慮しながら決断していった事だろうと思います。争いの中で死んでいった多くの人々に哀悼を思いつつ、悪者を演じながら命懸けで日本国を再建させた織田信長に感謝を捧げます。
 
 
 
面白いわぁ~ (おみつ)
2017-06-14 14:36:32
凄い…壮大にして説得力がありますね!
まるぞうさんの妄想?も、神がかってきましたね。続きはどうなるのか…そして、その因子は現代において、どんな形で現れることになるのか…。魔王さまは今の時代にどんな形で干渉なさっているのか…。知らない方が幸せな気もしつつ…。(^-^;
 
 
 
Unknown (モモ)
2017-06-14 14:58:13
いつも更新有り難うございます。

今、明治維新前後について、興味が湧いていた時期です。

良ければ日本が植民地にならずにすんだ裏事情を、まるぞうさんの妄想話として聞かせて頂けたら有り難いです。
 
 
 
Unknown (玲玲)
2017-06-14 15:26:53
茨城県民なので、水戸学とか、徳川斉昭公や新撰組の勤皇派とか嫌な部分を見ていたのですが、リセット、陰と言うことに納得しました。

朱子学も勤皇の良い部分をとって、日本国土に分散された部分もあるでしょうし、取り入れた光圀公は陰であることを身を以てしましたのでしょうね。

幕末では、幕政に関与出来なかったことが、昇華されたのでしょうか。

一見の正しさだけじゃない記事に感謝致します。
 
 
 
Unknown (薫風亭奥大道)
2017-06-14 18:49:48
実際には慶喜公はそんな簡単に政権から権力から何からを奉還したわけではありませんけどね。かなりギリギリまで徳川家を中心としての日本の近代化を画策しています。ただそこに、天子様に反逆しようなどと云う意思は全くなかった。ここが要。
会津藩は幕府を守ることを国是としていましたし、孝明天皇に容保公は大変信頼されていましたし、自分たちが賊軍であるなどという意識はまるでなかった。会津に味方した奥羽越諸藩も、薩長などのやり方に「義」を感じる事が出来ず、寧ろとても胡散臭いものを感じたからこそ最終的にああいうことになったのであって、天子様に弓を向ける意図などは微塵もなかったのだ、ということは、強く強く、強く申し上げておきます。
若しも彼らを傷
つけるような発言が少しでもあったなら、いかにまるぞうさんであろうと許しませんので(笑)そこは重ねて申し上げます。

不掲載結構。
 
 
 
家紋 (Unknown)
2017-06-14 22:00:22
まるぞうさん、記事を読んで身震いしましたよ。徳川家と徳川三戸藩の家紋です。
表裏一体になっていたとは。そして水戸の仕掛け。出来すぎですよね。
葵のご紋は、もともと京都・賀茂神社の神紋です。二葉葵の神紋をモチーフに三つ葉葵にされたのは、松平家、本多家、伊那家、島田家といった賀茂神社に縁ある家系の所だと言われています。
家康公も元は、松平姓でしたか。言わずと知れた賀茂神社は、ご皇室を守護する神社です。ヤタガラスの一族がおわすという。
現代と違って、武家時代は家紋に意味を込めたのでしょうね。見る者が見れば、解る様に…。
まるぞうさんの脳内考察という事で、多少オカルト色もあるかもですが、私には、本当にそうかも知れないと思えました。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-06-14 22:21:12
とある方のブログで2019年にアルものが日本に落ち、国民が怒り、ナニかを一掃とありますた。
ご皇室にも少なからず絡むと思っております。
 
 
 
連投すみません。 (玲玲)
2017-06-15 07:39:33
よく誰も悪くなかった、ってお話がありましたが、歴史を見て失敗だったとか、政権が悪かった、とか言えても、結局全体責任ではずっとあったんですよね。
こんなことを書くのも、自分に起こる喜怒哀楽に翻弄されてるからなのですが、怒り悲しみが起きる、生に感謝しなきゃなんです。私。

水戸の慶喜さんが、将軍には本当はなりたくなかったんじゃないか、と思います。水戸の父上、斉昭さんには、御三家ながら、幕政に関与出来ずに外様のような追いやられた負の想いがそうさせたような気もします。
養子に出されて、優秀だからって、優秀だからこそ、この時代背景分かったら、将軍になるのなんて大変なことは分かっていた筈。

まるぞうさんが描く背景は、日本国体そのものの背景ですが、その中で1人1人が宿命の中で散っていったのですね。

私達が頑張らなくては、本当はいけない。
 
 
 
息栖神社 (73)
2017-06-15 08:58:34
茨城県の神栖市にある神社です。
何年か前に香取神宮に参拝に行った時にタクシーの運転手さんから鹿島神宮と香取神宮とそこが有名だよと聞いたことがあります。
アマノトリブネがご祭神です。
飛んで座ると書く名前が茨城県の方にあります。
なんか関わりがある気がします^_^。
 
 
 
Unknown (トキトキ)
2017-06-15 09:54:19
まるぞうさん、いつもありがとうございます。
大変興味深く拝読しました。

皇室と徳川家の陰陽があるなら、
皇室と藤原氏、平氏、鎌倉幕府、も陰陽関係であったと考えるとスッキリ通りますね。
鎌倉時代前後は、源頼朝、義経の兄弟相克(兄が勝ちました)、嫁家の将軍職簒奪も成就していますね。
素晴らしいです。
その法則に照らし合わせると、パターンが分かりますね。
ありがとうございます。
 
 
 
家康の生まれ故郷は岡崎(三河) (Unknown)
2017-06-16 18:06:47
ときどき、こちらのブログを読ませていただいています。
ありがとうございます。

ところで、細かいことで恐縮ですが、家康の生まれ故郷は、尾張ではなく、隣の三河です。
本文の主旨とはあまり関係ないことですみません。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2017-06-17 17:33:25
昨日、家康の生まれ故郷についてコメントした者です。
本文を「尾張とは信長の故郷」と変えられたのですね。
なんだかまるぞうさんと会話が成立したようで、うれしいです!!
ありがとうございます。
まるぞうさんのブログは、ふだんから博識の内容がわかりやすく解説してあって、世間知らずの私には大変重宝しています。
特に、あちらのブログがあまりにもアノ世の話すぎて、理解がむずかしいときに、こちらのブログを覗くと、そういうことか~と理解できます。
もちろん、あちらのブログと関係がないときでも、社会の諸事象を、マスコミやネットの反応だけではどうとらえたらよいかわからないときのための、貴重な参考書となっております。
これからも拝読できるのを楽しみにしております。
 
 
 
薫風亭大道さんへ。 (まる(=・3・=)ぞう)
2017-06-20 16:41:51
>若しも彼らを傷つけるような発言が少しでもあったなら、いかにまるぞうさんであろうと許しませんので(笑)そこは重ねて申し上げます。

この記事は書きながら、薫風亭さんのギロリという視線を感じておりました。笑
この備忘録の文章を書く時には、いつも読者の方の視線を感じます。妄想的間隔ですが。
 
 
 
家康の故郷はさん。 (まる(=・3・=)ぞう)
2017-06-20 16:43:20
尾張ではなく三河であることを教えてくださってありがとうございました。一つ物知りになりました。ありがとうございます。
 
 
 
Unknown (チャメゴン)
2017-06-23 08:35:44
皆がそれぞれ天子様を敬う。ただそれだけの事で、みんな違ってみんないい、と争いも無い世の中になるのに、、、。そんなに甘くないのですね。代々ただひたすら天子様を守護奉る!!
大義のみで生きられました第六天魔王の皆様方に感謝致します。
 
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