経済や景気のことについて、考えるとき、必ず最後に行き着くのは、お金の本質とは何だろうか。人が生きていくことの本質とは何だろうか。という命題です。この本質への問いかけを忘れてしまうと、経済の話は単に「奪う」「奪われる」という損得勘定の話にそれてしまうからです。
私達のような慎ましやかな庶民であっても、逆にエリート中のエリートの財務省官僚であっても日銀のトップであっても、権力を持った政治家でも、そして、ユダヤ系国際資本財閥の幹部であっても、皆同じです。何も変わることはありません。
どんな大金があっても、死ぬ時にあの世に持ち越すことは誰もできません。
あの世に持っていけるとしたら、それは、
①人に与えて喜んでもらった行為
②自分の良心に忠実だった行為
だけではないでしょうか。
たとえどんな大金を稼いだとしても、多くの人から「奪われた〜」「騙された〜」という念と共に集めたお金は、それが大金であればあるほど、大いなる借金になってしまっているのではないでしょうか。魂の借金であります。
もう一つ、考え着きますことは、どんな人生でも、誰でも、必ず足りないように出来ているということです。そしてこれこそが人生の真実なのでありました。
そして、どの分野にどれだけ足りないか。というのは恐らく私達が生まれて来る時に自分で決めて来たことかもしれません。
恐らく、足りないながらも生き切った時に、その生き切った足りない部分が魂の貯金となるのではないかと思います。
たとえば、人生の過不足ない状態を100とします。しかし自分は生まれて来るときに、90しか与えられない人生を選んだとします。10不足する人生です。そしてその足りない部分というのが、自分の魂の試練となります。その試練の中で、
①人に与えて喜んでもらった行為
②自分の良心に忠実だった行為
を全うすることができると、今回の人生の魂の貯金は10となります。
しかし中にはチャレンジャーの魂もいて、足りない試練を倍の20を選ぶか人もいるかもしれません。いろいろなモノが足りない人生です。お金かもしれませんし、健康かもしれませんし、家族関係かもしれません。それでもその自ら課した試練において、①と②をやりきって、そして20の貯金にチャレンジします。
ひょっとしてもっと厳しい厳しいチャンレンジを自分に課している方もいらっしゃるかもしれません。50の貯金や80の貯金にトライされているかもしれません。そういう方々は、さぞかし厳しい人生であろうかと思います。
さて、景気や経済の話になると、面白いことに、多くの人は「奪う」「奪われる」の視点になってしまいます。本来自分の人生の目的である「与える」という視点と180°逆の思考になるということです。
本当は自分の魂は、この人生の中で、
①人に与えて喜んでもらった行為
②自分の良心に忠実だった行為
を試したかったはずだったのに、そんな事はキレイサッパリ忘れてしまうかの如くです。
話は少し変わりますが、良く経済の専門家が言う言葉があります。「国の借金」です。何でも国民一人当たり800万円という借金があるそうです。この国には。
これはもう本当に大嘘です。「二酸化炭素が地球の温暖化の原因だ。」ぐらいの大嘘です。
一体誰が何のために「日本の国の借金は国民一人あたり800万円ほどに膨らんでいる」なんていう大嘘をマスコミに流しているのでしょう。
日本の財政に関していえば、国の借金と言われているものは、ほぼ国民の資産であります。という解説をもう一度お話したいと思います。その時に忘れては行けないのは、自分たちがこの人生を終えて持っていけるものは、お金ではなく、①と②の行為という魂の貯金だけであるということです。
つづく
ありがとうございます。
※本日は中潮で新月週間ですね。
※本日は中潮で新月週間ですね。
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「誰でも40点足りない」くらいに考えてるんですが、違いますかね~?海と陸地の割合も確かそのくらいだった気が。
お金がありあまる人は、健康や名誉が40点くらい足りない。
健康や家族に恵まれる人は、お金が40点くらい足りない。
名誉のある人は、自由が足りない。。。
そう思うと、誰もうらやましくないし、不平不満なく生きられるような気がしてます。
まるぞうさんは9割満足してる人生なんですかね(^◇^)私も割合増やそうかな。
「お金」とは本当に魔物だとおもいます。
人はお金欲しさに、人殺しもします。保険金殺人など家族も平気で殺してしまいます。
預金が一億あってもまだまだ足りない!と思う人や僅かな預金でも十分と思う人。
お金を前にして人はどう変わるだろうか?自分はどうなのか?いつも問われている気がします。
芸能人が使ってもないのに、「これ、いいですよ。私も使っています!」とブログに書いてメーカーからお金をもらう。
これらはまだ可愛いほうで、某東大医学部教授が製薬会社から4000万の講義料をもらい、患者にとって必要もない薬を色んな学会で医者に熱心に勧め、広める。
これによりどれだけの某患者達が苦しむことになるのだろうか?
医者倫理よりお金ですか?って。びっくりです。
人の人格を試すために「お金」があるのだろうか?
私は
たとえ、お釣りを間違って多くもらっても、
「お釣り多くもらい過ぎですよ」
と、胸をはって言おう。(笑)
上念司氏のYouTube動画を見ていると、彼の語る経済や政治社会動向などの話しが軽快でわかりやすいく面白いのです。だからなんとなくですがマスコミやらが煽るように日本経済ダメだ~と騒いでいるようにしか見えません。
そういえば江戸時代はお金のことを"お足"といっていましたよね。なにやら意味深い言葉だなと改めた思いました。
シリコンスチーマーとか、コンベクションオーブンとか便利なものは沢山出来たのに、中食が増えて、みんな疲れ切ってる。
満員電車の朝はとても、これから働きに行く気力がみんなあるように見えず。
車も昔は乗り合わせることも当たり前だったけど、マイペースに1人1台田舎では所有しています。
今に感謝して、例え無くしても感謝なのですね。
持って行けるのは善行と良心に沿った行為と誰もが納得せざる負えないに、どうしてもっともっとと、もう充分に持っているのにあまなく欲望やお金を追求する人々がいるのか不思議でした、、、。
衣服を千枚持っていても1日に着れる服は1着であり、
どんなにご馳走を用意しても1日に食べられる量は決まっているのに、、と。
全ては陰陽で成り立つ、必ず不足があるこの世界で、
奪うから与える、に全人類が変化する時は来るのか??
7回目の岐路に立つ今、与えるの意味を考えます。
リアル経済の話を 魂とリンクして語る
贈与経済 は稀有とおもいます。(^^)
話はかわりますが、ネコの猫村さんのほしよりこ さんの傑作 「 逢沢りく 」
文春文庫 は凄かったです。
本質的にうるうる。
夏目漱石に「 明暗 」という遺作がありますが、その物語は えんえんと 日常の
ひとごとの些事がつづき なにもおこりません。
でも、かえってそれは 遥か天空の無限遠点からの眼をかんじます。
ほしよりこさんの作品もそれをかんじました。
ゴダールの「軽蔑」にも つよくそれがありますね、ユリシーズ。
記事の 経済の地上性と、魂の贈与のランドスケープを 見下ろしている 気配を
今日の文章でうけとりました。
……
小池百合子さんの健康を
願って。
たとえば、健康で容姿に恵まれ、大企業にお勤めのご主人をもち、高収入でマイホームも建て、子供も成績優秀な人がいたとします。はたから見るともう本当に足りないものはない人生です。100のうち98ぐらいは与えられていると周囲の人は思います。しかし御本人は足りないのは2だけだ。自分は恵まれている。何て思っていないかもしれません。PTAのママ共との人間関係でもう人生は不幸の真っ只中と悩んでいるかもしれません。98も与えられているのに、御本人は実感として10も与えられていないい。自分は何て不幸な人間だろう。と悩み漏電の日々であるかもしれません。
「90しか与えられない」の表現には、そういう(人間の自我への皮肉?)の意図があります。
すぐに社会に実践的な専門学校も大学の授業並の学費です。子供の数が少ないので彼等に求められている事は、将来は少数精鋭で回せる高いポテンシャルの様に思えてくるのです。よって、子供の教育費は大学をピークにずっと右肩上がりに思えます。これはデータでなく実体験としてですが。
日本の人口が理想とされる8000万人位までに落ち着く過渡期の間は、少数精鋭で世の中を回していくことになるのでしょう?
親として子の気持ちに沿ってきた様には思うけれど、私の親の世代ほど「人様に迷惑かけたらいけないよ」とか「誰かの為になることを考えなさい」とか心のテーマを教えられていなかったかも知れないなあと、片手落ちだったことに気付かされたのでした(汗)