華の会

日本文化を考える

宇野千代と桜模様

2005年06月03日 | 文学
「宇野千代展ー書いた、恋した、生きた。」
 「書いた、恋した、生きた」はスタンダールの墓碑銘です。

会期:平成17年4月29日~6月12日
場所:東京・世田谷文学館
年譜:明治31年(1897)11月28日 山口県岩国市生まれ
    平成8年(1996)6月10日 98歳で永眠


世田谷文学館HP宇野千代のページ
http://www.setabun.or.jp/unochiyo.htm
世田谷文学館見学者の感想
http://www.setabun.or.jp/chiyo_report1.htm
宇野千代さんの生家のHP
http://www.joho-yamaguchi.or.jp/mac/040114-unochiyo-seika.htm

宇野さんというと晩年の着物姿を思い浮かべますが
昭和11年6月 39歳の時に、スタイル社を設立して、
日本最初のファツション雑誌「スタイル」を創刊しました。
当時は珍しい、お洒落に関する記事が評判となり、人気がありました。
宇野さん自身もモデルとして雑誌に登場しています。
スタイル社は昭和34年(1959)4月に倒産。
若い頃の洋装の宇野さんも素敵です。
女優の藤真利子さんに面影が似ています。

会場には宇野千代さんが大好きだった
桜模様の和服が沢山展示されていました。

桜に対する宇野さんの文章から、

1、書いた  いくつもの恋
     モデル    作品
   ①父親    「おはん」「風の音」
   ②尾崎士郎 瀬戸内寂聴に「尾崎さんが一番好き」と告白
   ③東郷青児 「色ざんげ」
   ④北原武夫 「刺す」「雨の音」
   ⑤自叙伝  「或る一人の女の話」「生きてゆく私」

「私は夢を見るのが上手」から
いくつもの恋をした。そしてそれと同じ数だけ失恋したのであつた。
いつの場合も経緯は同じであつた。
私の恋は、考へる隙のないほど素早く始まり、そして終はるのであつた。
 好きな人が目の前に現はれると,私は忽ちにして、その人のとりこになり、
前後もなく考へずに行動を開始するのだった。
何を逡巡する事があらう,私はその人の目を真つすぐみて、
「私はあなたが好きです。」と言った。
好きだと言はれて不愉快に思ふ人はゐなかつた。恋は成就した。
             平成4年(1992)「私は夢を見るのが上手」

ファツション雑誌「スタイル」の協力者、北原武夫との出会いから
別れまでの日々をもとに小説「刺す」「雨の音」を書きました。

「雨の音」から
 或るとき、私の作った着物が、世にも美しく染め上ったと思われ、
思わず私はそれを、吉村のいる所へ持って行って、見せないではいられなかった。
「ね、同じ花びらだけを,繰り返して置いたものなのよ。」と説明した。
私が美しいと思ったものが、そのまま吉村にも伝わらない筈がない、
と思ってでもいたのだろうか。
「きれいだね。配色が美しい。」吉村はちらと見て、
さう言ったが、それはただ、隣人の批評でしかなかった。
私はすぐに、そのことを了解した。
                昭和49年(1974)「雨の音」
「刺す」
 私たちの別離は、極く自然に行われた。
秋になって、木の葉がその枝から落ちるのと同じように。
そのことに苦悩があったとしても、それは木の葉の枝から離れる瞬間の、
あの、微かな痛みに似たものであった。
             昭和41年(1966)「刺す」より

2、恋した   桜模様

「私は夢を見るのが上手」
 私は桜が大好きである。その単純明快な形が好きである。
いつのまにか私の本はさくらの装丁が多くなった。
又,私のデザインする着物,ハンカチ,陶器も、桜の模様が特徴になつてゐる。
 さくらの単純明快な形が、その組み合わせによって、
さまざまな表情を生み出す面白さ、その美しさ、
そこに私は尽きることのない魅力を感じるのである。
              平成4年(1992)「私は夢を見るのが上手」

3、生きた  「根尾村の薄墨桜」
http://www.mirai.ne.jp/~hasegawa/usuzumi/

宇野さんは昭和42年、小林秀雄の紹介で
岐阜県根尾村に「薄墨の桜」を見に行きました。
その頃の薄墨桜は枝が二つに裂け、見るも無残な姿でした。
それを見た宇野さんは何とかして、桜を助けたいと、
桜の惨めな姿を本に書いたり、色々な人に相談しました。
やがて、沢山の人々で桜を守るための協力体制ができ、
薄墨桜は再び美しい姿に生まれ変わりました。
その後、映画監督の羽田澄子さんが「薄墨桜」の
記録映画を撮りました。

「薄墨の桜」
 春の日には珍しく、雲ひとつない青空の下でした。
私たちは思わずそこに立停まりました。枝はのびのびと拡がっていました。
どの小枝の先にもぎっしりと、薄墨色の花がもぶれついて、
二反歩の空間を埋め尽くしている壮観は,見事でした。
それはあの、老婆の非業の死によって、
私たちの念願が勝利をしめした事の、その結果だと言えましょうか。
        昭和50年(1975) 「薄墨の桜」

 おまけ 
① 恋愛するにも「練習」が必要です。

②今、あなたの上にあらわれている能力は
 氷山の一角 真の能力は、水中深く深く隠されている。

③幸福は、遠くにあるものでも、
 人が運んでくるものでもない
 自分の心の中にある

④能力というものは
  天与のものではなく
  自分で作るものである

⑤自分の幸福も 人の幸福も 同じように
 念願する境地まで歩いて行きたい

⑥好奇心は人間を生き生きさせる。

⑦一握りの仕合せを求めて、生きるのが人間である。

⑧人生はいつだって、今が最高のときなのです。

⑨この頃、思うんですけどね、
  何だか私 死なないやうな気がするんですよ  
   は は は は は
           宇野千代 95歳

番外 「私は過去を振り返らない、反省するけど、後悔はしない」
        テレビ番組のインタビューで

以上



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