それくらい、今までが張り詰めていたんだ。
顔を洗っているとき、水道水の無機質で更紗のような音が。
「音」として、ちゃんと聴こえた。
久々のちゃんとした仕事をこなして、東京と奈良を行き来した二ヶ月。
優しい言葉も。繰り返される店の有線も。いつの間にか冬から春へと、芽吹いていく季節も。
こころから紡いでいるようでいて、聴いてるようでいて、見ているようでいて。
私は張り詰めていたので、「上手に」生きようとしていたので。
「私」は、五感に知らんぷりだった。
「どこまでも大丈夫。ちゃんと休みだって取れるよ。上手に上手に、こころを調整出来るよ。自己破壊からは脱したよ。ねえ、リハビリは順調だね」と。五感を忘れ乍ら、虚像を見てた。
聴覚は無音を望むくらい。
視覚は瞼の裏を望むくらい。
触感は針を触っても柔らかく。
春の匂いに気付かずに、満開の桜。
舌に張り付いた煙草の味。
疲れきっていた五感に、水が。
さらさらと聴こえた。
狂喜した。
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