荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『悪魔の陽の下で』 モーリス・ピアラ

2013-11-11 10:06:59 | 映画
 「モーリス・ピアラは、日本人の観客にとって、これから発見されるべき未知の映画の巨人といえるでしょう。」という中条省平による上から目線の惹句を読むにつけ、その前段に「私たちは…導かれるはずです」という当事者風の文言が存在するにもかかわらず、すーっとこちらの気分を萎えさせるにはじゅうぶんである。
 それでも私が『悪魔の陽の下で』(1987)をがんばって見直そう(といっても初見時はビデオだったのだが)とするのは、中条の言い付けを律儀になぞってみようとしているからである。これまでの人生で、フランス人たちの口からフランス映画の悪口を耳にタコができるほど聞かされてきたが、不思議とモーリス・ピアラおよびアラン・レネの高い評判だけは揺るがない。その秘密を知りたいではないか。
 とはいえ今回が初見と言っていいほど、ほとんど覚えていなかった。初見当時は重厚な大作だと早合点したが、じつは100分あまりの小品なのである。しかもデタラメなおもしろささえ散見される。主人公・田舎司祭役のジェラール・ドゥパルデューが上司から出張のおつとめを頼まれ、町外れの城門をくぐるフルショットに続き、中途半端なポン寄りになって彼の歩行がパンでフォローされるが、突如として同時録音のONがとぎれてノンモンとなり、アンリ・デュティユーの陰鬱な交響楽(第1番のインテルメッツォ)が鳴り響いたりする、こういう乱暴さにビリビリと痺れてしまう自分がいるのだ(そういえばデュティユーは今年、死にましたね)。
 さらにラスト近く、病死したばかりの幼児がベッドに横たわっていて、ドライヤー『奇跡』よもう一度と言わんばかりにドゥパルデューが幼い遺体を頭上高々と持ち上げてみせる仕草のバカバカしさにも痺れてしまう。ストーリー内容はやせこけた宗教問答で、ベルイマンを見てきた人間からすればもうひとつ物足りないのだが、でもちゃんといいところもあるじゃん、ピアラ。これは確かに、傑作の誉れ高い『ヴァン・ゴッホ』(1991)にも期待が持てる。

 本作は1987年のカンヌ映画祭で第1等のパルム・ドールを受賞したが、2等の特別グランプリはテンギス・アブラゼ『懺悔』、3等の審査員賞はスレイマン・シセ『ひかり』と三國連太郎『親鸞 白い道』の同時受賞であった。そのほかコンペには、W・ヴェンダース『ベルリン 天使の詩』、P・ニューマン『ガラスの動物園』、P・グリーナウェイ『建築家の腹』、B・シュローダー『バーフライ』、F・ロージ『予告された殺人の記録』、E・スコラ『ラ・ファミリア』、N・ミハルコフ『黒い瞳』、S・フリアーズ『ブリック・アップ』、そして今村昌平『女衒 ZEGEN』、ゴダールらのオムニバス映画『アリア』などが出品されている。これを豊作ととるか凶作ととるかは受け手の感性による。私はこれを凶作と見るが、個人的わがままが通るなら『バーフライ』を1等に推したいところである。
 いずれにせよ、以上並べたカンヌのコンペ出品作のことごとくが当たり前のように日本で公開されている。しかも『ベルリン 天使の詩』『建築家の腹』『黒い瞳』あたりは大ヒットもしているわけで、そんな豪気は現代日本ではもうあり得まい。カンヌの基準などどうでもいいというのは山々ではあるが、やはり1980年代は、日本という国の全盛期だったと改めて言わざるを得ない。


シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷金王坂上)ほか全国順次公開
http://www.zaziefilms.com/pialat/


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1 コメント

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ルル (中洲居士)
2013-11-12 09:19:11
おはようございます。

ゆうべ睡眠中に夢を見ました。
同僚か友人かは覚えていないのですが、とにかく旧知の男2人組がわたくしに話しかけてきて、「『悪魔の陽の下』についてブログに書いていたけど、あんたはモーリス・ピアラの『ルル』を見てないだろう? あんなにすごい作品を見てないとはね!」みたいな、あからさまに蔑むような一方的な口調で言って寄こしました。わたくしは「はてな、ピアラに『ルル』なんて作品、あったかな?」と途方に暮れるばかりでした。

かつて日仏学院でピアラ作品は拾っていたと思いますが、『母の死』とかなんとか何本見たのかさえ覚えていない始末で、そういう罪悪感が夢となって立ちのぼったのかもしれません。

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