荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ジョルジュ・バタイユ 著『ヒロシマの人々の物語』

2015-07-15 01:31:32 | 
 広島・長崎への原子爆弾投下からちょうど1年後の1946年8月、「ニューヨーカー」の誌面すべてをあてた掲載というかたちで、ジョン・ハーシーのルポルタージュ「ヒロシマ」が発表された。被爆直後の広島の惨状を世界に初めて知らしめたルポルタージュである。その反響はすさまじく、「ニューヨーカー」は発売から数時間で売り切れてしまった。その後、全米各都市または全世界の新聞が同ルポルタージュを再掲載し、さらにその3ヶ月後には単行本としてベストセラーとなっている。
 フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは、みずから創刊したばかりの月刊誌「クリティック」の1947年1月-2月合併号において、単行本化されたばかりの新刊「ヒロシマ」についての、熱を帯びた書評を掲載した。その採録がこのたび、『ヒロシマの人々の物語』(景文館書店 酒井健 訳)として40年ぶりに新訳で刊行された。

 本書は開口一番、冷酷きわまりない一文で始められる。曰く、「地獄の人口が毎年五千万人の霊魂で増えていることをまずは認めよう。」 …2都市に対する大量殺戮兵器の使用で犠牲となった数十万の生命は、数からいえば地球全体で1年間に自然死する5000万人の一部をなしているという、目を疑う冷酷な統計から始めるのだ。そして人類の素性を呪いつつ、次のように吐き捨てる。「戦争のおぞましさのおかげで人々は原則としてただ震えるばかりになっていたはずなのだが、数々の経験が終わった翌日にはもう、戦争を絶とうという配慮は、かつてないほどに萎えてしまったのだ。」
 バタイユの露悪的表現はつづく。曰く、「ジョン・ハーシーの物語を読みすすめていくと、原子爆弾の途方もない威力のおかげですぐに白蟻の巣の深みへ連れ戻される。」 自分たちに降りかかった未曾有の災厄の何たるかをまったく理解できないままひたすら苦しみ、死んでいった人々の集合を、こともあろうに、退治用のスモークを焚かれた「白蟻の巣」に喩えるというのか! このあまりにもリスクを取った執筆態度に、正直なところ私は背筋が寒くなった。しかし、この露悪的態度が人種差別でも、究極的犠牲の矮小化でもないことが徐々に分かってはくるのだ。
 「谷本」という名の無傷の男性が、倒れている女性を助け起こそうとしている。「かがんでひとりの女性の手を取ると、その手から皮膚がすっぽりと抜け落ち、手袋に似た大きな塊になってしまった。」というジョン・ハーシーの苛烈な文章を読みすすめながら、それでもバタイユは毅然さを失うまい、感傷を捨てなければならないと必死である。そして、このあと、バタイユ思想の重要なタームとなる「至高性」の萌芽が見えてくるのだ。被爆者への哀悼の表現を、ここまで露悪の回路を通過させながら、崇高な地点へと持っていく、バタイユの凝りに凝った思考と、アクロバティックな文のうねりには、ただただ舌を巻かざるを得ない。ところどころ腹を立てながら読んだ本書だが、バタイユの未来の活躍、天才性のありかを(残酷なまでに)かいま見せる、そんな70ページにも満たぬ小冊子である。


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