旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

大笹原神社拝殿

2016年07月25日 | 旅 歴史
 滋賀県野洲市大篠原に大笹原神社があります。
 大笹原神社の拝殿は間口4間、奥行3間、入母屋造り、単層、四方は吹き放しの建物です。手前には石造りの狛犬1対や常夜燈あります。

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篠原神社本殿

2016年07月24日 | 旅 歴史
 滋賀県野洲市大篠原に大笹原神社があります。
 境内にある篠原神社本殿は石凝姥命を祀っています。応永32年(1425)の墨書銘が残されていて、大笹原神社本殿より10年ほど後に建立されています。一間社、春日造り(隅木入り)の建物で、素木(しらき)のごく簡素な社殿です。妻入り向拝があり、井桁の土台上に4本の丸柱を立て、平面は方一間です。高欄付の縁を廻らし、正面には階段を付けています。
 篠原神社本殿は昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。そして、ここには鏡餅造りの神である石凝姥命(いしこりとめ)が祀られています。「餅の宮」とも呼ばれ、鏡餅の元祖になっています。平安時代より「篠原」は宿駅で、ここで取れる餅米は良質で篠原餅として名物になっていたようです。

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大笹原神社本殿

2016年07月23日 | 旅 歴史
 滋賀県野洲市大篠原に大笹原神社があります。
 大笹原神社の本殿は須佐之男神(すさのおのみこと)ほか6神を祀っています。応永21年(1414)、六角氏の家臣であった岩倉城主・馬淵定信によって再建された建物です。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、向拝1間が付いています。
 本殿は出三斗組(でみつどぐみ)と蟇股(かえるまた)で軒を支え、入母屋造りの屋根を乗せています。母屋は内々陣、内陣、外陣の3つに分かれています。蟇股や板扉、透かし彫りの欄間、向拝などにみごとな彫刻が施され、東山文化の様式が色濃く残されています。大笹原神社本殿は明治34年(1901)に国宝に指定されています

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大笹原神社

2016年07月22日 | 旅 歴史
 滋賀県野洲市大篠原に大笹原神社があります。
 大笹原神社は野洲市の東部、国道8号線沿いの大篠原集落から南へ1kmほど入った鏡山の北麓にあります。旧郷社で、平安中期の寛和2年(986)に越知諸実が社領を寄進し、社殿を造営したと伝えられています。
 鎌倉時代の康元元年(1256)、篠原六郎光友が社殿を修復しています。中世に入ると近江の守護大名・佐々木氏の氏神として社領の寄進、社殿の修復が何度も行われました。室町時代には佐々木氏の後裔とされる馬淵氏が庇護しています。
 応永14年(1414)、馬渕定信が社殿を再建しました。現在国宝に指定されている本殿はこの時に建てられたものです。永正13年(1516)には屋根が葺替えられています。明治41年(1908)の一千年祭には佐々木伯爵から寄進を受けています。
 大笹原神社の広い境内には拝殿、本殿のほか、5つの境内社があります。本殿に向かって左手にある篠原神社本殿は応永32(1425)に建てられ、国の重要文化財に指定されています。拝殿の横の庭には寄部(よるべ)の池があります。水不足から御輿を2基沈めて祈願したところ、どんな日照りの時でも水涸れがなくなったといわれています。

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ガリ版伝承館

2016年07月21日 | 旅 歴史
 滋賀県東近江市蒲生岡本町にガリ版伝承館があります。
 堀井新治郎父子は、明治27年(1894)大量に同じ文章を簡単に印刷できる印刷機のガリ版こと「謄写版」を発明しました。ガリ版の発明は明治期の印刷手段の一大革命となり、大学や商社・官庁・新聞・通信社の多くに活用されました。
 平成10年(1998)4月、日本の偉大な発明を後世に伝えていくと共に、温かみのあるガリ版文化にふれてもらおうと、堀井父子の住んでいた本家洋館を「ガリ版伝承館」として開館されました。

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太郎坊宮(阿賀神社)

2016年07月20日 | 旅 歴史
 滋賀県東近江市小脇町に太郎坊宮(阿賀神社)があります。
 太郎坊宮は阿賀神社ともよばれ標高350mの巨岩が露出した赤神山の中腹にあります。約1400年前に創始されたといい伝えられいます。
 勝運・厄除・開運・商売繁盛に御利益があるといわれています。天照皇大神の第一皇子神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀っています。 
 途中に願かけ殿や岩で刻んだ七福神があり、まっすぐのびた石段を登っていくと、古代信仰の名残りをとどめた本殿にたどり着きます。
 本殿の周りには岩座と呼ばれる巨岩、怪石が散在しています。本殿前にある夫婦岩という巨岩は、神力によって左右に開いたといわれています。巨岩信仰の中心となる岩で、この前を嘘つきな人が通ると途端に岩に挟まれてしまうといわれています。
 山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭しました。その修験者の守護神とされたのが「太郎坊の天狗」で、現在も神社の守護神とされています。ちなみに京都鞍馬山の次郎坊のお兄さんです。

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永源寺

2016年07月19日 | 旅 歴史
 滋賀県東近江市永源寺高野町に永源寺があります。
 瑞石山永源寺は愛知川(えちがわ)の右岸にあり、明治13年(1880)に東福寺派より分派し永源寺派となりました。百数十の末寺を統轄する臨済宗永源寺派の総本山であるのです。
 鎌倉時代、寂室元光和尚(じゃくしつげんこうおしょう)が伽藍を建立したのが始まりといわれ、康安元年(1361)、近江国の領守・佐々木氏頼が、伽藍を建て、寂室元光禅師を迎えて開山したそうです。
 寂室の死後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護のもと盛時には2千人もの学僧が集まっておおいに栄えたそうです。その後、兵乱で一時衰えましたが、江戸時代に東福門院により再建され、彦根藩主井伊氏の庇護によって諸堂が整えられました。
 総門をくぐると、左手の少し登った所にがあります。境内には、庫裡・鐘楼・方丈・仏殿・開山堂などが建ち並んでいます。また井伊家の墓も建っています。開山堂には、国の重要文化財に指定されている寂室和尚坐像があります。
 参道一帯には紅葉の名所として多くの人が訪れます。また永源寺はこんにゃく料理でも有名で、開山堂の近くに松尾芭蕉が詠った「こんにゃくのさしみもすこし梅の花 はせを」の句碑も立っています。

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石塔寺

2016年07月18日 | 旅 歴史
 滋賀県東近江市石塔町に石塔寺があります。
 阿育王山(あしょかおうざん)石塔寺(いしどうじ)は、天台宗のお寺です。開基は聖徳太子によると伝えられ、本尊は秘仏の聖(しょう)観世音菩薩です。近江西国三十三箇所観音霊場第二十二番札所でもあります
 本堂の裏山には、インドのアショカ王の造立と伝わる高さ約8mの石造三重塔が立っています。山号の阿育王山はこれに由来しています。
 この塔は奈良時代前期の作で国の重要文化財に指定されています。この石塔は、日本各地にある中世以前の石塔とは全く異なった様式をもつものであり、朝鮮半島の古代の石造物に類似しているということです。
 この周りには何万という数の五輪塔や石仏の群が埋めつくしています。毎年8月末には、「石塔フェスティバル(石塔寺万燈祭)」が開かれ、石塔と石仏に献灯が行なわれそうです。

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信長の館

2016年07月17日 | 旅 歴史
 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺に信長の館があります。
 信長の館は平成6年(1994)にオープンしました。館内には平成4年(1992)に開催されたセビリア万国博覧会に出展された原型の安土城の復元天守が展示されています。5・6階部分の原寸模型で、極彩色と金箔を使った、豪華絢爛な復元模型です。

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石部神社

2016年07月16日 | 旅 歴史
 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に石部神社があります。
 石部神社は摠見寺(そうけんじ)の下にあります。安土城の西門にあたり、百々橋口(どどばしぐち)と呼ばれていました。
 景行天皇21年に吾地(あづち)山に社殿造営されたのが創祀といわれています。橘諸兄、藤原豊成、平時忠の崇敬をあつめてきたそうです。祭神は少彦名命・天照大神・高皇産霊神・大己貴命です。
 天正4年(1576)、織田信長が安土城の築城の際に守護神として奉じ復活させました。安土城とともに本能寺の変のあと焼失しました。

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摠見寺三重塔

2016年07月14日 | 旅 歴史
 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に摠見寺があります。
 摠見寺の三重塔は享徳3年(1454)に湖南市の長寿寺に建立されたものです。棟木に銘があり、天正3年から4年に信長が長寿寺から移建させたものと推察されています。宝形屋根、本瓦葺き、三間三重の塔婆で、総高さ19.7mあります。内部には来迎壁を設け須弥壇が設置されています。初重には盲連子窓があり、各重には中央間に扉口をつけています。初重各面の組物の中備えには蟇股(かえるまた)をいれています。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。

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摠見寺金剛力士像

2016年07月13日 | 旅 歴史
 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に摠見寺があります。
 二王門に安置されている2体の金剛力士像は国の重要文化財に指定されています。金剛力士像の頭部内側には「応仁元年因幡院朝作」の造像銘が残されています。応仁元年(1467)、信長は摠見寺の創建にあたり、この金剛力士像を他の所から持ってこさせた事がわかります。

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摠見寺二王門

2016年07月12日 | Weblog
 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に摠見寺があります。
 二王門は三間一戸の楼門で、入母屋造り、本瓦葺きです。棟木に「元亀二年七月甲賀武士山中俊好建立」とあり、元亀2年(1571)に建てられたことがわかります。二王門は明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。

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摠見寺

2016年07月11日 | 旅 歴史
 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に摠見寺があります。
 遠景山摠見寺(そうけんじ)は安土城跡にある臨済宗妙心寺派のお寺です。天正4年(1576)織田信長が鈴鹿山の江雲寺を移して城郭内に建立しました。安土城跡は摠見寺の私有地になっていて、代々織田家ゆかりの人物が摠見寺住持になっているそうです。
 現在ある大手道の東側の仮本堂は幕末の安政元年(1854)の大火のため移転したものです。信長、信忠の像が祀られています。信長が創建した時には、百々橋(どどばし)から本丸に続く道沿い、二王門や三重塔付近に堂宇を構えていました。
 信長の死後10年たった天正20年(1592)に豊臣秀吉が摠見寺に領地を与え、信長の菩提寺と定めました。以後400年の間、安土城跡二の丸跡地に建てられた信長廟と残された織田一族の菩提を弔ってきました。
 江戸時代後期には22棟の堂宇が残されていたようですが安政元年(1854)の大火により二王門や三重塔、裏門を除く多くの堂宇が焼失しました。二王門と三重塔は国の重要文化財に指定されています。

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安土城跡

2016年07月10日 | 旅 歴史
 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に安土城跡があります。
 安土の町並みの北側、海抜199mのところに安土城跡があります。ここは国の特別史跡に指定されています。
 お城の天守は天主とも書かれ、戦国時代末期までは造られてはいなかったようです。天正4年(1576)織田信長が着手した安土城が最初の天守だといわれています。
 天主は城主の威厳を示しました。信長はより権力を誇示するため金を使った天守閣を造り、自らが神となって旧態の権威をことごとく打ち破る新しい風を示したのです。
 安土城は5層7重で外面は各層が朱・青、白に塗られ、最上層は金色だったといわれています。城内には、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあったそうです。
 当時実際に城を観覧し信長に謁見している宣教師ルイス・フロイスはその様子を次のように記しています。
 ・・・(城の)真中には、彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我ら(ヨーロッパ)の塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。
 この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術で造営された。  事実、内部にあっては、四方の壁に描かれた金(色、その他)色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている。
  外部では、これら(七層)の層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは、日本で用いられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、それがこの上ない美観を呈している。他の(あるもの)は赤く、あるいは青く(塗られており)、最上層はすべて金色となっている。
 この天守は、他のすべての邸宅と同様に、我らがヨーロッパで知るかぎりのもっとも堅牢で華美な瓦で覆われている。それらは青色のように見え、前列(の瓦)にはことごとく金色の丸い取り付け(頭)がある。屋根にはしごく気品のある技巧をこらした形をした雄大な怪人面が置かれている。・・・
 このフロイスが記したように安土城は当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたのです。しかし天正10年(1582)、家臣であった明智光秀か゛信長を討つという本能寺の変のあと焼失、完成後わずか3年で廃城となってしまいました。

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