土でできた大男ゴーレム/デイビッド・ウィスニーウスキー・文絵 まつなみふみこ・訳/新風舎/200年初版
中世のプラハ。
ユダヤ教徒たちは、過ぎ越し?の祭りに、マツォーというパン種を使わないパンを食べる習わしがありました。 そのパンを作るのにこなと水のほかに、キリスト教徒の子どもの血をまぜているといいふらしたものがいて、ユダヤ教徒は、残酷なしうちをうけるようになりました。
ユダヤ教徒は壁で囲ったゲットーのなかに閉じ込められ、法律の保護をうけることもできませんでした。
暴動をおそれたユダヤ教徒の一番上に立つラビは、なんとかしてそれを避けたいと願い、神の啓示をうけて、土から巨大な大男ゴーレムを作り出します。
ゴーレムは、夜の間に<血をまぜたパン>のデマを広めるために人々がしくんだ悪だくみを、すべてくじいてしまいます。
ゴーレムがとらえた人々で監獄がいっぱいになると<血をまぜたパン>が、デマであることに気づく人たちがではじめますが、そのことはユダヤ人を目のかたきにしている人たちを、もっとおこらせることになり、敵たちは暴動をおこそうと、ゲットーつめかけます。
しかし、これをふせいだのもゴーレムでした。
ゴーレムの力をおそれた皇帝は、ユダヤ人の安全を約束する代わりに、ゴーテムを滅ぼしてしまえといいます。
ラビは皇帝のいうとおりにするが、しかしわれわれの安全が脅かされるようなことがあれば、いつでもゴーレムは生き返るといいます。
土に戻されることになったゴーレムは・・・・。
ユダヤ人というと、すぐにナチスのホローコストが思い浮かびますが、中世ヨーロッパのキリスト教世界では異教徒として激しい迫害が行われていたようです。
しかし、7世紀におこったイスラーム教では、ユダヤ教徒はイスラーム世界では啓典の民とされていたので、迫害を受けることはなく、イスラーム各王朝のもとでも基本的には異教徒として人頭税を払えば生活が認められていて、イスラーム教に改宗することを強制されず、信仰と生命・財産を保護されていたといいます。
圧倒的な力をもったなかでは、異教徒にも寛容になれるのでしょうが、力が拮抗するとどうなったでしょうか。
ユダヤ人を調べてみると知らないことばかりです。
これがチェコの昔話というのもよくわかりません・・・。