四季優彩 Annex

身近な自然を中心とした写真ブログです!

大宮鉄道博物館 その2(埼玉県さいたま市 2023.2.20撮影)

2023年03月19日 21時34分11秒 | アート・文化

引き続き、大宮にある鉄道博物館です。

博物館のメイン展示場の車両ステーションの中心にはC57 135号機が鎮座しています。

C57形蒸気機関車は1937年(昭和12年)より製造された旅客列車牽引用の機関車で細いボイラーを持つ美しいフォルムから「貴婦人」とも呼ばれました。

そして、この135号機は1975年(昭和50年)12月14日に国鉄(現 JR)最後のSL旅客列車を牽引しました。

鉄道博物館では転車台の上に置かれており、1日に1回、転車台を回転させるイベントがあります。

C57の周りにもたくさんの車両があります。

懐かしい電車が・・・。

手前から181系、455系、485系電車と一番奥にはED75形電気機関車です。

上越線や東北本線、常磐線などで特急列車や急行列車で活躍した車両たちです。

181系の手前にはブルートレインが・・・。

1958年(昭和33年)に寝台特急「あさかぜ」(東京ー博多)としてデビューした20系客車です。

展示車両はB寝台車のナハネフ22ですが、デビュー当時の最後尾は普通座席車のナハフ20でした。

冷暖房を完備して食堂車を連結した豪華な列車は「走るホテル」と呼ばれました。

B寝台は三段式でベッドの幅は52センチと寝返りも打てない程狭い造りでしたが、当時は特急列車でも非冷房でボックス座席というのも珍しくなかったので、それと比べれば快適だったのでしょう。

私も急行「銀河」(東京ー大阪)に使用されていた際に乗車したことがありますが、狭かったですよ。

その奥にはC51形蒸気機関車があります。

1920年(大正8年)に製造された旅客列車牽引用の機関車でお召し列車や特急「燕」などを牽引した名機です。

続いては世界初の高速列車、新幹線0系です。

1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業時から活躍した車両です。

座席は自由に向きが変えられる転換クロスシートでしたが、構造上リクライニングは出来ませんでした。

懐かしいですね。

続いてはE1系新幹線「Max」です。

1994年(平成6年)に登場した全車二階建ての車両です。

12両編成で座席定員は1235人で現行の車両の1.4倍になりました。

二階の自由席はリクライニングなしの3列シートが左右に並びます。

私も実際に乗ったことがありますが、大人が3人座ると少し窮屈でした。

続いては仕事ステーション内にあるE5系(手前)と400系(奥)です。

E5系は現在、北海道、東北新幹線の「はやぶさ」「はやて」などに使用されています。

トンネル通過時や走行時の空気抵抗を考慮して先端が細長いのが特徴です。

400系は1992年(平成4年)に日本初のミニ新幹線(在来線併用線)として開業した山形新幹線(福島ー山形間)に使われた車両です。

東京から福島までは東北新幹線と併結して福島で切り離されて運行されます。

最後は車両ステーションに戻ります。

コキ50000形コンテナ貨車です。

手前は懐かしい国鉄時代のコンテナです。

「戸口から戸口へ」とキャッチフレーズが懐かしいです。

貨物駅でトラックにコンテナを乗せ替えて目的地まで荷物を運んでいました。

当時は宅配便もはく、郵便小包くらいしかない時代には便利なシステムでした。

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大宮鉄道博物館 その1(埼玉県さいたま市 2023.2.20撮影)

2023年03月18日 23時52分39秒 | アート・文化

先日、約8年ぶりに大宮にある鉄道博物館へ行ってきました。

「鉄道博物館」はJR東日本が運営する博物館で日本鉄道史に残る貴重な車両や資料が見られます。

入口を入るとお召し列車牽引機のEF58 61号機(電気機関車)がお出迎え!

メインの車両ステーション(車両展示室)に入ると鉄道記念物の150型蒸気機関車(1号機関車)が見られます。

1871年にイギリスで製造され明治5年(1872年)に新橋(現 汐留)ー横浜(現 桜木町)間で日本初の鉄道が開業した際に使用された機関車です。

国の重要文化財にも指定されている貴重な車両です。

その向かいには昭和5年(1930年)に製造された一等展望車のマイテ39が展示されています。

戦前に東京ー下関間を走った特急「富士」や東京ー神戸間を走った特急「つばめ(燕)」などの最後尾を飾った由緒ある車両です。

車内は桃山様式の豪華な内装となっております。

現在のグリーン車が当時の二等車に当たり、普通車は三等車となります。

因みに昭和初期の三等車の車内(オハ31)がこちらです。

一等車を現在に例えるなら新幹線のグランクラスになりますが、当時の一等車は敷居が高く、お金さえあれば誰でも乗れる様な物ではなかったそうです。

因みに一等車の料金は三等車の3倍したそうです。

続いてはEF55(電気機関車)です。

東海道線の特急列車牽引用として昭和11年(1936年)に製造された電気機関車です。

当時流行していた流線型を取り入れた特徴的な車体で、流線型なのは片側だけのため、折り返しの際は電気機関車のくせに転車台などで方向転換をしていました。

それが不便だった様で後に反対側にも本格的な運転台とヘッドライトが設置されました。

晩年はムーミンと言う愛称で親しまれました。

続いては1880年に製造された7100形蒸気機関車です。

北海道で最初に開業した幌内鉄道で活躍しました。

アメリカで製造された機関車で同時期にイギリスで造られた150型と全く異なったデザインとなっています。

この機関車には「弁慶号」と言う愛称がつけられており、他にも同型の機関車に「義経号」、「静号」、「光圀号」、「比羅夫号」、「信廣」の愛称がつけられたそうです。

最後は7100型蒸気機関車の相棒の「開拓使号」ことコトク5010形客車です。

7100型と同様に1880年にアメリカで製造されました。

当時の車両としてはモダンな造りで進行方向に向きが変えられる転換クロスシートを採用しており、当時の客車には殆ど無かったトイレも装備されています。

 

 

 

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都市農業公園で梅の木染めを体験

2017年02月15日 00時10分21秒 | アート・文化

足立区都市農業公園で下の娘と梅の木染めの体験イベントに参加しました。

先ずは牛乳(豆乳でも可)に浸して乾かした手拭を輪ゴムで縛って模様の下地を作ります。

次に砕いた梅の枝の入ったお湯の中に入れ20分間煮込みます。

煮込んだ後にミョウバンを溶かした水に浸して色を定着させます。

そして、お湯に入れて5分間煮込みます。

輪ゴムを取って水洗いをしたら出来上がりです。

輪ゴムで縛った部分だけ染まらず模様として残ります。

絞り染めの技法です。

草木染は梅に限らず、いろいろな植物で出来るそうです。

最後はフクジュソウです。

としのうでも沢山咲きました。

赤塚植物園よりウメは早く咲きますが、フクジュソウは赤塚植物園より遅いのです。

としのうは赤塚植物園に比べて日当たりが良いのでウメは早く咲きますが、川沿いにあり赤塚植物園より冷え込むため、地面の温度が低く、フクジュソウが咲くのが遅いのだと思います。

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鉄道博物館開園

2007年10月14日 22時54分02秒 | アート・文化

鉄道記念日の10月14日にさいたま市の大宮に鉄道博物館がオープンしました。

鉄道博物館は昨年の5月14日に閉園した交通博物館の展示物や新たに加わった車両や資料を展示した博物館です。交通博物館も鉄道をメインとしていましたが、乗り物全般を対象していたのに対して、鉄道博物館は鉄道に特化しています。

ここには日本鉄道史上で貴重な車両や資料が沢山あって、鉄道の歴史や しくみなどを知ることができます。昔懐かしい車両などもあって、鉄道ファンのみならず、一般の人たちも楽しめる施設だと思います。

旅好き、鉄道好きの私も是非行ってみたいと思っておりますが、オープン当初は混雑すると思いますので、暫く経ってから行ってみたいと思っております。

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石景山遊楽園にディズニーが待った!

2007年05月12日 00時37分00秒 | アート・文化

ウォルト・ディズニー社が中国の国営遊園地「石景山遊楽園」を著作権侵害の疑いで北京市版権局に告発したそうです。「石景山遊楽園」はテレビなどでも取り上げられ、ディズニーランドのパクリ遊園地として話題になっていましたが、やはりディズニーから待ったがかかりました。

テレビなどで紹介されている映像を見ましたが、一目瞭然でディズニーランドのマネをしていると言うのが分ります。中には「ドラえもんもどき」や「キティもどき」も居ましたけど、どれも酷いレベルですよね。かなり胡散臭くて笑ってしまいました。ショーのレベルも酷かったです。

正直なところ、「石景山遊楽園」がディズニーランドの存在を脅かすレベルの物とは思えませんが、ここまで大胆にパクられると黙ってもいられないでしょう。テレビの取材でキティをパクられたサンリオも調査していると言っていました。

日本人と中国人では根本的に思想や文化、人間性などが違いますので、一概に比較することは出来ませんが、かつての日本も外国の物をパクっていた時代がありました。歴史上でも卑弥呼の時代から中国や朝鮮の文化を取り入れ、信長の時代にはポルトガルなどのヨーロッパの文化を取り入れ、明治の文明開化の時代には盛んに西洋のマネ事をしていました。

日本の産業も外国製品のコピーから始まり、次第に日本独自のオリジナル商品へと発展して行った経緯がありますから、パクると言うことを全否定することは出来ないと思います。マネをされると言う事は良い物だと認められていると言う事ですし、他の国からマネされる立場になったということは喜ぶべきことかも知れませんね。

マネも程々なら良しとしたいところです。著作権や特許、意匠などを侵害するようなことは駄目ですが・・・。

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キャノンもフィルムカメラの開発を凍結!

2006年05月26日 23時58分21秒 | アート・文化

キャノンもフィルムカメラの開発を凍結する言う発表をしました。ニコンに引き続きキャノンまでが・・・と言った感じです。

確かにデジカメの進歩は著しいものがあって、誰でも簡単に撮れるようになりましたが、1枚の写真を1つの作品として見ると、フィルムで撮った写真の方が重みがあるのです。写真の持つ色彩や質感はデジタルでは出せないものがあります。

写真と言う1つの文化を担うべき老舗カメラメーカーが次々とフィルムカメラから撤退していく様子を見ていると、とても寂しい気持ちになります。儲からない物は即撤退!という傾向が強く感じられます。

デジカメは便利ではありますが、カメラというよりは電気製品と言った感じで、そのもの自体への魅力があまり感じられないような気がします。新製品も2、3年すると時代遅れになって、新しい物へ買い換えて・・・と言った具合にカメラも単なる使い捨ての道具になってしまうのでしょうか?

_030_1 それに比べてフィルムカメラという物は技術的には既に完成されているので、古いカメラでも同じように写真が撮れるのです。

私の持っているキャノンのカメラですが、どれも20年以上前のカメラです。左前の「F-1(前期)」なんかは40年近く前のカメラなのです。最近はミノルタの「αー7」(このカメラも製造中止です!)を使っていますが、5年前まではメインで使っていました。

これらのカメラは今のデジカメとは比べ物にならないくらい作りも重厚ですし、存在感もあります。手に取ると ずしりとした重みがあって、 ちょっとやそっとでは壊れません。

こんな素晴らしいカメラを製造していたメーカーがフィルムカメラの開発を凍結してしまうのは本当に残念なことです。

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ひな祭り

2006年03月03日 22時58分27秒 | アート・文化

_001 今日はひな祭りなので、会社の帰りに桜餅を買って来ました。

ちょうど仕事が忙しくて8時頃まで残業をしたので、目黒の駅ビルで買って来ました。

_002_1

流石に8時にもなると殆どのお店で桜餅は売り切れでしたが、ちょうど追加で出来上がってきたものを買うことが出来ました。

買って来たのは本高砂屋のもので、とても美味しかったです。娘も桜餅を半分と草餅を1つと二色団子を1本食べました。散らし寿司も結構食べたそうで、凄い食欲です。

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SSP懇親会

2005年06月12日 23時24分56秒 | アート・文化

今日は日本自然科学写真協会(SSP)の懇親会に参加してきました。午後3時まではSSP展の会場係の当番を務め、夕方から懇親会でしたので、そのまま市ヶ谷の会場に移動しました。
SSPには著名な写真家も多数入会しており、総会にもその筋では有名な人達が結構参加していますので、その人達の話を聞くだけでも結構勉強になります。
その中でもタンチョウ写真の第一人者である林田恒夫さんとお話をする機会があったので、今日は参加して本当に良かったです。林田さんは旧千円札の裏にあるタンチョウの写真を撮った方で、最初にタンチョウの写真を撮り始めた大変有名な方です。先日のNHKプロジェクトX「釧路湿原カムイの鳥舞え」の時にもゲスト出演していました。
林田さんは釧路に住んでいらっしゃるので、今まで懇親会には参加されてませんでしたが、今回は参加していたのでびっくりしました。短い時間ですが、千円札に関するエピソードなど興味深い話を聞くことが出来て良かったです。
何せこの林田さんがいらっしゃらなければ、私もタンチョウの写真を撮っていなかったかも知れないくらい影響を受けた人ですので・・・。

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