何から書こうかな。
私が事務局に入って間もなくして、このブログを開設してもらいました。
日々の事務局での出来事や、私自身のことを掲載して、
会員さんたちとの接点にしたいなと思ったことと
一般の方が、劇場のことを親近感もってくれたら嬉しいなと思ったことがきっかけでした。
劇場に入会する半年ほど前
当時、2才と6才の娘達と、夫とともに奈良県から引っ越してきた時
知り合いが1人もいない状況でした。
今でも覚えているのは、長女の幼稚園のお迎えのために
教室前で列になっているお母さんと一緒に並んでいると
私の前に並んでいる人たちは喋っていて
私の後ろに並んでいる人たちも喋っていて
私だけがちょうど真ん中でポツンと、2才の次女の手をひいて佇んでいました。
誰も知り合いがいないというのは
とても孤独なんですね。
もちろん、みんな私に意地悪しているわけでも何でもなく、
越してきてすぐの話で
だんだん知り合いも増えていくのですが
この当時のことを、私は今でも忘れることがありません。
人は誰でもそんな気持ちになることがあると思うのです。
寂しいとか。孤独って、とても寒いんですよね。
心地よいひとりならいいのだけど、居心地の悪いひとりはつらいこともあります。
だから、もしどこかでそんな想いを抱えているお母さんがいたら
なんだか、そわそわして話しかけずにはいられない衝動になります。
こっちにおいでよって。
子どももそうです。
1人ぽつんとしている子がとても気になります。
娘がそんなタイプだということもあるのかもしれません。
幼いときからマイペ-ス。人に合わせることが苦手。
自分から友達を作ることがなかなか出来ない。
女の子特有のグル-プ同士のごちゃごちゃに巻き込まれたときは決定的で
だったらひとりで本を読んでいる方がいいから1人でいると
教室で1人で過ごすと
平気な顔して言われてオロオロしていた私です。
もうひとりの娘は真逆で、誰ともでも仲良くなって友達も多いけれど
言葉足らずで誤解も多かったり・・・
今なら、一人ひとりの個性と受け止めることが出来るのですが
当時の私は、みんなと同じでいてほしいと願っていました。
なんでもいいから、みんなと同じようにしてくれていればいい。
・・・同じとか、普通とか
そんなことが大人になって何になるのかと今は思います。
感謝する気持ちや、敬う気持ち、人として大事にしてほしいことは
当たり前にも持っていてほしいし
協調性は大事だけれど、
無理やり自分を偽って
合わない誰かと一緒にいなくてもいいと思うし
思ってもいないことを口にする必要はないと
そんな言葉が当時はなかなか出てこなかったのです。
実際に、わが子だけでなく
笑顔の裏での冷めた考えなどを多くの子ども達が持っていることや
声に出来ていない心の奥の本当の声があること
大人が見ている子ども達の世界は
切り取ったほんの一部分での表面でしか見えていないんだなと。
彼らはもっと複雑で、もっと繊細なんだということが
劇場の中で大勢の人々と関わっていく中で、
少しずつわかっていき
親として、大人として、人として、私も成長していくことができました。
実際に娘は、小中高時代とはうって変わって
個性的な友人達が集う美容学校で
今とてものびのびと楽しく人生を送っています。
そんな日常と合間って
親だから小さなことも悩むし、大人だから世間体も考えるけど
本当に大切なことを見過ごさなければ
子どもも大人も
だいじょうぶだよ。だいじょうぶだよって
劇場で一緒に育ちあっていけたらいいなと
事務局のドアが開くたびに
電話がなるたびに
そんな思いであの席にいました。
事務局に入る前
縁あって劇場の会員になって
楽しいだけで過ごしてきて
出来る範囲でよいからと、あっという間にブロック委員になり、
ブロック長になり、様々な実行委員を引き受け、そして理事になり・・・
会員数が激減している劇場での打開策を話し合ううちに
当時の理事長から、劇場がなくなってもいいの?という言葉と共に
尊敬する2人の事務局のKさん。Sさんと入れ替わることになりました。
会員さんたちからの人望厚い2人と入れ替わることの不安もさることながら
何が自分に出来るのかが、全くわからず戸惑う毎日。
まずとにかく当時の会員さん約500人を覚えることから始めましたが
顔がわからない会員さんへの連絡
今では、ほとんどの方とメ-ルでやりとりができますが
当時はまだまだ、℡とファックスでのやりとり。
電話をかける時間も人によって変えなければいけないことで
日中、相手にとって失礼な時間にかけてしまい怒られたこともあります。
相手とのつながりがないと、言葉ひとつに何時間も悩むこともざらで
事務局時間内でやるべき仕事が終ることはなく、
ほぼ毎日 重い書類を抱えて自宅で宿題をするのが常でした。
相手とのつながりが出来て、関係性ができると
この仕事はどんどん楽しくなっていきます。
逆を言えば、それがないと事務手続きだけになってしまうのです。
どうしたら関係が生まれるのか、毎日それだけを考え
1枚、1枚の手書きの手紙やFAXを書くこと
ひとつひとつのブロック会、時にはサ-クル会にも
顔を出させてもらって
休みも返上して、ひたすら機会を探っていくことの繰り返しでした。
人との関係性の中で、ぶつかり合うこともたくさんありました。
夢中で過ごしていく中で
決して器用ではない私は
自分が楽しい。わが子が楽しいがまず1番の基本で笑っていたのが
ある日、笑えなくなっている自分に気がついて愕然としたこともありました。
仕事としていなかったいち会員だった自分は純粋に劇場が楽しくて
でも仕事としている今の自分は何をやりたかったんだろうと
もう無理かもしれないと、足元が見えなくってわからなくなったとき
そんな自分をおし留めてくれたのは
大垣に越してきて感じたあの孤独感を消してくれた
劇場での仲間とのふれあいや
娘たちのことも含め
育ちあう大切さを教えてくれた時間でした。
昔の自分がかいた記事を読み返すと
バカなことやってるな~とか
何やってんだよ~とか思いますが
とっても楽しそうです。
事務局として何も出来ませんでしたが
私はとっても幸せでした。
長々とした文章で申し訳ないです。
ご報告です。
2013年の年末をもって事務局を退職しました。
9年前の自分と重なりますが
これからは、私のかわりに私よりも若く
私よりもかわいい(?)しょうちゃんをよろしくお願いします(笑)
青年の域の彼女にとったら、社会人としても、人との付き合いを学ぶことも
全てが一からです。
劇場で仕事をしたいと言ってくれた彼女の気持ちと存在を
みんなで大切にしていこうと1年前から動いてきました。
ゆっくりゆっくり長い目でお願いします。
そして、この人が変わらずどんと構えてくれているから大垣おやこ劇場が
存在し続けているといっても過言ではない。局長のことも、よろしくお願いします。
弱音をはけない人だけど、本当はたくさん背負ってしまうので、みんな本当によろしくね。
今の劇場を作ってくれた人たち
つながりを持ってくれている人たち
たくさんの人に感謝です。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
新しくかわっていく事務局のことを
これからもよろしくお願いいたします。
私も理事として大好きな劇場を見守っていきます。
このブログは歴史が掲載されているので残しておいてもらいます。
今後は新しい気まぐれ日誌をごらんください。
平成26年1月9日 美人事務局員だった たけちゃんより(美人は継続中)