ナマケモノ五感録

イギリス人の相方とバンコクに在住。備忘に美貌、駄洒落にスラング、映画から旅のこぼれ話までアンテナの赴くままに綴ります

最近の「ザ・癒し」

2010-06-01 | 日記
ある週末、リラックスするためにビーチに行った。
遠浅の海で泳ぎ、日光浴。おいしい魚を食べて、ビーチでマッサージをしてもらった。
それなのに、なんだか何かが判然としないまま都会の住みかに戻ってきた。

翌週、労働許可証とビザ申請のために入国管理局へ向かった。
そして文字どおり丸二日間、朝から晩まで、いかにも無機質な場所で時を過ごした。
でも心はひだというひだから洗われて、すっかり癒されて帰ってきたのである。

わたしの心を軽くしたのは、「場所」じゃなかった。
それは1冊の本。よしもとばなな著『なんくるない』。

心の動きを表層に押し出しながらも、詩的な美しさを失っていない文章。
ひとつひとつの言葉が織りなす丁寧で豊かな表現に、読んでいていちいち心が洗われる。
登場人物の気持ちが自分のものと呼応して、(限りある)胸という胸がガシッと掴まれる。
物語の展開にぐいぐい引っ張られて胸が躍るような面白い本は山ほどあるけれど、
一文一文をいつまでも噛みしめていたいと思えるようなものって、滅多にないのだった。

わたしもこう言いたかった、そんな風に感じてた、こう表現したかったんだ…
物語の面白さもさることながら、心情表現のピンポイント具合がすごくて、読み進めている間、
背中の本当にかゆいところだけに手が届いている感じで気持ちよかったのなんのって。

混雑して人々のストレスが絶えず吐かれているような場所で、わたしは何度も涙した。
7時間も待たされたけれど、その時のわたしにはむしろ有難かったくらい。
ひさしぶりにすっかり自分を取り戻した感覚を得て、まさに「ザ・癒し」だった。

なんとなくみんなが言うように、疲れたら海に行けばいいような気がしてた。
そうすれば元気が勝手にチャージされて、心も体も満タン!
でも実はそうじゃないんだった。
そうじゃないってことはどこかでわかっていたのだけれど、
頭と心の間をふらふらと浮遊していて、言葉にできるほどじゃなかった。

こういう時はこうしなくちゃと、いつの間にか定型に振り回されてる自分がいたのだ。
空間がどうであれ、いい本、いい言葉にこんなにも救われることがあるんだってことに、
心の神秘を感じた。本当に。心は自由なんだってこと。

それにこの本は、妹が適当に見繕って持ってきてくれた古本のなかの1冊で、
ランダムにわたしの元に運ばれてきたものだった。
表紙を描いたのがタイ人のウィスット・ポンニミットくん(年上だけど)だったのも、
わたしにはよき奇遇に思えて仕方なかった。
彼はちょっと前まで、わたしの好きな雑誌『ビッグイシュー』にマンガを連載していたのだ。

休暇を取ってまとまった時間を自由に過ごしたり、
外界の刺激に身をさらしたりすることで癒されることだってもちろんある。それも大事。
でも、「そうしなきゃ何も変わらないんだ」という変な呪縛から解き放たれたことは、
わたしにとってものすんごく大きな収穫だった。
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バンコクのニオイ・カタチ・オト

2010-05-12 | 日記
3月末、でも限りなく4月1日に近かった。
バンコクのスワンナプーム国際空港に降り立って、深呼吸。
…ん?この匂い、なんだっけ?あれだよあれ、タイ米!
興奮して「気づき」を報告するわたしに、来タイ4回目だかの相方は「そうかね(それより眠い)」みたいなボンヤリした反応を向けた。

あれから約1ヵ月経って、初タイ体験の妹がやってきた。
「なんかさ、この空港、タイ料理の匂いがする」
イギリス人である相方には、米の匂いってのは感じ取るには微かすぎるのかもしれない。
しかし街中を歩けば、さすがの彼も、いろんなニオイに気づかざるを得ない。

とにかくバンコクは、嗅覚が刺激される街だと思う。
通りには屋台のような店も毎日、朝から晩まで出ているし、レストランも扉がなくインドアというよりほぼアウトドアに近いところが多い。
匂いがするのは当然かもしれない。にしても。
ライムを使ったヤムの酸っぱい匂い、パクチー、バジル、そういう野菜とかハーブとか、魚だとかカエルだとかいったあらゆる食べ物の匂いだけじゃない。
排気ガスや道端のよどんだ臭いなんかも、容赦なく鼻を攻めたてる。

電車。ここも夕方などは難関と化す。
「これからの制汗剤の販売ターゲットはオジサン層なのでは?」と相方に同意を求めた。
時折クールなふりをするこの人、「どの国でもオジサンは制汗剤なんてつけないでしょ」と一蹴。
今後、立派なオジサンになるであろう彼は毎朝、せっせと制汗剤をつけている。
未来のオジサン層に期待が高まる。

所変われば、人の容姿も変わる。
女である私は女性をよく見てしまうけれど(私が男でもそうだろうけど)、街中で見かける女性はたいていスリム。
そしてなにより、足が長くて美しい人が多い(この場合、「美しい」は足を形容する)。
カモシカのようにちょっと筋肉質で、まっすぐな足。
これはどうしたことだろう?
同じ農耕民族であるはずなのに。頭を抱えてしまう。

あ、次の駅は…「サターニートンパイ、ナーナー(あくまで私の耳に聞こえるアナウンス)」
ナーナー駅だね。なーなー、なぁなぁ。
「サワディーカー」「コップンカー」のオンパレードな私がよく真似するのがコレ、電車内のアナウンス。
子どもにかえった気分になる。実際、金髪の男の子が「ナーナー、ナーナー」と、さも愉快げに繰り返していた。

初めて居住する異国で、初めて学ぶこと。感じること。
まだまだいたって外面的で、新参者の視線で眺めている。

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今日の1曲♪
Jevetta Steele 『Calling You』
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今日の1冊#
下川裕治 『タイ語の本音』
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ブログ書き初め

2010-01-26 | 日記
わたしはよく、シャワー浴びながら夢想する。
ヘンなことじゃないですよ。
あの子にこういう手紙を書こう、
あの人に電話したらこんなこと話そう、
ブログにはこれこれこうしてこうなったことを書こう、などと。
…そして、日々は過ぎていくのです。
届かない想いばかり。でもないか。

備忘録なら、もっと軽いタッチで日々のことを書いていこう。
それが、新年の抱負です。遅すぎる表明。
しかし、お風呂場でつらつらと考えたことを言葉に落とし込む、
これが案外難しいもので。
夢想とはいえ、夢ではないはずなのに、
翌日にはすっぽり抜け出してしまうのです。どこかにある脳の穴から。
不思議なわたしの頭。

自分の色んなことを知っているけど、すべてはわからない。たぶん永遠に。
でも、新しいことを考えると、新しい自分を知ることになったりする。
最近は、いつもはしない指輪のデザインについて考えたり、
人生で一度きり(のはず)の結婚式用の着物やドレスを選んだり。
色んなものを見て、「選択する」ってのがミソなのかしら。
岐路に立ち、選択している。キロで洗濯。
その結果を以前は怖がったり不安に感じたりしたけれど、今なら楽しみに思える。

先日行った、早稲田駅近くの「預言カフェ」。
占いは話半分に聞いてきたわたしだが、
ここの「預言」からは力を預かった感じ。預力(よぢから、よりき、よぱわー)。
『…占いでは無く、語られた言葉はあなたを励まし助けるものであって、
あなたをコントロールするものではありませんし、語られた事柄が無条件で
起こる訳ではありません。…』
これだけ幅をもたせるところがまたよい。
「信じなければ救われない」と言い切るような、
うさんくさい宗教のようなことも一切ない。

ウェイトレスもしているシスターさんが近づいてきて、おもむろに語り出す。
『…広い海の真ん中にあなたがいるんですけれども、どっちの方向に行こうか迷っている。
ですが、私が導きますよと主が言われています。風を吹かせますよ…
あなたが迷いながらもちゃんと進んでいくようにしますと主が言われています。…』

これから海を越えてアジアに引っ越すわたしに、
いきなりのキーワード「海」もさることながら、
今の自分の状況を表すような言葉が次々にあらわれて、
思わず頷いてしまう、わたしの中途半端に長いあご。
ポジティブにすぱすぱと投げかけられる言葉には、
信じるか信じないかは自由だからこそ、胸に響くものがある。

#友だちのブログの素敵なところを拝借して、わたしの「今週の歌」を1曲♪
Muse 『Unnatural Selection』
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これはもう、今週どころか12日のライブ前から今日までガンガン聴いている、
彼らのアルバム「The Resistance」からの1曲です。
武道館のライブは最高だった〜!あと2時間あったらな。
もしくは演奏後はクラブにして、大音量で狂ったように踊り明かすか。

#「今週の1冊」も。
ノルシュテインとコズロフ作 『きりのなかのはりねずみ』
(ヤールブソワ絵、こじまひろこ訳)
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大切な友だちがお祝いにくれた1冊。
ロシアの絵本。最後のページの言葉が胸にしみて、また彼女を抱き締めて泣きたくなる。
『はりねずみくんは、こぐまの おしゃべりを ききながら、
こぐまくんと いっしょは いいなと おもいました』



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"The Hound of the Baskervilles"

2009-09-27 | 旅行
2009年6月、イギリス&ギリシャ16日間(UK6日間、GR10日間)の旅に出掛けた。イギリス人の相棒との二人三脚だ。いや、足を繋いでないので二人四脚か。

イギリスでは主に、イングランド南西部のデヴォン(Devon)とコーンウォール(Cornwall)で過ごした。デヴォンは相棒の出身州。タヴィストック(Tavistock)という小さな町がホームタウンだ。小さな町とはいえ、家の裏にはダートムーア(Dartmoor)という広大な荒野が広がっており、空間の広さに圧倒される。

ダートムーア(ダートモーといった感じに聞こえる)は、緑に覆われた緩やかな丘がどこまでも続く高原だ。そこかしこに大小の花崗岩があり、頂きが岩に覆われた小高い丘(“Tor”と呼ばれている)があることでも有名だ。新石器時代後期から青銅器時代前期にかけての先史遺跡が多くあり、国立公園に指定されている。

車を走らせると、時折ポニーの群れに遭遇する。"Wild pony"と言われて親しまれているが、実は飼い主がいるらしい。でも餌を与えられているわけでもなければ、囲われているわけでもないので、「野生のポニー」でよしとしておこう。しっかりとした体つきで足も太く、毛がモシャモシャしている。スレンダーな競走馬などよりだいぶ親近感がわく。群れに一匹、ひときわモシャモシャした白髪交じりの毛の老馬がいた。ゆったりと動く彼(彼女)は、通りすがりの人々の間で人気を博していた。のんびりしているだけで、本人は「ハイ、チーズ」なんて笑ってるつもりはさらさらないんだろうけれど。

ポニーのほか、羊の群れもよく見かけた。羊はイギリスの至るところで目にするが、ダートムーアで見かけた種は顔が黒く、体が白かった。粗くて長い毛を持つことで知られているらしい。それにしても、ん…相棒の家でご馳走になったラムはとっても美味しかった…。南無阿弥陀仏。こちらではポニーも執事、おっと羊も自然の一風景として溶け込んでいてよろしい。

しかし何と言っても最もワクワクしたのは、ダートムーアに居ながらにして、そこが『バスカヴィル家の犬』(コナン・ドイル作)の舞台だと知ったことだった。中学生のとき図書館で読破した「名探偵ホームズ」のシリーズ。なかでもこの作品には、荒野に佇む館、そして漆黒のように暗い夜といった視覚的あるいは感覚的なイメージが強くあった。イギリスの夏の夜は長く、9時を回ってようやく暗くなる。日が沈んでからのダートムーアの闇は、思い描いてきた想像を決して裏切らなかった。そこに魔犬の遠吠えが聞こえたら…。頭のなかのモヤモヤした物語と、体に感じるダートムーアの冷たい夜気が交差した。あぁ、何たるロマン!

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Bonnie Pink礼賛

2009-08-15 | 日記
7月30日、赤坂BLIZでのBonnie Pinkのライブを聴きに行った。1Fはオールスタンディング。Fuji Rockで学んだはずの「背の高い人が集まって見えないから真ん中には行かない」という教訓を無視したがゆえに、演奏が始まる前には確保できた視界があっという間に遮られてしまった。かなり前方にいたのに、残念。

とはいえ、期待を裏切らない聴き応え&見応えのあるステージ。前回の武道館に比べて各段に距離が近く、こじんまりしていることもあり、生である「ライブ」の醍醐味を味わえる。一方的な演奏だけでなく聴衆との双方向のやりとりがあり、参加型なのもよかった。聴衆が男と女でパート分けされてハモったり、Bonnieやバンドメンバーの複雑な手拍子を聞いて手拍子を返したり、さながらコーラスグループの練習のようだった。小学生の時分、合唱団の団員だったわたしのような者にはたまらない楽しさ。

今回のステージならではだったのは、マイケル・ジャクソン追悼のカバー曲演奏だろう。Bonnieが『Billie Jean』を歌うと、観客席はディスコ(80年代風にあえてディスコ)と化した…少なくともわたしの中では!余談だが、この曲の歌詞をちゃんと歌詞カードで読んだのは数か月前のことだった。そしてビックリ仰天。実はずいぶん刺激的な内容だったのね。Billie Jeanは可愛いけれどやっかいな感じの女の子でーー歌詞にはそんな風には書いてないがーー「僕」が子供の父親だと言い張り、どうやら裁判沙汰みたいなことにもなる。軽いタッチの歌い方やポップなメロディラインとは裏腹に、歌詞はかなりドラマチックだったことをようやく知ったわたしだった。しかしこの、曲と歌詞の重さの違いは絶妙。ますます好きになった。

曲と歌詞の重さの違いといえば、Bonnie Pinkの曲にもそんなところがある。ポップなメロディラインながら、心情や関係性の深い部分を歌っていることが多いのだ。初期の頃は歌い方も重ためで迫力があった(それはそれでカッコいい)が、だんだんと肩の力が抜けて軽やかになってきた。またデビュー曲『オレンジ』からの個性は脈々と続いているけれど、楽曲はますます多彩になり、飽きさせることがない。わたしにとっては、アルバムすべての曲を慈しみ、曲もパフォーマンスもどっぷり浸って味わうことができる唯一のミュージシャンだ。たとえばこのまま活動を続けてもらって、20年後にライブがあったらどんなに楽しいだろう!アリスの再結成ライブに嬉々として出掛ける人たちの気持ちが、痛いほどわかる。

そして彼女が面白いのは、確実にダークサイドがあるところ。闇があってこそ引き立つ明るい曲調。アーティストとしてだんだんと軽やかになってきた過程にも、親近感がわく。わたしは中学生の頃、尾崎豊に傾倒して部屋でひとりシャウトしていた暗め(?)の過去を持つ。当時は、彼のようなストレートさに心打たれたものだ。しかし年齢を重ねるにつれ、真っ向勝負してくるものより、苦味や旨味が幾層にも重なっているがゆえに味わい深いものを好むようになった。Bonnie Pinkの歌詞は、状況や心情がわりと具体的に描かれているにもかかわらず、言葉の意味や詩のもつ世界観が限定されない。聴く側の想像力に委ねられている部分が大きいのだ。まさに「詩」。確固たる個性がありながらも、聴く者は翼が与えられているかのように自由に感じ取ることができる。

自分の生きる道に沿うように、いつでも期待を抱けるアーティストが存在するのは嬉しいものだ。音楽は人生に欠かせないものだからこそ、特別な存在は有難い。

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