
18年ぶりのババのマスターはワシの事を覚えていた。ワシは懐かしくて懐かしくて・・・グッときてしまいました。ここはアンジュナビーチ。初めてゴアに来たときちょうどこのババレストランの裏手の教会の近くに宿をとったのである。ただそこはシャワーなし水は井戸からバケツを放り込んで引き上げるタイプの宿(そんなタイプの宿なんてあるわけないとおもわれるかもしれませんが・・・)だったので大変でした。照明は裸電球一個その周りにはヤモリ付き.トイレはフィールドトイレットだったので星空を見上げながらがの用足しはいいものです、が・・・・・・けっこう当時(91年)はこのタイプの宿がありました。まだあるのかな?隣に滞在しているスイス人はこれが良いんだって言ってたけどワシは1週間後にはそこを出てカラングートの方に引っ越しました。(だって髪洗うのも大変なんですもん・・・)
引っ越してからも(長期滞在中、結局合わせて8ヶ月ほど滞在)ババレストランは通い続けていました。日本人が集まりちょっとした村状態で(ワシは村民にはならなかった)長くそこに居住ついている長老的存在の方がおりました。(なんかちょっといっちゃっているカンジなんで)それでもいろんな日本人がやってくるので面白い日々でした。ここでは書ける事とそうじゃない事がありますが書ける事を書きますが(当たり前か?)かけない事の方がかなり面白いんだが(いやいやくだらないだけかな?)次の話は比べると面白くない方なんですけど・・・・縁があった岡山大学の学生。ワシの友達と友達だった。それはトリバンドラムコウ゛ァラムビーチで出の会いでした。なぜか相撲世界大会(旅人級)を主催しいた。でもこれはビーチバレーボール世界大会(ビーチバレーではありません6人制)の腹いせではないかと思う。このバレーボール日本チームはアメリカとかヨーロッパチームに弱くて負けてばかりだった。ワシも参加したとき南印度方面を似たようなルートで回っていたアメリカ人と対戦する事になり惨敗。くやしい。ならば相撲ならってんで考えたんでしょうけど無理がないかい?彼は完全に相撲体型。ほぼ全勝でしょう。外人に教えるところから始めたのか?
ちなみに榎木孝明がそこにいました。バレー大会はでたんでしょうかねぇ?印度好きだったんですかね。
で、ワシ札幌なんですなどと話しているうちに利尻島の集会があってという話になったときワシの友達もその集まりに出ているよってことになり、なんと友達だったという。世界は狭い?この彼はゴアパーティが大好きで、いつも外人には負けられないと日本人魂を全開でした。なんかいつも顔とかに傷がついていたり血だらけになっているのはなぜ?パーティの次の日自分は無事でここに存在しているぞ〜というアピール(本人曰く。)で着ていた衣服を(洗濯済み)長い竿にくくりつけ天高くなびかせるのであった。でもやつらといったいどんな戦いをしているんだろう?変なやつ・・・
しかしなんと一年後ワシが日本に帰国する少し前にバンコクでまた会ってしまったのである。心持ち大人になってたようななってないような・・・・日本的礼儀正しさを醸し出していた。
こんな奴らが(もっと危ないのがいっぱい)集まっていたババレストランは最高だ!・・・
うちのスタッフの後藤(一緒に旅した北大生)も世話になりました。このことはまた後程。ババマスターありがとう!イラストは91年当時アンジュナビーチ。浅野哲哉氏直筆のコピー。
引っ越してからも(長期滞在中、結局合わせて8ヶ月ほど滞在)ババレストランは通い続けていました。日本人が集まりちょっとした村状態で(ワシは村民にはならなかった)長くそこに居住ついている長老的存在の方がおりました。(なんかちょっといっちゃっているカンジなんで)それでもいろんな日本人がやってくるので面白い日々でした。ここでは書ける事とそうじゃない事がありますが書ける事を書きますが(当たり前か?)かけない事の方がかなり面白いんだが(いやいやくだらないだけかな?)次の話は比べると面白くない方なんですけど・・・・縁があった岡山大学の学生。ワシの友達と友達だった。それはトリバンドラムコウ゛ァラムビーチで出の会いでした。なぜか相撲世界大会(旅人級)を主催しいた。でもこれはビーチバレーボール世界大会(ビーチバレーではありません6人制)の腹いせではないかと思う。このバレーボール日本チームはアメリカとかヨーロッパチームに弱くて負けてばかりだった。ワシも参加したとき南印度方面を似たようなルートで回っていたアメリカ人と対戦する事になり惨敗。くやしい。ならば相撲ならってんで考えたんでしょうけど無理がないかい?彼は完全に相撲体型。ほぼ全勝でしょう。外人に教えるところから始めたのか?
ちなみに榎木孝明がそこにいました。バレー大会はでたんでしょうかねぇ?印度好きだったんですかね。
で、ワシ札幌なんですなどと話しているうちに利尻島の集会があってという話になったときワシの友達もその集まりに出ているよってことになり、なんと友達だったという。世界は狭い?この彼はゴアパーティが大好きで、いつも外人には負けられないと日本人魂を全開でした。なんかいつも顔とかに傷がついていたり血だらけになっているのはなぜ?パーティの次の日自分は無事でここに存在しているぞ〜というアピール(本人曰く。)で着ていた衣服を(洗濯済み)長い竿にくくりつけ天高くなびかせるのであった。でもやつらといったいどんな戦いをしているんだろう?変なやつ・・・
しかしなんと一年後ワシが日本に帰国する少し前にバンコクでまた会ってしまったのである。心持ち大人になってたようななってないような・・・・日本的礼儀正しさを醸し出していた。
こんな奴らが(もっと危ないのがいっぱい)集まっていたババレストランは最高だ!・・・
うちのスタッフの後藤(一緒に旅した北大生)も世話になりました。このことはまた後程。ババマスターありがとう!イラストは91年当時アンジュナビーチ。浅野哲哉氏直筆のコピー。









