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旧満州:引き揚げ者が記憶の旅 生家跡や街並み巡る

2012年04月16日 | 国際
旧満州:引き揚げ者が記憶の旅 生家跡や街並み巡る


毎日新聞 2012年04月16日 12時41分(最終更新 04月16日 13時14分)
09年3月、63年ぶりに旧満州を訪れた高村正太さん=旅の漫遊提供

 太平洋戦争後、旧満州(現中国東北部)から日本に帰国した引き揚げ者を対象に、旧満州で暮らした当時の家屋跡などを探して案内する個人ツアー「記憶の旅」を、福岡市東区の旅行代理店「旅の漫遊」が4年前から続けている。戦後67年の歳月が過ぎ、古里にかつての面影を見つけ出すのは難しくなっているが、参加者は「長年の夢がかなった」と喜んでいる。

 「自分が住んでいたのは中国の田舎町なので、ツアーを組む旅行会社がない」。同社の西山貴嗣(たかつぐ)社長(40)が、知人で吉林省出身の田中邦房さん(74)=福岡市南区=から相談されたのがツアー開始のきっかけだった。田中さんは8歳まで同省郭家店という小村で育った。畜産を営む父と戦中に死別、敗戦直後はソ連軍の侵攻を恐れ、母と幼い弟妹3人と馬車で夜道を逃げた。日本への帰国がかなったのは1年後だった。

 西山社長を添乗員に、家族4人で郭家店を再訪したのは08年10月。まだ開発の波が押し寄せておらず、古老の証言などから生家跡を見つけることができた。当時ハルビン-大連間約950キロを東洋一の最高時速140キロで走った「特急あじあ号」の線路もあった。「あじあ号を線路脇で眺めたものです。再訪できて夢心地でした」と田中さん。

 これまで「記憶の旅」に参加したのは田中さんを含め3家族。北朝鮮との国境の街、遼寧省丹東で14~15歳を過ごした福岡県太宰府市の高村正太さん(81)は09年3月に訪ねた。高村さんは丹東で「広島、長崎に新型爆弾が落とされた」との報に接し、「日本は終わった」と思い詰めた。中国名を名乗り、紡績工場の雑役で食いつないだが、ある日、ラジオから流れる日本の歌謡曲で祖国復興を知り、46年12月に引き揚げる際は工場の中国人が餞別(せんべつ)をくれた--。63年ぶりの丹東はビルが並び、紡績工場は家具工場に変わっていたが、「ここは第2の故郷」と感慨にひたった。

 同市の稲田進さん(73)も09年、8歳まで住んだ吉林省洮南市を訪ね、当時の街並みはほぼ皆無だったものの、「土の臭いなどはそのまま」と懐かしむ。

 成長著しい中国で記憶をたどるのは難しいが、ツアーは参加希望者から話を聞き、事前に調査した上で企画する。西山社長は「引き揚げ者は高齢化し、海外旅行は体力的に難しくなっているが、可能な限り望郷の思いをかなえたい」と話している。問い合わせは同社(092・674・2012)。【阿部周一】


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