Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(7月22日)

2017-07-23 16:04:00 | 映画

米アカデミー賞脚本賞、主演男優賞を受賞した「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見てきました。
上映されているホールソレイユでは、来月から「セッション」と「ラ・ラ・ランド」が上映されるらしく、この2本の予告が続けて流れたのですが、両作品でのJ.K.シモンズのキャラが違い過ぎるので、見ていてつい笑っちゃいました。「セッション」って最初見た時はホラーみたいでしたが、今見ると笑っちゃうかもしれません。実際、「セッション」はチャゼル監督が自分の過去のトラウマを基に作ったそうなので、称賛よりもありえねーと笑い飛ばされるほうが、監督の意図に沿ってる気もします。

チャゼル話に文字数使っちゃいましたが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」ですね。



ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリーのもとに、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーから一本の電話が入る。
兄のジョーが倒れたというのだ。リーは病院に駆けつけるが、兄は既に亡くなっていた。
もともと心臓に持病を抱えていたジョーは、弁護士に遺言書を預けており、自分がなくなった後、リーを息子のパトリックの後見人に指名していた。
弁護士は、リーに故郷に戻ってパトリックの後見人になるようにすすめるが、リーはそれを拒否する。
リーが故郷に戻れない理由とは何なのか―


※ここから先はネタバレあります。ご注意ください。








公式サイトはこちら。公式サイトのあらすじは、映画の冒頭を詳しく書いていてわかりやすいですが、文末の「リーは、父を失ったパトリックと共に、この町で新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか? 」はちょっとミスリードというか、見る側に安っぽい結末を予想させそうで少し残念です。それは、私自身が予想した結末と違っていたからってのもあるんですが。

ある悲しい出来事が原因で、故郷を去ったリー。「悲しい出来事」が何なのかは映画の中盤で明かされますが、そこに至るまでの間、リーの過去を知るマンチェスター・バイ・ザ・シーの住民は、彼をまるで腫れ物に触るように、でも無言で糾弾するように扱います。彼らはあからさまにリーを責めているわけではないのですが、その態度がリーに過去を思い出させ、追い詰めるのだということは想像に難くないです。映画の構成が、過去と現在を交錯させるようになっているのは、それらすべてがリーの中で混在している、同じ地平に存在しているのだということを表現しているのかもしれません。兄がなくなった今のことも、兄が生きている頃のことも、悲しい出来事が起きる前も、悲しい出来事が起きてからも。

リーの身に起きた「悲しい出来事」とは、ある寒い夜、リーが暖炉に薪をくべたままコンビニに出かけている間に、自宅に火事が起きて幼い子供3人が焼死するというあまりにも悲惨すぎる事故でした。しかも、自らの不注意で子供が死んでしまったのに、リーは罪に問われることはありませんでした。もし、このことで彼が法律で裁かれ、罪を償うために服役していたとしたら、これほどの負うことはなかった…かもしれません。いやどうだろう。

子供たちの母親でリーの妻だったランディはその後、再婚して新しい命を宿していました。ジョーの死をきっかけに、そのことを知って動揺するリー。別によりを戻したかったわけではないのでしょうが、ショックなのはわかります。再婚したから、子供ができたから、ランディが死んだ子供たちのことを忘れて、幸福に暮らしているわけではないんですけどね。それをわかっているから、リーもランディに対して責めたり恨み言を言ったりしなかったんでしょうし。お互い、過去を思い出して辛いから、会わないほうがいいと思うだけで。

過去から抜け出せず、心に傷を抱えているリーと対照的に、新しい家族を得て人生を再構築するランディ。甥のパトリックもまた、後見人をしぶるリーの代わりに、母親と連絡を取り合って再会しようとする。ところが、母親には婚約者がいて…パトリックが母親とその婚約者のもとを訪れ、ランチを共にする場面は、シリアスなはずなのに空気が張りつめ過ぎてて、誰も面白いことを言ってないのに、なんだか笑えました。パトリックが食卓についた瞬間、観客に「これはアカン」と思わせる演出はさすがだなと思いました。パトリックの母親はこれで幸せなのかなという疑問も浮かびましたが、そこまで描くと映画が冗長になってしまうので、カットされたのは仕方ないですね。

戻りたくなかった故郷に戻ってきて、リーが鬱々としている一方で、パトリックはガールフレンドを2人かけもちして16歳の高校生として爆発寸前までリア充な日々を送っているのには、「おイタが過ぎるとそのうち刺されるぞ」と突っ込みたくなりましたが、それは彼が生まれ故郷に愛着を持っていて、離れがたいと思っている証拠なのだとも言えます。階下にガールフレンドの母親がいるのに、彼女の部屋でキャッキャウフフ(湾曲表現)しようとするのは度胸がよすぎて引きましたが。あれ何?アメリカの高校生ってあれが普通なの?そんなパトリックでも、父親の死に動揺してパニックを起こしてしまうのだから、彼もまだ子供なのだと胸が痛みました。二股はアカンけど。いずれは血を見ると思うけど。

故郷を離れたくないパトリックのために、リーが取った最後の決断とは…公式サイトのあらすじに「この町で新たな一歩を踏み出すことが出来るのだろうか?」とある通り、リーは「この町」で「新たな一歩」を踏み出しました。はい。私が予想していたのとは違った形で。日本のドラマだと、リーは生まれ故郷に戻ってきて、彼の過去を知りつつ彼を受け入れる優しい住民たちと、生まれ故郷の美しい景色に癒されて、パトリックと共に暮らす…という結末になりそうな気もしますが(偏見?)、この映画ではそうならなかった。住民たちが冷たいわけではないけど。生まれ故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーは悪い場所ではないけど。

パトリックのためには、リーは故郷にとどまり、パトリックと共に暮らすべきだったかもしれない。パトリックの幸せだけを考えれば。でもそれはできなかった。故郷に留まることは、リーにとって耐えがたいことだったから。叔父として、パトリックのことを愛していても。「愛しているなら、耐えられるはず」「耐えられないのなら、そこに愛はない」という呪いに縛られる時代は、もう終わったのだから。結末に納得しない人もいるだろうけど、しみじみとする優しい終わり方だと思いました。

主演のケイシー・アフレックは、ベンアフことベン・アフレックの弟で、この映画のプロデューサーはベンアフのマブダチのマット・デイモンです。つまりケイシーとは義兄弟みたいなもんです。きっとマットはケイシーのこともよく知っていて、この映画はケイシーの魅力をぞんぶんに引き出してくれるだろうと確信していたのだと思います。その通り、ケイシーは兄のベンアフに引けを取らないボンクラな表情を見せる時もあれば、「誰このイケメン」と凝視してしまうほどハンサムに見える時もあって、その見た目のふり幅を利用して、リーの内面をうまいこと表現していました。…え、ベンアフもイケメンでしょ?って…いや、ベンアフがハンサムに見えても誰も得をしないっていうか…その必要性がないっていうか…ごにょごにょ。あ、でも私はベンアフのバットマン好きですよ!ジャスティス・リーグ楽しみっす!ええ!(高松で上映ないかもしれないけど…)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 映画「銀魂」(7月16日) | トップ | 映画「ジョジョの奇妙な冒険... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL