<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

積もり屋さぶろう

2016年12月28日 21時40分40秒 | Weblog

そのつもりなのである。そうと決まっているわけじゃないのに、そうなるつもりなのである。だからそれは極めて独り合点でしかない。未来は未定である。まだ来ていないのが未来である。未定なのだが、そうなるものとしておかねば、目標設定ができかねる。で、そうなった場合を見積もって、己をそのつもりにさせるのである。

生きているうちに死を手に入れた者はいない。死んだときにはもう生きてはいないからだ。だから、死は最後まで未所有である。未定の未確認の、未確定事項の、未承認事項なのである。死んでいないわれわれは、死んだつもりになるほかはないのだ。どんなものか、見積もってみるだけである。事実を体験することはできない。

そう。だから、どんふうに積もってもいいということになる。だったら最上最高最良を積もるべきである。じゃないかなあ。

蝉も蜻蛉も蝶々も抜け替わる。抜け替われば、古い上着よさようならということになる。彼らはそれまでの古い殻に未練を残さない。残さないで大空に飛び立っていく。彼らは新しくなったのである。変身を遂げたのである。新しい出発を喜んで大空を舞うのである。

さぶろうの見積もりである、これが。古いカラダと新しいカラダとは一貫しているが別物である。死ののちにあるのは、一段ステップアップしたところの別物である。斬新な別物である。彼は飛翔を手に入れることになったのである。愉快に進んだのである。だから、死んだことを悲しんではいない。恨んでもいない。後悔してもいない。泣いてもらいたいという気持ちを抱いてはいない。

さぶろうは、積もり屋である。それも明るい積もり屋である。嬉しくなる積もり屋である。

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