念仏というのはわたしを喜ぶことであった。ひたすらひたすら喜ぶことであった。仏さまに守られているわたしを見てつくづくに喜ぶことであった。仏さまの世界にいるわたしの姿をつぶさに見てしみじみ喜ぶことであった。仏になるように導かれて行くわたしの姿を見て感涙に噎ぶことであった。よろこばれているわたしをわたしがよろこんでいくのは極々当然のことであったのだ。よろこべばよろこぶほどに、よろこびが増して深くなって行く。とうとうわたしのこころが大きな大きな海になって行く。歓喜の海になって行く。そうして下さった仏さまを念じて念仏を称える。静かに安らいで念仏を称える。
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