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蝶のみの唯仏与仏の世界が究まり尽くされている

2017年07月23日 20時08分51秒 | Weblog

ひらひらの蝶ふたつ飛び蝶のみの唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)究まり尽くす     薬王華蔵

「唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)」とは法華経方便品の中にある言葉。

その後へ「乃能究尽」と続く。そのまた後へは「諸法実相」と続く。

通して読めば、「唯(ただ)仏と仏のみが乃ち能く諸法の実相を究め尽くせり」 そういうように読み取れるようです。

仏教は仏さまの悟られたところが説かれた教えです。それが、わたしに分かるでしょうか? 仏でもないわたしに分かるでしょうか。道元禅師はノーを突きつけておられます。仏に達していないわたしに悟りに達した仏の説かれる悟りの内容が理解できることはない、と。

仏さまが一切を悟っておいでになるのであれば、そうであれば、すべては仏さまに一任していいということになりませんか。仏さまさえ諸法の実相を究めておられるのであれば、それで十分なのではないでしょうか。わたしがいかように無知蒙昧であっても仏さまによって悟られた世界に生きているわたしですから、畢竟すれば「仏に悟られたわたし」である、と。

「唯仏与我」=「仏さまがわたしに向き合っておられる」世界に生きていることになるのではないか、という推量が湧いて来ます。これはさぶろうの自己流の解釈です。

そこへ蝶々を遊ばせてみたのがこの短歌です。ひらひらと二つの蝶が飛んでいます。するとそこに「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」の世界が彷彿として浮かび上がって来た。という歌です。蝶々はひらひらと飛んでいるだけでいいのです。それが自ずからにして「究尽諸法実相」に適っているのです。

道元禅師は決してそういう人間だから仏の悟りの世界に往来することはできないとは言っておられません。むしろ、自在に出入りしていることが出来るのだと。仏が究め尽くしておられる諸法実相の世界を生きているのは紛れもなくこのわたしたちなのですから。

 

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