<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

こなされてばかりの辛い少年時代

2016年10月17日 15時55分26秒 | Weblog

「こなす」とは上級生が下級生を虐めることを言う。「こなずぞ」「こなされた」などと遣われた。方言だろうか、それとも歴(れっき)とした標準語なのだろうか。わたしはこなされたことが多かった。屈辱をいろいろ味わった。それだけ体力気力に欠けただらしない男の子だったのだろう。こなされているばかりで反逆が出来なかった。その分マイナスのエネルギーが内へ内へと沈澱して行った。やるせなかった。男の子は喧嘩をするものだが、わたしはそれも出来なかった。相手に手を挙げることができなかった。我慢は出来たから泣いて帰ることはなかったが、己の弱さが恨めしかった。空手でも習って見返してやろうなどとも思ったことがあったが、空手を遣りに行く連中ほどの猛者ぶりはなかった。いろいろいろいろ思い出すことがある。大きくなってからもやはり男子にあるべき覇気が成育しなかったので、仕返しに及んだこともなかった。現在の自由主義平等主義の時代に生まれてもこれだから、これが武士社会だったらどうなっていたことだろう。足蹴にされるだけだったかもしれない。

この先こんな調子で生きて行けるだろうかとこの少年は幸先を危ぶんで過ごした。そしてあろうことか、とうとう70才まで生きた。生き延びた。この老齢になってからも「辛い少年時代だった」「こなされてばかりだった」「意気地のない男だった」と振り返ることがある。でもいっこうにそれは改善されてはいないのである。依然として意気地がないのである。検察庁に勤めていた父、正義を仕事にしていた父は勇気の欠片もないこの息子をきっと憐れんでいたことだろう。

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