<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

あべこべかもしれない

2016年11月05日 19時37分53秒 | Weblog

弟はもうワイシャツも背広上下もネクタイも靴下も靴も帽子もいらない。肉体を持たないから。移動手段の車もいらない。住む家もいらない。食べるご飯も肉も魚も野菜もいらない。空気も水もいらない。死んでいるから。肉体を持たなくなっているから。では聞くが、この世というところは肉体の世なのか。肉体が必要なものだけを満たしているところなのか。そうではないだろう。肉体は霊体の一部。精神、こころ、魂、霊がここに同居している。だから霊体のための世でもあるはずだ。では霊体が必要としているものはなんであるか。霊体というのは肉体を通してしか生きていないのか。肉体の充足が即霊体の充足でもあるのか。今夕、そんなことをさぶろうは考えた。弟は死んでから一年が経過した。彼は肉体を持たない。霊体だけで生きている。霊体が死ぬと言うことはない。霊体には生老病死がない。苦痛がない。成長を促すための苦痛がない。いわば無抵抗だ。成仏を果たして自由自在に生きている。そこで弟は何を考えているのだろうか。利己を離れて利他をしているに違いない。他者の幸福と安寧のために尽力しているに違いない。方々へ行って救済活動をして縦横無尽に大活躍をしているだろう、きっと。肉体を持っていたときには利己に生きていたが、いまはそうでなくてもよくなっているのだ。己を成仏しているのだ。卒業しているのだ。利他の段階に進んでいるのだ。そこまで進化している弟を、後に残った者が供養するということもないのかもしれない。むしろ、弟の方がわれら生き残っている者を供養しているのかもしれない。あべこべかもしれない。彼は秋空のもとで意気揚々として、ともかく元気いっぱいにしているはずだ。

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2 コメント

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同感! (yukkuri)
2016-11-06 10:32:51
故人は幸せなはずです。
利己の必要が無い、そうですよね。
満ち足りて、利他の実行しか無い。
なるほど。
この世では、満ち足りた瞬間には次の「不足」を思いつく。よほどの人でないと、これを克服できませんからねえ。
そう思いたいので (さぶろう)
2016-11-07 11:15:28
yukkuriさんコメント有り難う。利己がなければ苦しみがない。悲しみがない。己を放てないので、わたしは苦しみばかり悲しみばかり。そこを抜けて行く道があるのでした。死は利己からの抜け道。隧道。ここを抜けて出ると雪を被った美しい山々が広がっている。利他の雪を被った山々である。利他には利己の悲しみ苦しみがない。弟はそこに辿り着いている。そう思いたい。

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