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「我が如くにして異なることなからん」とは?

2017年07月18日 04時21分08秒 | Weblog

若(も)しよく至心に呪(しゅ)を誦(じゅ)し、我を念ぜば、現身に飛行自在(ひぎょうじざい)神通変化(じんづうへんか)を獲得して、我が如くにして異なることなからん

真言宗経典「仏説十一面観世音菩薩随願速得陀羅尼経」より

呪(しゅ)とは口に称える呪文、すなわち神呪(じんしゅ)のことである。真言のことである。陀羅尼のことである。因みに十一面観世音菩薩のそれは「おんまかきゃろにきゃそわか」である。それを至心に、すなわち真心を尽くして誦(とな)えれば、十一面観世音菩薩はたちどころにその人の眼前に現れ出て来られる。なおなお念ぜばその身に観世音菩薩と同じ神通力が備わって、空を飛行することも自由自在にできるようになり、そのほか思いのままに変化身(へんげしん)能力を発揮することができるようになる。観世音菩薩にしかできない功徳が身に備わって、すっかり観世音菩薩その人になってしまう。というのである。その約束である。この経典中の「我」とはもちろん十一面観世音菩薩のことである。この約束はお釈迦様に対してなされている。お釈迦様は「善哉大士 よいかなだいし」 でかしたぞでかしたぞそれでこそ菩薩に相応しいと褒めておられる。

わたしはここを読むと嬉しくてたまらなくなる。菩薩の位に達した者でなければ許されないはずの秘術の数々をも惜しげもなく譲り渡してしまわれるのである。もちろん、その秘術とは他者を救うときにしか使えないから、ちょっと試しにおもしろおかしく飛んでみるという具合にはいかない。それは当然のことである。「ここまでおいで」と唆(そそのか)しておられるのである。あなたも利他行をする菩薩になりなさいと勧めておられるのである。菩薩には何ができるか。代受苦ができるのである。苦しんでいる人に代わって、その人の苦しみを己に引き受ける菩薩行ができるのである。

何から何まで全部が全部己の功徳をも譲っておしまいになるという十一面観世音菩薩の信頼の深さ。これはまるで愛する人へのラブレターのようではないか。

それに応えられるだけの自分の日常生活であるかどうか。問われていると思うと身震いをしてしまう。

おんまかきゃろにきゃそわか。呪文を称えてみる。観音様あなたはわたしにそこまでの思い入れをしてくださったのですか。「まことに忝(かたじけな)いことで御座いました」の心を籠める。

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