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生死は苦悩の家でありながら畢竟すれば安心の家であった

2017年07月16日 23時03分27秒 | Weblog

この生死は、すなわち仏の御いのちなり

道元禅師のお言葉である、これは。

「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり]とも言っておられる。わが生きる生死を明らかにすることが仏道を歩む者の一大事の決着である、とされた。そして明らかにされたのがこと「この生死は、すなわち仏の御いのちなり」であった。

我が身に頂いている生死二つは、仏を辿り仏に帰着するためのものだから、すなわち仏の御いのちの化現、現成である、とされた。

仏の御いのちであれば、己が所有する生死ではない。己の采配する生死でないのなら、生死の束縛を離れていていいはずである。

この生死をなめなかったならば、仏に帰着することはできなかったのである。帰着するための生死であれば、成仏は約束されたに等しいのである。生死は安心の家。苦悩の家でありながら、安心の家。畢竟、安心をしていてよかったのである。

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