<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしの未発達

2016年10月17日 09時36分36秒 | Weblog

小さい頃、城原川には砂州が広がっていました。小石がごろごろしているところもありました。岸に近いところがいきなり深くなっているところもありました。わたしは魚捕りが上手ではありません。少年が好んでする遊びなのに、これを自慢に出来ないのです。友達同士が「おれは鰻を捕まえたぞ」「鯰を池に放したぞ」「潜っていって鯉を銛(もり)で突いてきたぞ」などとぞとあれこれ吹聴するのですがこれに加われません。何をするにも不器用なのです。わたしはいつも仲間の背中に隠れるようにしていました。わたしは生き生きした少年ではなかったのです。胸の奥でずっとコンプレックスを抱いていました。

わたしはその日も魚捕りの網は持っていたのですが、メダカを砂で作った小さな池に遊ばせているきりでした。上半身は裸です。木の橋がそこに架かっていました。人一人が進んでいけるくらいの幅しかありません。いきなり背中にあたたかいものを感じました。そこから一級上の腕っ節の強い先輩がわたし目掛けて放尿をしたのです。わたしが戸惑うのを見て彼は、やったやったうまくやったというように高笑いをしました。気の弱いわたしに立ち向かう勇気などありません。わたしは泣きはしませんでしたが屈辱を味わいました。わたしは小学4年生。それから60年以上過ぎていますが、この屈辱が蘇ってくることがあるのです。彼は面白がっただけですが、わたしには消えない疵になったままです。「小さいときの話じゃないか。そんなもの忘れろ」と幾度言い聞かせても忘れないでいます。わたしの人間としての度量の小ささかもしれません。いまでもときどき彼を目にすることがあります。成功者です。やはり彼がわたしよりも高いところに位置しています。面白がった彼はこれを忘れ去っているでしょう、きっと。

城原川はその後川幅を拡張しました。杉材を二つに割っただけの木の橋はありません。わたしはいまでもやっぱり鰻も鯉も鯰も捕獲できません。小心者でぶきっちょのままです。強い者に逆らう勇気も依然としてありません。わたしの人生とは何だったのでしょう。わたしの人間としてのこの未発達が老爺のわたしを悲しませたりすることがあります。

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