<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

人を見たら神だと疑ってかかれ

2016年09月18日 16時09分16秒 | Weblog

この雨の中、家内の買い物の運転手をした。スーパーへ行って来た。出不精なので、無理に引っ張り出されてしまった。出て見るとそれはそれで刺激がある。野菜コーナーで買い物をする奥様を車椅子に乗せてご主人が押しておられた。そこに目が止まってしまった。二人ともかなりのご高齢のようであった。なんだか知れずこころ打たれてしまった。偉いなあと思った。奥様の指図通りにあちらへこちらへゆっくりゆっくりいたわるように車椅子を押しておられていた。婦唱夫随は仲のよい証拠。そのようにこちらには映った。荷物を加えて行くので、いやいや、身の細い、白髪のご主人様にはなかなか重たそうでもあった。この雨の中だから、車椅子を車に乗せたり下ろしたりするだけでも重労働のはずである。一日家の中にいては気が滅入る、そこを憶測されてご婦人を外に連れ出されたのであろう。奥様はなんらかの障碍がおありになるのであろうが、それをカバーしておられるご主人様の姿が、天上界より地上界へ下りて来られた神の一人に見えて、しばらくお二人の姿を追ってしまった。

「人を見たら泥棒と思え」という諺もある。しかし、もちろん人がみな泥棒ではない。そういう目をして行き交う人を見ていれば保全安心には役立つだろうが、たまにはその真逆をこころみてもいいかもしれない。すなわち「人を見たら神だと思え」「見える形をとられた神だと疑え」という具合に。神は目には見えない。だが確実に人を守っている、導いている。愛情でやさしく包み込んでいる。その神が生活者にまぎれこんでいるということもあり得る話かもしれない。そういう目を眼鏡のようにインスタントにつければ、たとい刺々(とげとげ)しい人生であってもちょっとはほほえましくもなるかもしれない。 

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