<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

無用でいいところは無用でいい

2017年04月19日 01時12分11秒 | Weblog

形見とて何か遺さむ春は花夏ホトトギス秋のもみじ葉

これは良寛禅師のお歌だったと思う。あるいは平仮名書きかもしれない。死ぬときに何か遺しておきたい。わたしがこの世に生きたという証になるものを。でもそれは無用だ、と。

遺さねばならないということになれば、死ねないところだった。無用というところがいい。

しかし、そこを覆してしまいたがる連中もいる。俺がこうしたこうした、俺は偉い。偉い人生を生きた、と言いたがるお喋りな鳥族もいる。言うだけではすまなくて、銅像だの記念碑だの記念館だのを、生きているときから作りたがる酔狂もいるが、彼らは無用をわざわざ有用にしないと気が済まないらしい。どんなに飾り立てたところで、野の花の一本にも及んでいないのに、それを否定してかかる。

と、他人事風に囃しているが五十歩百歩。これは大小の違いだけで誰の胸にもあることなのかもしれない。褒められたいという欲心。おだてに乗る小心者。あわよくばオレ様もその類に入れるやもしれないという俗欲に染まりたがる。

この老爺にもある。潜んでいる。絵なり書なり何か遺せるものはないかと腕組みをしたがる。まあまあ、まあまあまあまあ。ぐっとそこを抑えようではないか。無用でいいところは無用でいい。

わたしがこの世に生きた証なんてものはいらない。あっても腐ってしまうだろう。異臭を放つのが関の山だろう。腐らないで、毎年新しく咲く季節季節の花々。夏になると渡ってくるホトトギス。全山を美しく赤く染めて散るもみじ葉。とても勝負にはならない。

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