<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

死なないと生まれない (一部修正版)

2016年10月14日 10時00分35秒 | Weblog

前に一度これはここにも取り上げてけれど、一部に修正を加えた。で、もう一度ここに投稿する。死の哲学は生の哲学でもある。死にきれないなら生ききれない、そういう綱引きがあるように思える。死にきることは生ききることである。授けてもらったおいのちである。粗末に考えてはいけない。粗略に扱ってはいけない。暗く陰湿なものにして終わらせてはならないように思う。わたしは大爆発と大転換をそこに見ていたいと思う。

「死なないと生まれない」
      
 生まれないと死なない。死なないと生まれない。停止はしていない。変化をしている。次へ次へ流れている。そこへひとり留まろうとしても留まり得ない。己という一存在も存在の全体と肩を並べながら、常に流転をしている。いのちの旅をしている。
 生まれ変わり生まれ変わる。死を契機として生まれ変わる。だから死は凄まじいエネルギーを内包していなくてはならない。なにしろ大爆発がここで起きるのである。この力で転換が始まるのである。消滅でも滅亡でもない。パワーが一挙に活動へ向かわせる。
 死は一時の位、ほんの一時の状態である。生はそうではない。一時ではない。死と死の間を続行するものである。江戸時代の駅(うまや)のようなものだ。自由闊達な我が生は次へまた次へ跨がる馬を新しくする。
  死は暗いものではない。忌むものではない。明るさへ向かう扉である。こちら側からは閉じるための扉とだけにしか見えないが、そうではない。開けるための扉でもあるのだ。恐がるべきものではない。明るさへ向かう扉が開くのだ。これで高い次章へ飛翔する。
 ここに死の明るい哲学がある。留まっているものなど皆無だ。我々は淀みの沈殿物ではない。ここは水流の早い早瀬である。転じて転じて行く。いのちはすべての変化を楽しむ旅をしているから、その旅人はその実、暗い死の因習に長く執着していないだろう。
 わたしは老いた。老いて終わり、死んで終わりではないと考えていると息が深くなる。     

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「魔法の正しい使い方」講習会 | トップ | 人には停滞と映る場所「ここ」 »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL