<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「雨降らば降れ 風吹かば吹けの世界」にいる

2017年07月12日 13時46分39秒 | Weblog

有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み 雨降らば降れ風吹かば吹け     

この歌は一休宗純禅師の歌。どうやらお若い頃の歌のようだ。お若い頃から既に覚り澄ましておられたのかなあ。風狂の人。老いては森(しん)という女性とともに暮らした。臨済禅の使い手。

有漏路とは迷いの世界を指している。「漏」は煩悩の漏電状態か。無漏路はその対極。悟りの世界。涅槃界。仏国土・仏の浄土。この世は有漏路、あの世は無漏路という解釈も成り立つ。

「帰る」とあるから、もとの故郷に帰るということだろう。法然上人もそんなふうに言われていたらしい。真如世界の仏の国から生まれ出てきたんだから帰るところも此処しかない。此処に定まっている、と。

まあちょっと、有漏路までお遣いに来たという認識だろうか。煩悩を買いに。買ってどうするか。これが値打ちがある。無漏路には煩悩がないから、煩悩はいわば舶来品。これを持ち帰れば新鮮な食材になるのである。

この世の一生涯はだから、一休みをしているところだとこの臨済宗の使い手は裁断しているのである。切って捨てているといってもいい。ゆっくりしているところだから、雨も風も花も月もあっていい。人も鳥も虫も獣もいていい。吉凶、禍福、生老病死は有漏路の色彩。そのどれもが目のご馳走、耳のご馳走になる。

だから、雨降らば降れ風吹けば吹け、であろうか。やけくそになっている訳ではない。この世の万事を積極的に受け入れているのである。

この世ではわれわれは「一休み」しているのだから、ゆっくり足をのばして寛いでいた方がいい。やがてお土産持参へ帰るべき処へ帰っていくことができる。そうできないなら、あれこれ」できるようにどりょくをしなければならないが。

行くも帰るも無条件なのである。それらしい体裁を着けているが、一休禅師に言わせれば、それも無用かもしれない。

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あってもいいのになあ 人生最終章にでも

2017年07月12日 13時31分07秒 | Weblog

大相撲中継は見ないことにした。贔屓筋は負けている。中継を見ているとどっきんどっきんして心臓に悪い。

大相撲以外でのどっきんどっきんは、しかし、ついぞしたことがないなあ。好きな人の前に来るとそうだったなあ。心臓の音が聞こえてしまいはしないかと心配をした。もうあんなことはなくなった。

あってもいいのになあ。人生最終章の段階に来ているけれど、あってはいけないということはないんだし。

あったところで、しかし、どうしよう。

いやいや、常に秘密裏だから、どれだけあったところで迷惑が掛かることはない。シャイな男はいつだってそれを行動に移すことはなかった。そんな人生を送った。つまらない人生だったかもしれない。

夕顔が高い金木犀に上り詰めている。大きな葉っぱがゆらゆらしている。今夕辺りそろそろ咲き出すのかなあ。あの匂いがいいなあ。傍らを通り抜けるときに、あの人にもそんな匂いがしていたなあ。

 

 

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うまくいくときもあるし、そうでないときもある

2017年07月12日 13時09分37秒 | Weblog

うまくいくときもあるし、そうでないときもある。波なんだろうなあ。波を打ちながら進んで行くんだろうな。波は運動をしている。高くなったり低くなったりしている。平板の儘では進めないのかな? 明鏡止水だと運動が出来ないのかな? 上手く行かないときには寝ていた方がいい。そうしよう、では。ごろん。何を遣っても今日ははかばかしくない。で、いつものようにユーチューブで4時間連続のモーツアルト名曲集を聴いているところ。だから退屈ではない。

不思議なことに、この老爺はどれだけ名曲集を聴いても耳が肥えるということがない。まったく進歩がない。馬に念仏、猫に小判の類い。聴かない方がいいとさえ思うが、楽しんでいればそれでいいのかもしれない。理屈抜きでいいのかもしれない。そうかもしれないが、もう少しものが分かって聴いたらよかろうになあ。相変わらず馬に念仏の馬。猫に小判の猫。つまらないなあ。万事是だ。間が抜けている。雲のようにぼんやりしている。

外に目を移すと我が家の庭もいまはユリの花園。さまざまのユリが咲いて慰めてくれる。誰かさんのブログにカサブランカがアップしてあったっけ。ノウゼンカズラ(?)も見せてもらった。アップすると余計にきれいだなあ。

うまくいくように努力すべきだろうが、老爺はそれをする意欲に乏しい。勉強をしない。この老爺の癖は、すぐにその場を離れてしまうところだ。尋常に勝負しない。痴れ者だ。

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するとこの実感が深まる

2017年07月12日 03時58分42秒 | Weblog

トイレから出る時には、洋式便座さまに向かって合掌礼拝する。「雲智さまお見事で御座いました。あなたさまの今日の消化活動に感謝します」「洋式便座さま有難うございました。あなたのお陰で座って用がたせました」と申し上げる。食べたものが消化されたのでそれで健康がたもたれているのである。わたしは左足が麻痺しているので和式では用がたせない。それで丁寧にお礼を申し上げる。するとこの実感が深まる。

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