多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自閉っ子の高等特別支援学校受験と学校生活

2017-05-05 10:32:56 | 支援・制度
最近行く先々で、「高等特別支援学校」について 尋ねられるので、


自閉っ子の 受験その他について 改めて書いてみます。


今から 数年前の 事なので、今は 変わっているところもあるかと


思いますが、参考に なればと思います。


自閉っ子が 中学校の支援学級に 居た時、学校から 支援学級のお子さん全員と


高等特別支援学校(当時は 高等養護学校と言っていました)と


養護学校高等部の 見学に行きました。親も参加できるという事で、


私も 学校の場所を 覚えておきたくて 一緒に行きました。


二つの学校で、在籍中の生徒さんの様子や、簡単な 実技や 知能テストみたいなものを


させていただいたのですが、


養護学校高等部では コインを 分けて それぞれの 種類の穴に 入れる数と


時間の速さを競う、というゲーム兼知能検査のような事をしました。


ほかの お子さんが 一つ一つ、より分けて コインを入れだした時に、


自閉っ子は 自分の目の弱さ(弱視が 良くなってきていましたが まだ見え方が弱かったです)を


補うために、両手で コインを持って、右、左、と わかった方を先に入れ、


他のお子さんと 同じか、それ以上の 成果を上げたそうです。


あとから 簡単な面談があり、養護学校の先生から、


「今まで 長い事 この仕事をしていますが、両手で 分けて入れたお子さんは


初めて見ました。いい素質を持ってますから、高等養護学校を受験されたらいいと思いますよ」と


言われました。



その後 高等養護学校にも 見学に行き、そこでは 朝のランニングトレーニングの


様子や、カリキュラム、就労するための体力作りや 自力で登校して 何か起きた時も


自分で対処する力を 身に着ける事などなど、本人にも説明があり、


親に対しては「入学試験も大変だけれど、入学後がもっと大変です。


本人もですが ご家庭でも フォローをお願いします」といった


お話がありました。


その後 本人と 相談し、本人が「高等養護に行きたい」というので


学校に 受験の手続きをお願いしたのですが


「全市内から 毎年 数人受験して、その中の2・3人合格すればいい方です。


うちの学校からはもう OO君を 受験させようという声が教員間であがっています」と


やんわり あきらめるように 言われました。


そのOO君というのは 県や市から 「模範的生徒」として 表彰を受けたこともあるお子さんで、


自閉っ子は 知的には そのお子さんと 数段差がありました。


しかし 自閉っ子が 行きたい、というのに チャンスも与えずに 終わりたくなかったし、


高等養護の先生からの 説明会では「知能の高さより 就労への意欲や


生活習慣がしっかりしているかどうかが大切です」というお話もあったので、


中学校にお願いをして、受験させていただけることになりました。


受験資格は 「軽度知的障害で、療育手帳保持者」。


軽度というのは いくつからかわかりませんが、自閉っ子が手帳を取った


平成13年ころは IQ75から51までが 軽度で、


50以下は 中度になっていました。


その頃の自閉っ子の IQは 51でした。軽度の中で もっとも下になります。


受験を 考えていた生徒さんのなかには、


まだ 手帳を持っていなかったり、申請しても 手帳の 判定がおりなかった人もいて、


学校からは 「そういう場合は 在学中に 手帳を取っていただきます。


もし 手帳が取れない場合は 卒業はできますが、就労に関してのサポートが


学校からはできません」というお話でした。



受験生の中で、知能指数が 最低レベル。それを 承知で 自閉っ子は受験を


決意し、私も サポートし、学校の先生にも 学習の進行の様子を伝え、


学校の授業の中でも サポートしていただくようお願いしました。



説明会の後も 受験までの間 数回 実習や 体験入学などに


数回出向き、入学後には 大変な毎日だと みなさん実感したようでした。


その都度 受験後の事を考えて 辞退する人もいて、


最初の 説明会の時には 400人いた 受験希望者は、


受験当日には 100人を 切っていました。


合格数は 54名。


自閉っ子は 知的には 劣るものの、小さい時からの


私との 修行が 実を結び、もう一人の 優秀な生徒さんと ともに


合格しました。


中学の先生は まさか 自閉っ子が 合格するとは 思っていなかったらしく、


「一校から 二名受験して 二名 合格するなんて 前代未聞ですよ」と


びっくりしていらっしゃいました。


自宅から 高等養護までは 直通の交通機関がなく、


一時間半以上かかるので、入寮をすすめられましたが、


自閉っ子は「自宅から通う」と 学校の説得を退け、


毎日五時起きして 自宅から 通学しました。


三年間で 休んだ日は 二日ほど。


皆勤賞が 取れなかった!と残念がっていましたが、


高熱の中 自力で 通うのは難しく、他のお子さんに 移してもいけないので


欠席しましたが すぐに回復し 元気に 学校に戻りました。


就労の 時期にも、実習で うまくいかず、なかなか採用にむすびつかなかったのですが、


実習日誌には それぞれの 事業者さんから 「失敗してもやけにならず 落ち着いている」


「言われたことに素直に従う」など 良い部分も 書いてあり、


直接に 担当しなかった方からも「次はがんばれ!」など


励ましの言葉が 書いてありました。


その時期に 自閉っ子の祖父が 体調を崩したこともあり、


私は 最小限の サポートしか できなかったのですが、


自閉っ子の 担任の先生や 他の先生方も 応援してくださり、


最初の 実習先から 「再度 他の部署で実習してみてはどうか」と


声が かかりました。一度断られた会社でしたが、自閉っ子の 事が印象に


残っていたようで、最終的には そこで 部署を変更して 実習し、そこでは


自閉っ子も うまく 仕事ができたので、採用していただけることになりました。


自閉っ子も その会社が好きで、「できればいきたい」と 何度も 言っていたので、


そこで 採用が決まって 本当によかったです。


知的障害と 自閉症がありますが、自閉症独特の 問題行動が ないので、


実習の時に 担当の方の印象に 残ったようです。


今日も 元気に働いています。


小さい時の 歩くのも おぼつかず 目もよく見えなかった自閉っ子を


知る人から「今 どうしてる?」と 聞かれ、


「毎日 フルタイムで 仕事に行ってます」というと


皆さん 信じられない、という顔をされます。


学校では 知的に 高い お子さんに囲まれ、先生からも 厳しい指導を受けましたが、


自閉っ子は 弱音を吐くことなく 三年間頑張り、無事卒業し


社会人として 毎日 頑張っています。


知的に低いから、と 言われた言葉を 鵜呑みにせず、受験させてよかったと思いますし、


何度 実習先から 断られても 「普通の人だって 何回も面接に行くんだから、


あきらめずに 行っといで」と 送り出したのも いい思い出です。


「OOだから できない」と 動かずにいるよりも、


「何かできる事があるかもしれない」「どこかに 働けるところがあるかもしれない」と


とにかく 動いてみたことが 結果に結びついたのだと思います。


 











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花風社

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