多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

お盆玉について

2017-08-14 11:30:16 | 暮らし
お年玉ならぬ「お盆玉」というのが 世間で言われ始めた。


私は 子どもの頃、帰省先で 伯父伯母や その他の親戚から、


「盆だから」と 小遣いや お菓子をもらった記憶があるので、


「ああ、あれのことを お盆玉と 呼び出したのかなあ」と


思うだけである。


普段 必要なものを買ってもらう以外に、子どもが 大きなお金、


お札などを 持つ機会は 我が家の周囲では見なかった。


「盆と正月」に 衣類の新しいのを 一枚新調するか、


場合によっては 靴などを買ってもらう。


普段は 小遣いなどは なく、お使いの時に


「いくらいくらまでは お菓子を買っていい」と制限つきで


使わせてもらうくらいで、自分で現金を手にする機会はさほどなかった。


「盆と正月」が 私たちきょうだいにとっては


たまの贅沢ができる 貴重な機会であったが、その「小遣い」も


母親に 没収され、思うように使う事はできなかったが、


たまにしか買えない おもちゃを買ったり、


月刊雑誌を買ったりして 楽しかった記憶がある。


正月は 年取りの 季節なので、いわば「誕生祝」であるから、


本当の誕生日は そんなに 盛大には祝ってもらえない。


家計に余裕があれば 好物が一品ついたり、デザートがでるくらいである。


周囲の友だちは、「お誕生会」などをしていたが、


わが家には 家族以外の 友人を招いて そんな事をする習慣も


余裕も時間もなかった。


たまに 招かれて出ていったが、みな おしゃれをして


プレゼントや 差し入れを持っているし、場違いだなあという事に


さすがの私も 気づき、その後は 出かけない事にした。


「なんで こよりさんとこは お誕生会しないの?」と


聞かれたこともあるが、そもそもそうした 風習がないのと、


子どもの誕生日は 私の親にとってセレモニーではないからである。


それを 友人に説明しようにも 私は うまくしゃべれないし、


たとえ 話せたとしても 向こうは 理解できなかっただろう。


高校に 入学して、交通費を親がくれて、「定期券を買いなさい」と


言ってくれたが、私は 極力早く出て 歩き、急ぎの時や


天気が悪い時だけ バスや電車に乗り、浮いた分で 本を買っていた。


後から それが 親にわかり、呆れられたが、家計に余裕がないのに


本代を 捻出するには それは 実にいい方法だった。


お盆に帰省して、伯父伯母から 頂く小遣い、


買い物に一緒に行ったときに「何か一つ持ってこい」と言われ


急いで選んで 渡した お菓子や おもちゃ。


それが 私には いい思い出になっている。


私の 子どもたちも 盆正月に 普段はできない贅沢をした記憶が


思い出になっているだろうと思う。


両方の 祖父母から あれこれ買ってもらった事もいい思い出になっているだろうし、


よその お宅に比べたら 贅沢な暮らしはさせていない分、


自分で働いて お金を得る事のうれしさは 一塩だっただろうし、


過去に 色んな方にいただいた お年玉や 小遣いも、


自分だったら どれだけ働いて 得られる金額かを考えて、


「ああ、これだけのお金を 稼ぐのに こんなに大変なんだ」と


実感できたと思う。


お金は 湧いてくるわけではなくて、誰かの 労働の代価だという事を


暮らしの中で わかっていたことが 子どもたちの 大きな強みだと思う。


長男は 日常必需品は とことん使い、寿命になってから 買い換えるが、


本やゲーム等には そこそこのお金を使っている。


次男は 多少高くとも気に入った服や バッグにお金をかけ、


以前は 毎月のように買っていた CDやDVDの数が減った。


節約した分で、ちょこちょこ 友人と出かけている。


行き先は その都度違うが、安い交通機関を乗り継いで


出掛けるのが楽しいらしい。


バッグも 服も 高いだけあって、買い換えることも少なく、


これも 一種の節約らしい。


どちらも 自分の 優先したい事に お金を使い、人生を楽しんでいるのは


見ていてうれしい。







夏のお年玉…ポチ袋/ほんのきもち (スイカ)
クリエーター情報なし
学研ステイフル

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