多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

病院での事

2017-09-12 17:24:24 | 私の日常
先日 病院の待合室で、車いすに乗った患者さんと


そのご家族らしき方の 隣に座る事になった。


その方たちの 年齢や性別は書かないでおく。


患者さんは、処置や診察が終わったので、早く帰りたい、と


伝えたいらしいのだが、病気の為か、障害のためか、うまく話せない。


車いすの ひじ掛けを叩き、自分の意志を示しているように見えた。


とたんに ご家族らしき方が「静かに!」と制し、


「もうタクシーが 来るから」と 話すと 


落ちついた。


だが 会計や 薬の処方箋の 発行にてまどったらしく、


カウンターで あれこれ やりとりをしているので、


車いすの方が また 音を立て始めた。


振り返った方が「静かに!」と制す。その繰り返しが何度か続いた。


私の方が 先に 処方箋ができ、カウンターの横から


「こよりさん、どうぞ」と 診察券と 処方箋を渡された。


ドアを開けて 外に出ると、タクシーが停まっていて、


運転手さんは 車を降りて 裏口の方へ走っていかれた。


多分 さっきの お二人を待っているのじゃないかな、と思い、


そちらの方へ行き 「運転手さん!」と声を掛けた。


「OOさんですか?」と 言われたので、


「私は 違いますが、まだ 受付で 手続きをしてらっしゃる方が


タクシーを 呼んだと話してみえたので。もうすぐ出てこられると思いますよ」と


話したら ほっとしておられた。


多分 あの車いすの方は、話す事は 不自由だけれど、かなりの事が


おわかりじゃないかな、と 思った。「お薬の紙をもらうまで 待つよ」と


声を掛けたら わかるんじゃないか、そんな気がした。


「もうタクシーが来るから」と 聞いたのに、いつまでも


出口に行かない。おかしい、いつ帰るんだ?そんな表現を


音を 立てることでしているように感じられて ならなかった。


実際 タクシーの運転手さんも 裏口も 回ってみるほど


時間が経っていたのだし、車いすの方は


一緒に居る方が 思うよりも、理解力があるように 思えた。


無事に帰れただろうか、と帰りの電車の中で、何回か


その方たちを 思い出した。



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神田橋先生の事

2017-09-12 15:32:08 | 養生
私は 神田橋條治先生には 2回しか お会いしていない。


始めて伺ったのが 数年前であるが、何年前か記憶も 不確かである。


先生は 私を見て 「結構遠くから来たねえ」とおっしゃり、


私は 当時34錠飲んでいた 各種病気の薬を減薬したい旨と


自分が 発達凸凹であることを告げた。


先生は 薬の多さに 驚かれ、「これを減らすのは難しいねえ」と


おっしゃりながらも お薬手帳にチェックを入れてくださり、


「チェックしたものから 減らせるように、かかりつけ医と相談してみなさい」と


おっしゃった。あとは 陪席した方に、私のてんかんが どこの部位の異常からきているか


説明なさり、春ウコンのサンプルを下さり、「ここに注文したらいいからね」と


おっしゃった。他の人に 言われるような、生活上の指導はなかったと記憶している。


介護中で その合間に 鹿児島に来た私が、自宅に帰っても ゆっくり休んだり


自分の 養生のための 時間を割く事が出来ない事を 先生は


何も 話さなくとも 見抜かれた様子だった。あと 私を観察なさって、


「あれこれ 人に頼る、答えが欲しいタイプの人間ではない」と


見抜かれたのかもしれない。



その後 先生が 患者さんの中で 必要だと思われた方に 猫本を 紹介してくださっていると


お聞きし、今年また 鹿児島を訪ねた。鹿児島講演の 前日の事である。


先生には 以前の半数以下の薬で 体調が維持できている事をお伝えし、


猫本の 著者が 私であることを お伝えした。翌日鹿児島で浅見さんと講演を


する事も お話した。


私が 病気を抱えていても、毎日 楽しく過ごしていることが


お分かりになったのだろう、先生は やさしい眼差しを私に向けてくださった。


サプリメントを 紹介してくださり、「これはどこででも買えるから」と


ボトルを見せて さっと 向こうに戻されるので、私の目では 確認できなかった。


「メモさせてください」と 申し上げたら「スマホで 写メしなさいよ」と


言われ そういうことが苦手な私は ピンボケの 写真を撮った。


急いで猫本を差出し、「先生 失礼ですが サインをお願いします」と


申し上げたら お名前と メッセージをくださった。


病院で 会計を済ませながら、「あ、もうここに来る必要はないなあ」と


なんとなく感じた。先生からの サインが、「先生からの卒業証書」のように


感じられたからだ。


翌日 浅見さんとの 講演があり、たくさんの方が来て下さり、


横道へ逸れがちな私を 浅見さんが 話の本筋へ 引きもどしてくれ、


来ていただいた皆さんに 有意義な時間になったことを 主催者の方や


浅見さん、あの場所にいらした すべての方に 改めて 感謝申し上げます。


鹿児島講演がきっかけで、その後の 沖縄講演に つながり、


そこで 私は 大きな転機を迎えることになりました。


今 人生の始まりで 作ってしまった大きなヌケを、


埋める毎日を 送っています。 





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わが家の常識は世間の非常識

2017-09-12 14:58:07 | 暮らし
介護と 子育てが終わって、楽隠居の身分である。


世間のお母さんと 接する機会も増えた。


私と 同世代のお母さんでも、まだまだ お子さんに手をかけてらっしゃる方が


けっこういて、私は それに びっくりする。


私は 通院で 遅くなる時が結構あるが、家の事は


心配しない。今どこの病院にいるか 家族のうち


だれか 通じそうなものに連絡して、診察を終えて 薬をもらって


帰宅する。途中で 連絡を入れて、夫に余裕があれば 駅まで 迎えにきてもらう。


途中で 子どもからメールが来ても、他のおうちのような


「早く帰って来て」や「ごはんどうするの」などの 内容ではない。


「夕食の分で調味料が切れそうだから、できたら帰りに買ってこい」だの


「今 野菜切ってるけど、スープがいいか パスタがいいか」


「スープは鳥がらか?トマトがいいか?どっち食いたい」とかである。


たまに 違う用件も入るが、「どこの駅に着くんだ?もしOO駅なら


俺も行って 帰りにOO屋に寄りたい」とかそういうたぐいである。


OO屋では ごほうびと称して 私も何か買ってもらえたりする。


その時の 息子の予算と 機嫌で多少変わるが、うれしいものである。


世間のお母さんは お子さんの 身の回りの品も 恥ずかしくないように


心づもりし、洗濯や 食事、自室の掃除まで なさるそうである。


私は 洗濯はするが、息子達が「シミが取れてない」だの


「まだ 臭いがするが、洗剤は何を使った」とか


言い出したので、私の洗濯方法で 困るものは


別に 洗剤や しみ抜き剤代を いただき、それでも



不満が ある時は 洗濯機の空いてる時間に 自分で好きな方法で


洗っていただくことにした。


長男は 私が 買ったことも無い 値段の張る洗剤を買ってきて


大事なものは 自分で洗っている。


次男は 洗剤代と しみ抜き剤代を 生活費や 私の小遣いとは別に出してくれ、


「こことここに シミがついてるから」と 申告してくれる。


私の目では 見つけられない事も多いからである。


料理は リウマチかつ 緑内障の私が 包丁を持つより


長男が次男を使いつつ 二人でした方が早いので、


かなり以前から 私は 料理をしていない。ごく簡単な、


包丁無しでできるもの限定である。


世間のお母様方は、お子さん方の お世話で忙しいそうなので、


夕方の集まりなどの時は 「お金を置いてきて、OOを買うか OOに行ってきなさいと言った」だの


「冷蔵庫に 料理を作ってきた」だの その連絡にも 忙しい様子である。


私には できない芸当である。


生んだ以上 親であることに 変わりはないが、「卒母」をした私は


「お母さん業」を そんなに長く続けていて


楽しいのだろうか?と 思うが、世間のお母さんは


「私が この子の世話をしなければ」と


洗濯や 料理や 自室の掃除(!)に 時間を割くのだなあ、と


びっくりしたのであった。


子どもの部屋なんか、親であっても 許可なく入るのは 抵抗あるし、


許可があっても 私は せいぜいものの受け渡し(届いた代引き荷物の確認とか)


位、ものの数十秒である。


自室の管理ができないなら 個室は与えなくていいと思うし、


個室を与えたら 掃除は 部屋の使用者の責任だし、向こうが


「頼むから 掃除して」と言われたら 代金もらってもいいくらいだと思うが


世間では 違うおうちも あるようだ。


わが家の 常識は 世間の非常識であるが、我が家はそれで平和なので


いいのである。







受験は母親が9割 灘→東大理Ⅲに3兄弟が合格!
佐藤亮子
朝日新聞出版

私は現在イヤイヤ期突入中です

2017-09-12 09:56:04 | 感情
今年の春から、鹿児島講演や 沖縄講演など、様々な


気づきの機会を得て、私にもさまざまな変化がありました。


大きな気づきは、「嫌なこと、理不尽なことは そのまま受け入れなくていい」という事です。


たとえ それから 逃げる事や避ける事は出来ないにしても、


「私は 嫌です」と 言ってみても 良いのだ、という事を


実感しました。


先日の 入院中も、普段なら 気にならない 夫の些細な言動に


言い返してしまったり、


買い物中の 夫の 普段なら気にならない行動に イライラしてしまったり。


「おかしいな?」と 思いつつ


夫や 自閉っ子に 体ほぐしを 手伝ってもらいながら、


「あ、私は 夫の行動が嫌なんじゃなくて、


断りなしに 勝手に決められた過去の様々な人に対しての怒りを


夫に 投影しているんじゃないか」と きづきました。


昔なら、自分の感情を そのまま出していたら 


良い事は 一つもなかったわけですが、


今 夫に 言いたい事を そのままぶつけても


夫とは 破壊的な状況も起きないし、


叩かれたりも 家の外に出されたりもしないわけです。


いわば「第一次反抗期、イヤイヤ期突入」です。50年遅れの。


母が私を妊娠した時には経過が悪く、出産時には母子ともに危険な状態でした。


母子ともに 命の保証はないと言われ、私は未熟児で生まれその後も生死の境をさまよいました。


私が2歳を迎える前に 母は次子を妊娠し、大事を取って 入院をしました。


父は仕事がありますし、入院費を稼がなければなりませんから、


私は 親戚を転々とし、その間に 相貌失認(成人してから判明しましたが)のため、


母の顔を すっかり忘れ、再会の時には 母を「おばさんも ここの家の人?」と


聞いたそうです。知らない顔の、見たことも無い赤ちゃんを抱いた人。


その人を「母」とは 認識できなかった事は 母にも私にも 尾を引きました。


その時に 母が「私が お母さんだよ!」と 言っていたら 結果は違ったかもしれませんが、


母も 驚きのあまり そう答えるしか できなかったのでしょう。


本来「嫌!嫌!」を 連発する時期の2歳代を、他家で過ごし、


自分の家に戻ってからも「自分の家」とは はっきり認識できないまま


過ごした私には そこがまた 大きな欠けになったのでしょう。


はっきり「家族」とわかったのは 父だけでしたから。


その頃の 私に 大きく響いた言葉に、


「お姉ちゃんなんだから、泣いてはいけない」という言葉があります。


私は もともと あまり 泣かない子どもでしたが、この言葉が


しみついて以来、ますます泣かなくなりました。


預かってくれた伯母の話では、泣く時は


押入れの中や 納戸の隅で 声を出さずに隠れて泣いていたそうです。



幼い時に 内臓の病気で 手術をしましたが、その時に術前の


大きな太い注射をするときに、二人の看護師さんが いました。


普通の子は 親から離れて 手術室に向かう時に泣くか 不安がり、


注射の時には 必ず泣くのだそうです。


私が 泣きもせず腕を差し出すのを見て、看護師さんが


「あら、この子泣かないわ!暴れも 嫌がりもしないわ!」と驚いていた様子を


覚えています。術後も 痛み止めをもらった記憶もないですし、


同室の 他の子どもが 痛い痛いと泣くのを 不思議な思いで聞いていました。


入院中も さみしいとか 思いませんでしたし、見舞に来た


伯母が 本を2冊 買ってきてくれたのが 一番うれしかったです。


きょうだいに とりあげられないように気を配ってくれたのか、少し難し目の本でした。


退院後も その本は 私だけが読め、きょうだいと一緒に読めとか


貸してやれとか 言われなかったことで ほっとしたことを覚えています。


抜糸や その他の処置の 辛さとかは 覚えていません。


未熟児で 保育器に居た時の記憶のほうが強烈でしたから、


それに比べたら 手術のほうが 気楽だったのだと思います。


そうした 数々の 「普通の子どもが 感情を 表す機会」に それと気づかず封じ込めてきたものが


今 現れてきているのだなあと 思います。


「勝手に決めないで、私にも聞いて欲しい、相談してほしい」


「私が 嫌だと 思っていることに気づいて」と


50年前の 私が 言いたかったことが いま あふれてきているのだと思います。


夫は 私が 何にいらついているかは わからないけれど、


好物を買ってきてくれたり、買い物に付き合ってくれたりしてくれます。


子どもたちは 私の味方にも 夫の味方にも ならずに、


すっと そばを離れたり、飲み物やお菓子を 勧めにきたり、


「OOを作ったけど 食うか?」と 私や夫を 思いやってくれます。


私の イヤイヤ期が いつまで 続くかわかりませんが、


夫や子どもの おかげで 早く終わりそうな気がします。








 






愛着障害は治りますか? 自分らしさの発達を促す
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花風社