田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

LION ライオン 25年目のただいま(Lion)

2017年04月22日 15時17分10秒 | 日記

File:Lion (2016 film).png

インドで迷子になった5歳の少年が、25年後にGoogle Earthで故郷を探し出したという実話を、「スラムドッグ$ミリオネア」のデブ・パテル、「キャロル」のルーニー・マーラ、ニコール・キッドマンら豪華キャスト共演で映画化したヒューマンドラマ。1986年、インドのスラム街で暮らす5歳の少年サルーは、兄と仕事を探しにでかけた先で停車中の電車で眠り込んでしまい、家から遠く離れた大都市カルカッタ(コルカタ)まで来てしまう。そのまま迷子になったサルーは、やがて養子に出されオーストラリアで成長。25年後、友人のひとりから、Google Earthなら地球上のどこへでも行くことができると教えられたサルーは、おぼろげな記憶とGoogle Earthを頼りに、本当の母や兄が暮らす故郷を探しはじめる。(映画.comより)

 

 

 

 すごいですねぇ、本当に。実話なんですから。それとともに、やはりどんなに裕福に幸せに暮らしていても、「本当の母親」の存在は、これほど大きい、すなわち自分のアイデンティティの根幹なんだなぁ、と改めて思った次第です。言い換えれば、どれほど不本意な親であっても、「実の親」がハッキリわかっている、というのは、幸せなことなのだな、と思いました。そう言えば、韓国映画「息もできない」で、登場人物の一人が自分の父親のヒドさ(それは本当にヒドかった)をぶちまけると、そばにいたもう一人の男が「そんなおやじでも、いるだけうらやましい」と言ったのを思い出しました。彼は親の顔すら知らなかったのです。

個人的な話で恐縮ですが、子供の頃や若い頃は、あまりの家庭環境のヒドさに「自分は不幸だ」とか「どこかに本当の親が居るに違いない」などと思っていました。でも、恨める親がはっきりわかっているだけ、まだ幸せだったんだなぁ、と最近は思います。自分のアイデンティティはそこにあるわけですから。

さて、話がそれました。すみません。映画です。そう、インドでは貧富の格差がハンパないので、主人公(サルー)のおうちはとても貧乏です。それでも、息子たちは母を助けるため幼いうちから働きに出ます。サルーも、やや年の離れた兄ちゃんと、悪いこともしますが、家計を助けています。まだ5歳だというのに、聡明なサルーは、「ぼくだってできる」と兄ちゃんに言い張り、一緒に夜の仕事にもついて行くのです。しかし、なにぶんまだ5歳。兄ちゃんが「仕事を見つけてくるから、ここにいるんだぞ」と言ったのに、駅から歩き、そこに停まっていた列車のなかで眠り込んでしまいます。気がつけば朝。列車はどれだけ走ってきたのかもわからないほど、遠くに来てしまっていました。

右も左もわかりません。なにやら賑やかな駅に来たみたいです。でも、誰も助けてくれません。そのうち、子供がたむろしているところを見つけたので、一緒にいると、人さらいが!警察も見て見ぬふりです。必死に逃げるサルー。走って走って走り続けるサルー。お寺の供え物を食したりしながら当てもなくさまよい、そのうち優しそうな女性に声をかけて貰います。ジュースをもらったり、親切にしてもらって安心していると、「知り合いの男性」がやって来るのです。体格のチェックなどをするその男に、ただならぬものを感じたサルーは、またまた逃亡。結局は孤児院?みたいなところに保護されます。劣悪で厳しいところでしたが、福祉係みたいな女性も時々来てるみたいで、その女性はサルーの写真をあちこちで公表し、両親を捜したが申し出はなかったと言います。「カルカッタじゅうに配ったのよ。でも、申し出はなかったの」と。でも、サルーの家はもっと地方だったと・・・見ている方は思いますが、幼いサルーにはもうその辺のことはわかりません。町の名前も記憶していたのですが、正確ではなかったので、誰もわからなかったのです。

結局、オーストラリアの裕福な家庭に貰われていったサルー。両親に愛され、立派な青年に育ちます。そして、大学のゼミ仲間に生まれを聞かれ、迷子だったことを打ち明けます。「君のお母さんは迷い子の届けをしなかったのか」などと聞く仲間もいましたが、「母は、文盲なんだ」と伝えます。我々観客も、ここで「!」となります。そうなのです。お母さんは文盲だったのです。石を積む仕事も、そのせいだったのですね。そして「google earthなら探せるかも」と言われ、サルーの長い捜索が始まります。なにせ、記憶はおぼろげです。インドの航空画像も不鮮明ですし、距離だってわかりません。当時の列車の時速から割り出すことから始めなければなりません。

サルーには、同じく養子の弟がいましたが、この弟は全く正反対な性質でした。そのうち生家の捜索に没頭するようになったサルーは学校をやめてしまったり、弟が問題を起こしたりと、母のニコール・キッドマンも心労が絶えません。裕福(で美人)なのに、こんなに心労が絶えないなんて。人生って本当にままならない。

映画はこんな感じで展開します。もちろん、実話ですから結論はわかっています。2年?3年?くらいかかって、サルーは母を見つけるのです。よかった!本当によかった。子を持つ母として、こんなに心揺さぶられるお話はありません。見方によっては、「感動させようとしていてしらじらしい」という意見も結構あるようです。主演に有名なデヴ・パテルを持ってこなかった方が反感が少なかったのかもしれませんね。しかしながら、息子の帰りを信じて動かなかった母、探し当てた息子。ここは純粋に素晴らしい。

お国柄によるとは思いますが、私は小さな男の子が一人で迷っているのに、案外誰も無関心だったのが驚きでした。カルカッタは都会だからかもしれませんね。警察まで知らんぷりで・・・。まぁ文化の違いなんでしょうね。それでも、貧しいながらも兄と弟、無学の母を助けながらかばい合って生きている姿は本当に美しく、先進国で不自由なく生きている人より幸せなんだろうな、と思ったりしました(月並みですみません)。

佳作だと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画クレヨンしんちゃん 襲... | トップ | ムーンライト(Moonlight) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事