田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

あの日のように抱きしめて(Phoenix)

2017年06月11日 15時00分21秒 | 日記

 「東ベルリンから来た女」のクリスティアン・ペッツォルト監督と主演のニーナ・ホス、共演のロナルト・ツェアフェルトが再タッグを組み、ナチスの強制収容所で顔に大怪我を負った妻と、変貌した妻に気づかない夫の愛の行方を描いたサスペンスドラマ。1945年、ベルリン。ネリーは強制収容所から奇跡的に生き残ったものの顔に大きな傷を負い、再生手術を受ける。過去を取り戻すために夫ジョニーを探し出そうと奔走するネリーは、ついにジョニーと再会を果たす。しかし、ジョニーは顔の変わった彼女が自分の妻ネリーであることに気づかないばかりか、収容所で亡くなった妻になりすまして遺産をせしめようと彼女に持ちかける。夫は本当に自分を愛していたのか、それともナチスに寝返り自分を裏切ったのかを知るため、ネリーは彼の提案を受け入れることにするが……。(映画.comより)

 

 

 

 録画鑑賞。運命とは残酷なもの。ナチスの時代でなかったら、何事もなく過ごせたはずの夫婦。妻がユダヤ人だったゆえ、強制収容所へ。命は助かったものの、顔に大けがを負い風貌が変わってしまった妻と、今は解放されて自由に生きる夫。果たして、妻の逮捕は夫の密告だったのか?せっかく見つけた夫なのに、裕福だった妻の遺産を狙い、「夫婦を演じよう」と持ちかけて来た、その心理は?

つらいですねぇ、本当に。人間の本性なんて、極限にならないとわからないですものね。優しかった夫は、本当に私を愛してくれていたのか・・・そんなこと考えなければならない女ほど、つらいものはありません。風貌が変わる、という点で、私は韓国映画「絶対の愛」を想起しました。キム・ギドク監督だったと思います。違う女性に、愛した女になりきることを強要する、と言う点では「めまい」も似ているかもしれません。

しかし、これは「絶対の愛」を見たときも思ったのですが、いくら顔が違うからと言っても、背格好とか、ちょっとしたクセとか、しぐさとか、そんなにわからないものなのかと思います。もちろん、自分にそんな経験はないので、安易なことを想像で言ってはいけないと思いますが、やっぱり何年も一緒に住んでると、相手の雰囲気というか、クセっていうか、なんかわかるんじゃないのかな、と思うのです。まぁ時代背景が時代背景ですから、そんな悠長なこと言ってられなかったのかもしれませんが。

それで、夫の愛と意向を確かめたかった主人公は、「妻になる」ふりをします。だんだん妻に似てくる女性を見て喜んだり、妻との思い出を語ったりする夫を見ていると、あるいは本当に愛してくれていたのかもしれないと思ったり。でも、妻が収容された後に取った夫の行動が明らかになって来ると、不信感が募ったり。どこまでも愛を求める女の姿は悲しいですね。でも、すごくわかるのです。

夫はピアニストでした。妻は歌手でした。いよいよ夫婦を演じるのも板について、親戚と会おうという段になって、妻は夫に「スピーク・ロウ」という曲をリクエストします。妻の好きな曲で、かつてよく一緒に歌いました。ここが映画のクライマックスです。歌い始めた妻を見て、夫は・・・。ここでの妻の意図は、見る人によって取り方が違うかと思います。女性と男性によっても違うかも。私、個人的には、女性の強い意志の表れだと思いました。この「スピーク・ロウ」、いい歌でしたね、とても印象に残ります。

見応えのある映画でした。疲れていないときに、どうぞ。

コメント
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