陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

499.東郷平八郎元帥海軍大将(39)西園寺公と東郷元帥が手を握られることは必要ではないか

2015年10月16日 | 東郷平八郎元帥
 昭和七年五月十五日、海軍の現役中・少尉五名、予備少尉一名、陸軍の士官候補生十一名、合計十七名の青年将校が蹶起し、犬養毅首相を射殺、牧野伸顕内大臣邸襲撃、立憲政友会本部に手榴弾、三菱銀行に手榴弾、西田税襲撃などの事件を起こした。五・一五事件である。

 この事件により内閣は総辞職したので、昭和天皇から、後継内閣の組閣に関し、元老の西園寺公望(さいおんじ・きんもち)公爵(京都・徳大寺家当主徳大寺公純の次男・学習院・岩倉具視の推挙により参与に就任・戊辰戦争は総督や大参謀として参戦・明治維新後新潟府知事・軍人を希望し大村益次郎の推挙でソルボンヌ大学留学・帰国後東洋自由新聞社長・参事院議官・駐ウィーン・オーストリア=ハンガリー帝国公使・駐ベルリン・ドイツ帝国兼ベルギー公使・賞勲局総裁・貴族院副議長・文部大臣・外務大臣・文部大臣・内閣総理大臣代理・枢密院議長・政友会総裁・第一次西園寺内閣・第二次西園寺内閣・第一次世界大戦講和会議首席全権・公爵・元老として政界を牛耳る・従一位・大勲位)に御下問があった。

 五・一五事件直後、宮中顧問官・小笠原長生中将は、東郷元帥を訪ね、事件の報告をした。

 その日の夕方、小笠原長幹(おがさわら・ながよし・小倉藩主小笠原忠忱の長男・伯爵・学習院大学・ケンブリッジ大学・式武官・貴族院議員・陸軍省参事官・国勢院総裁)が小笠原長生を訪ねて来た。

 長幹「まさかこんな大事が突発しようとは思わなかった。事が陸海軍人に関しているので、貴方から種々新しい材料がもらえるだろうと思って」。

 長生「いや、速耳の貴方の所へこそ、諸方から報告が集まっているでしょう」。

 長幹「集まってはいるが、どうも怪しいのが多くて。ところで、後継内閣組閣について御下問を被られたであろう西園寺公は、出京されるようだが、この際、西園寺公と東郷元帥が手を握られることは必要ではないか。それには東郷元帥の方から働きかけていただくと、話が早くつくだろうと思うのですが」。

 長生「それは駄目です。ご承知の通り元帥は、政治のことなどには、決して容喙(ようかい=口出しをすること)しないという主義なのですから、先方より話があったとしても恐らく避けられるでしょう。取り次いでも無益ですから、ここで断然お断りする」。

 長幹「なるほど。それもそうかも知れませんな。然しどうも西園寺公は、元帥の御意見を訊かれはしないかと思うような気がします。そうお心得になっていたほうが宜しいでしょう」。

 長生「有難う。お言葉に従って、元帥には注意しておきましょう」。

 こんな問答をした後、小笠原長幹は小笠原長生邸を辞去した。

 小笠原長生は、このような内容は一刻も早く元帥の耳に入れた方がよいと思い、即夜東郷元帥を訪ねて、全てを話し熟慮を促した。

 東郷元帥「それぁ困る。内閣組閣のことなど……」。

 長生「いくらお困りになっても、先方から相談しかけられては、まさか黙っておいでになるわけにもまいりますまい。ですから、それに対し、予めご考慮になっておくことが必要でしょう」。

 東郷元帥「……」。

 長生「そこで甚だ差し出がましゅうございますが、もし西園寺公より面会を申し込んでまいりましても、ここからはお出にならず、先方のまいるのをお待ちになった方が宜しかろうと存じます」。

 東郷元帥「いや色々有難う。なお能く考えてみよう」。

 それから幾日か後、西園寺公は御下問に奉答するため、駿州興津から上京した。そして、果たして東郷元帥に面会を申し込んで来た。

 西園寺公の使者は、西園寺公の言葉として「此の方より参上する筈であるが、何分にも多忙を極めていてその暇がない。さればとて、陛下に於かせられては、後継内閣の組閣に関し日夜聖慮を悩ませ賜うておられる。まことに恐れ多い事である。まことに相済まぬ次第ですが、出向いて来ては呉れまいか」と、東郷元帥に伝えた。

 そこで、東郷元帥は、西園寺公に面会するために、出向いて行く事に決めた。もはや見識がどうのこうと、自分のことを云々すべきではないと考えたのだ。

 その翌々日の新聞には、東郷元帥が西園寺公を訪ねて会見したことが、大活字の見出しで報ぜられた。しかしその内容は何も掲げられていなかった。

 それから程なくして斎藤実(さいとう・まこと)子爵(岩手・海兵六期・大佐・防護巡洋艦「秋津洲」艦長・海軍次官・少将・海軍軍令部長代理・海軍省所管事務政府委員・中将・艦政本部長・海軍大臣・男爵・大将・予備役・朝鮮総督・子爵・ジュネーヴ海軍軍縮会議全権・枢密院顧問・退役・首相兼外務大臣・文部大臣・ボーイスカウト連盟総長・内大臣・二二六事件で暗殺される・正二位・大勲位菊花大綬章)に内閣組閣の待命が下った。