観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

恥ずかしがるな*

2013-01-23 16:31:36 | 12
 
教授 高槻成紀

 第二次世界大戦後、私たち日本人は自分たちのことを内気で、生真面目で、ユーモアがない、議論が下手だ、人前でアガりやすいなどと、いろいろ悪口を言われて来ました。私は1949年、戦後4年に生まれましたから、戦前派とは違う教育を受けましたが、こういう性質は変わるわけではないのでうまくゆかず、劣等感を持ちました。アメリカ映画を見て、アメリカの若者がいかに違うかを見て、うらやましいと感じました。あるいは感じなければならないと思っていたかもしれません。
 日本人が海外旅行出来るようになったのは1960年代のことで、当時1ドルは360円(今は90円!)でした。当時、海外旅行は夢そのものでした。私は大学4年生のときにインド旅行をしましたが、父親が「ああ、お前らが海外旅行する時代になったんだな」と言ったものです。その後私はいろいろな国に生態学社として、あるいは一旅行者として訪問しました。スリランカの人は外見はまったく違うのに内気で、周囲からどう見られるかを気にするのは日本人と似ていると思いましたし、逆にモンゴルの人は外見はまったく同じのに、開放的で独立心が強いと感じました。それで私は国民性はやはり環境によって強い影響を受けるのだと思いました。日本は島国で、夏は高温多湿だから植物が豊富です。「あとは野となれ山となれ」というのは植生遷移が速く進むことを表現しています。そうした国土でわれわれの祖先は豊富な水を使って稲作をしてきました。ご承知のように日本は災害列島でもあり、定期的に台風、洪水、地震があります。米を作るには土木工事、田植え、刈り取りと、大人数の共同作業が必要です。そういう社会にあっては「個性的」なことは歓迎されません。農民は土と植物に向かいあい、勤勉で忍耐強さこそが必要でも、おしゃべりは不要です。そのことは収穫に正直に返ってきます。そういう社会では協調的な人が主流になっていくのが当然です。私はそういう社会が日本人の気質を形成してきたと信じています。
 ですから日本人が突然、おとなしいとかまじめすぎるのはよくないと言われて当惑したのは当然です。なにしろそれまでは「男は減らず口をきかないで働け!」と言われてきたのですから。
 そう、私が言いたいのは、人の気質は社会によって影響を受け、その社会は環境によって影響を受けるということです。稲作は日本人気質を形成しました。それをアメリカ人とくらべたら違いは明白です。悲劇は違うことを「悪いこと」としたことにあります。
 私はそうしたアメリカの影響が日本人の自然に対する態度を変えたということを指摘したいと思います。戦後数十年経って、自然を畏れ敬ってきた農民さえもが次第に「科学的に」なり、自然はコントロールできると「認識する」ようになりました。実際、機械によって田んぼは作り替えられ、森林は伐採されました。そうしたことをくり返すなかで我々は徐々に自然は管理できる、恐れるに足らずと感じるようになりました。我々の親世代が一番悔やんだのは日本には技術がなかったことだということでした。だから戦後技術改良に懸命の努力をしました。事実、品質のよい機械を作り、土地や植生の改変が可能になりました。日本社会で影響力のある人たちには必ず工学系の人がいますが、動植物のことを知らないばかりか、興味もありません。私は親世代の戦後の経済復興の努力には敬意を払いますが、それが日本人の自然への態度を変えたことを実に悲しいことだと思います。
 私にいわせれば、その最たるものは原発依存です。日本人は自然が畏れるべきものだということを忘れていたのです。日本列島は原発を作るには危険すぎます。
 私も余生は長くありません。せめてそうした傲慢さを改め、日本人の伝統的な自然への態度を思い起こすことに微力を尽くしたいと思います。


* 実はこの文は「Do not be shy」という英文の「和訳」です。海外の知人に送った文に何人かの人がとてもよかったと言ってくれたので、日本の皆さんにも読んでもらおうと思いました。でも「shyであるな」は「恥ずかしがるな」がぴったりではありません。「もじもじするな」とか「言いたいことははっきりいえ」かもしれません。

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